土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

続・どうすれば日本はアメリカに勝てたのか。 (日米戦争)

2013-06-16 20:07:32 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。
前回記事の続きです。

日本は真珠湾を攻撃しただけで、ここから引き上げます。
惜しい、誠に惜しい判断です。

歴史的、ニュース的には、攻撃し当時のアメリカに、大打撃を与えただけでも凄いことではあります。
しかし戦においては、ポイントポイントで勝利する、そしてポイントを制することが何より重要です。

日本のハワイ占拠は、将棋で言えば、”歩”が相手の陣地には入り”と金”に成る、
いや、飛車が相手の陣地に入り、龍王に成るくらいの影響力を持ちます。

結局この真珠湾攻撃は、当時の日本にとっては、戦争の目的である、
インドネシアの石油資源確保に向けての、時間稼ぎでしかなかったのでしょうね。

真珠湾攻撃後日本軍は、フィリピンからアメリカ軍を追い出し占拠します。
この時に、フィリピンの総司令官マッカーサー将軍を逃がしてしまいます。
これも惜しい判断です。

逃げる者は追わずの、武士道精神でしょうか?

ハワイ真珠湾でも、石油備蓄基地は破壊していません。
石油の大切さを身をもって知る日本軍は、石油を破壊することに忍びなさを感じたのでしょうか?
占拠しないのであれば、破壊しておくべきでした。

自国の美意識を大事にするのはわかりますが、詰めの甘さを感じてしまいます。

現実的にはハワイまで占拠することは、戦線が伸び切り、危険と負担を伴うことには変わりはありません。

そして、やはり重要なことは、当時の日本にとっては、
アメリカという国家に勝利することより、自前でエネルギーを確保する事の方が大切であった・・・
ということだと思うのです。

アメリカに対して鉄槌を与えたところで、石油資源という致命的な欠陥を知られ、
権益を相手に握られている以上、日本の石油が枯渇するまで、アメリカに粘られたら終わりです。

あくまで自力でのエネルギー資源確保優先は、ある意味で妥当な判断かも知れません。

真珠湾から引き上げた日本軍は、孤立したアメリカ領フィリピンを制圧し、
東アジア沖の太平洋上の、全ての制海権を握ります。

そしてインドネシアに至り、今度はシンガポール、ビルマ、インドへと戦線を拡大していきます。

これなども、後々の人たちから悪く言われることですが、当時のこの地域はイギリス領であり、イギリスの軍事施設がかなりあります。
ですから当然、インドネシアへのイギリス軍の侵攻を、事前に防ぐ意味合いがあったはずです。

それならば、あの過酷な戦いの、全てのつじつまがあうのですね。

インドにて、イギリス軍を追い払ったところで、タイムアップでした。
復活したアメリカには、勝てなかったからです。

アメリカには石油資源があり、そして世界一の工業国です。
アメリカは急激に兵器を大量生産し、物量作戦を敢行しました。

ともあれ、石油さえあれば、当時軍事力世界一であった日本は、勝利していた可能性が高く、
決して無謀な戦いではなかったのです。

あくまで現場の戦略と、戦術の問題であるということです。

それは日本軍も、そして敵も重々承知でした。
ですからアメリカなどの連合国側は、ABCD包囲網などで、事前に日本の戦力をそぎ落としにかかっていました。

当時の欧米諸国たちは戦争=ビジネス論国家、否、
根っからの侵略者であり、そこら辺の感性には鋭いものがあります。
大正時代から、かなり長期間に渡って、綿密に、段階を追ってこの作業は行われております。

これは裏を返せば、それが必要であった・・・ということです。
つまり、それだけ日本は強かったということですね。

戦前日本への、あの過激なまでの反日キャンペーンは、
日本が悪い国だったからではなく、それだけ当時の日本が、強い国家だったからだと私は結論付けます。

これだと、全てのつじつまが合うからです。


どうすればアメリカに勝てたのか (日米戦争)

2013-06-16 09:58:00 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

日本は先の大戦で、当時の世界最強国と戦いました。
私たちは現在の視点で考えますので、どうしてもその判断が無謀に見えてしまいます。

しかし当時の日本の実質軍事力は、世界一です。
実質軍事力は兵器の性能と数で決まります。
その点だけに焦点をあてれば、軍事力世界一なのです。

この時代の日本は、一局地戦では、どの国にも負けません。
会戦当初の2年余り、日本は快進撃を続けましたが、これはまぐれではなく、真の実力です。
ただABCD包囲網等により、資源と資材の輸入ができず、戦い続けることができない状態に陥っていたのです。

侵略国家にとっての戦争は、ビジネスです。
ですから決して、自分たちより強い相手とは戦いません。
強い相手であるならば、相手を弱くしてから戦います。
肉食獣がえさの群れを撹乱し、弱い個体を狙うように、弱い部分を突いて勝機を探るのが侵略者の発想です。

さあ皆さん、第2次世界大戦時の侵略国家はどの国ですか?
日本は上記に当てはまりますか?
この時点で、バッチリ当てはまるのは、日本を侵略者呼ばわりしていたアメリカの方なのですよね。

とにもかくにも、日本・アメリカ両軍のこの時点での特徴から言って、日本が戦闘ができるのは長くて2年です。

では、そのような日米の軍事力の差、そして特徴を鑑みた時に、いかにすれば、当時のアメリカに勝つことができたのか。

方法は一つしかなかったと、私は思います。

真珠湾を日本軍は、電撃攻撃することに成功いたしましたが、
攻撃だけでなく、ハワイを占拠占領しなければいけませんでした。

占拠せず、攻撃だけして引き返したこと・・・。
これがアメリカに負けた、そもそもの原因だと私は考えます。

私なら、ハワイを攻撃した後、陸軍部隊を上陸させ、ハワイ基地を占拠します。

ハワイを占拠すれば、西太平洋の制海権は、日本が完全に支配します。
アメリカ領フィリピンは、それだけで孤立します。

西太平洋の制海権を納め、ハワイという中継基地を統治後、
ミッドウェー海戦などの、東太平洋上での海戦に望めば、恐らくミッドウェー海戦は楽勝だったはずです。
当時の日米の海軍力は、日本が圧倒的に上でしたからね。

東太平洋の海戦を制すれば、アメリカ西海岸に簡単に至れます。
そして、アメリカ本土の西海岸の諸都市沿岸を、戦艦で包囲した上で、アメリカとの交渉に望めば、
当時の彼らは白旗を振ったでしょう。

つまり、幕末の黒船の逆バージョンをすれば良かったと思います。
当時の日本の海軍力なら、それは充分可能でした。

当時のアメリカはまだ、現在のような世界の警察という意識はなく、
ただの戦争=ビジネス論国家(侵略国家)でしかありませんでした。
ですから、日本との戦争=割に合わない・・・ということがわかれば、彼らは割と簡単に日本に屈服したはずです。

日米交渉においては、フィリピン・グアムの独立、そして、ハワイ州、アラスカ州の、日本への割譲。
そして、欧米列強国側の、全ての植民地の開放と独立への協力要請をします。

これらを、アメリカに約束させます。
これらは、日本の戦争観=国防を具現化と、人種差別撤廃理念を具体化するものです。

ハワイ州とアラスカ州に日本軍が駐留すれば、当時のアメリカは太平洋侵攻ができなくなります。
それで充分です。

アジアの新規独立国は、一時的に日本の保護国としますが、随時、その国々の国家としての体制が整い次第独立させます。
アメリカがその独立事業に協力してくれるなら、軍事同盟締結の数年後に、
ハワイ・アラスカ州はアメリカに返還することも約束します。

ハワイ真珠湾攻撃。
電撃的な奇襲攻撃と言われておりますが・・・・ ・・・・・ ・・・・・・
私は、誠に惜しいことをしたと思います。

ここは最初ですけど、運命の分かれ道になりました。
恐らく当時の日本には、アメリカに勝利するよりも、大切なものがあったとしか思えない判断です。

勝つことよりも大切なもの。
それは、国を守ること・・・としか、思えないです。

                                     (続く)