土佐のくじらです。
私は今では、すっかり歴史ファンですが、昔はそうではありませんでした。
学校で習う歴史の授業は、面白いとは思わず、どちらかと言えば嫌いでした。
しかしある時から、「世界から何とか、戦争をなくせないものか。」と思い始め、歴史を学びなおす必要性を感じたのです。
戦争をなくすには、戦争の歴史も学ばなければならなかったのです。
私は偶然それにたどり着きましたが、よくよく考えてみれば、これは必然だと思います。
戦争の歴史や、歴史の教訓に眼を背けるだけでは、真の平和は遠ざかるのみです。
病気の研究なくして、健康にはなればいのと同じです。
さて、先の大戦で日本は大負けしましたけど、この負け方は通常の戦争ではあり得ないパターンとなっております。
それは、日本本土が守られていない・・・ということです。
これは、通常では考えられない陣形です。
戦争末期に日本は、B29の空襲などを、頻繁に受けるようになります。
この時点で、日本本土には、軍の上層部と国民を監視する憲兵くらいしか残っておりませんでした。
実働部隊のほとんどを、海外の戦地に送り出して、戦い続けているのです。
通常ですと、本土決戦に備えて、外地から兵を引き上げるところです。
大抵の戦争では、国の中心に行けば行くほど、一番手ごわい部隊で守っているものです。
ですから大抵は、最強部隊との対決は避け、国の中心部から離れた僻地において戦い、
そこで領地を取り合うのが、通常の戦争です。
しかし日本軍はそのようなことをせず、どんどんインド方面に戦線を拡大しています。
たとえば、サッカーで言えば、ゴールキーパー一人を残して、残り全てを攻撃にまわしているようなものです。
将棋にたとえれば、王将一人を残して、あとの手駒全てが攻めに回っている陣形ですね。
そんなのあり得ないでしょう?
サッカーでも将棋でも、ゴールや王将が危険となれば、攻撃陣も退却しますよね。
この時の日本は、これを一切しておりません。
とても、下手くそと言えば下手くそな戦いです。
どうしてでしょうか?
なぜこんな、ムチャクチャな陣形を選択したのでしょうか?
日本がたとえ局地戦最強軍であっても、これでは、”一度局地戦で敗れれば負け”になってしまいます。
事実アメリカは、一つの戦局に、日本軍の3倍の兵士と武器で対応しております。
人海戦術と、圧倒的な物量作戦です。
軍備の性能で劣る当時のアメリカは、この方法で勝ち始めました。
いくら最強日本軍でも、3倍の兵力では負け始めてしまいました。
私はこの日本軍の、不可解すぎる行動は、
当時の日本にとっての、「石油が確保できなければ結局は負ける・・・。」という現実認識、
そのものを現しているのではないでしょうか?
そうとしか思えないし、それだけしかつじつまが合いません。
石油さえあれば、当時の世界最強兵器製造を再開でき、いくらでも動かせます。
さすれば当時の日本軍の、局地戦最強という特徴から言えば、勝ち筋がいくらでも見えてくるのです。
この第2次世界大戦における日本軍の戦いは、現代においても重大な教訓を含んでいると思います。
「石油が手に入らなければ、日本は結局は負け。」
この法則は、今でも全く不変であるからです。
これは、昔話ではないのです。
今、現在、ただ今のことなのです!
今の日本は、東シナ海~アラビア海までの海上ルートで、9割以上もの石油資源を輸入しております。
いわゆる、シーレーンというものです。
もしもこのシーレーンが、日本と敵対する勢力によって、戦前の日本と同様に、民間船が攻撃されるような事態に陥って、
もしも日本に、石油が全く入らないことになったとすれば・・・。
その時日本は、その勢力に屈服するか、しゃにむに石油を取りに動くか、選択肢は二つに一つとなります。
これが歴史から学ぶ、これからの日本の選択です。
シーレーンの安全を、いかに確保するか。
これは現代、そして近未来の日本人にとって、極めて重要な選択のはずです。
これは日本が、石油を重要な産業基盤エネルギー源としている限り、この国と国民に付きまとう宿命です。
ですから日本人は、いつの世であっても、つらい歴史から眼を背けてはいけません。
歴史認識が甘ければ、現状認識も甘くなるのです。
ですから自虐史観は危険です。
これは日本が弱くなれば得をする勢力が、仕掛けた陰謀であると思っておいた方が良いです。
さすれば、つじつまが合うからです。
尖閣諸島は、東シナ海にあります。台湾もそうです。
尖閣諸島は、ただの無人島ではありません。
日本の防波堤です。
防波堤に切れ目ができれば、そこから川の水はいくらでも出てきますよね。
このたとえ話が、多くの方にご理解いただけることを切に願います。
現中国、中華人民共和国は、国家ができて以来、侵略の歴史しかありません。
その点において日本とは真逆の、バリバリの侵略国家の遺伝子を持ち続けております。
日本人はそろそろ、侵略と国防の違いを熟知することが、必要な時代に入ったことを悟らなければなりません。
日本を再び軍事大国にしたくなかったなら、そうさせない手立てを、着実に撃たなければならないということです。