土佐のくじらです。
今回はちょっと志向を変えて見ました。
今日の毎日新聞に、オスプレイ反対の意見広告が出たそうですね。
ということは毎日新聞は、オスプレイに反対という意思を持っているのでしょうかね?
オスプレイ反対派の意見の中心は、
「オスプレイには落下の危険があり、安全ではないから。」
というものであろうと推測いたします。
しかしオスプレイが危険なら、ヘリコプターはどうなるのでしょうか?
ヘリコプターは日常的に市中を飛行しており、オスプレイより見かける頻度ははるかに高いので、
「落下の危険」という観点ならば、こちらの方が重要ですよね。
ヘリコプターは、その構造上、どうしても重心が高いです。
エンジンやプロペラなどの重量物が、機体の上方にあるので、どうしても重心を下げることができません。
ヘリコプターは重心が高いので、エンジンを大きく出来ません。
また、燃料タンクも大きく出来ないし、人員も荷物も多くは積めません。
重量バランスが崩れて、危険度がさらに増すからです。
これは、ヘリコプターがヘリコプターであるがゆえの宿命です。
ヘリコプターは、この宿命から逃れることは出来ません。
ですからヘリコプターの落下事故は、しょっちゅう耳にするわけですね。
一方オスプレイは、構造上、エンジンやプロペラが機体の中央にあり、重量バランスが良いです。
ですからヘリよりも大きなエンジンが積め、燃料タンクも大きく、荷物や人員を多く乗せられます。
ヘリコプターよりオスプレイの方がスピードが速く、航続距離も長く、多くの積載量なのは、
ヘリコプターよりもオスプレイの方が、はるかに安全だからです。
オスプレイ反対デモをやっていらっしゃる方には、
私は、「ヘリコプター飛行に反対するデモ」も、同時に行って欲しいと私は思います。
土佐のくじらです。
私は何度も記事にしておりますが、歴史というのは史実です。
史実・・・つまり文章の記録ですので、常に勝者が書き、勝者に都合の良い記録だけが大量に残る欠陥があります。
それを踏まえない歴史教育は、一言で言えば 洗脳 であり、付け加えるならば カルト教育 です。
戦前日本の孤立化は、日本人の大部分が、軍部の暴走が原因と思っているはずです。
かつての私も、そのように思っておりました。
さすれば、日本の近代歴史教育が、そのような一定の意図を持って教えている可能性が高いと思われます。
しかし時系列で見れば、むしろ世界からの孤立化の流れの方が先で、軍部の暴走が後ですから、
世界から日本が孤立したから、軍部が暴走せざるを得なかった・・・
というのが、正しい歴史見解となります。
ここは日本の歴史を振り返る意味で、特に特に重要な部分です。
しかしそれを照明する歴史資料というのは、私の知る限りほとんど存在いたしません。
勝者が書く歴史資料の特性ですので、勝者に不都合な資料は、恐らく存在を抹消されていると私は思うのです。
ですが、それを照明する一つの歴史的事実があります。
第1次世界大戦直後の、1919年のパリ講和会議の議事録です。
これは国際会議という、世界的な公の会議であり、会議中審議をしているので、
議事録として奇跡的に残ったものと推測いたします。
その会議で日本側代表者は、
国際連盟規約に、『人種差別撤廃案』を盛り込むよう議案を提出しております。
つまり、
「国際連盟は、世界から人種差別をなくす運動をするべきだ!」と、日本は世界で始めて訴えたのです。
この案は、リベリアやアイルランドなどの賞賛を得、賛成多数を得ますが、イギリスやオーストリアなど、
白人系列強諸国の猛反発を受け、満場一致ならず・・・ということで廃案となります。
私は日本の孤立化の要因としては、第1次世界大戦中に諸国と軍事歩調を合わせなかった事実も大きいと思いますが、
この日本特有の、人種差別撤廃の国是・・・これも大きかったのではないかと思っております。
なぜなら当時の世界は、まだ植民地支配主義の時代であり、
人種差別を、他国支配の根底においていた時代であったからです。
日本は台湾や朝鮮半島などを領地として得ますが、植民地とはしておりません。
あくまで併合であり、本国同様の国民としての権利をいずれにも与えております。
ですから当時の日本は、建前上も人種差別をしない国家だったのです。
パリ講和会議においての日本は、明治維新以降の近代国家として地道な努力を積み重ねが実り、
不平等条約も第1次世界大戦後に完全撤廃しました。
当時の世界の優等生日本にとっては、満を帰しての提案だったでしょう。
しかし当時の世界の情勢からすれば、この日本の提案ほど不都合なものはありませんよね。
ですからこれが、日本孤立化の真の要因だったと私は思うのです。
日本が影響力のない国家、また国際的に信頼のない国家だったら、当時の国際社会(白人社会)も無視したでしょう。
しかし当時の日本は、既に国際社会からの高い信任を得ておりました。
人種差別国家VS人種差別撤廃国家の対立。
これ以外、過去の日本があれだけ世界中から非難され、孤立化したことへの、つじつまがどうしても合わないのです。
土佐のくじらです。
私は歴史は、つじつま合わせでないと理解できないと思います。
後々の勝者にとって、都合の良いことしか残らないのが、歴史資料だからです。
よく平和主義的な意見として、こういうことが言われます。
「第2次世界大戦では、日本は世界から孤立した。」
「世界からの孤立化が戦争の要因だ。」
「日本は世界と同調し、孤立化だけはしてはいけない。」
私もそれについては同調いたします。
ではなぜ戦前の日本は、世界から孤立したのでしょうか?
よく言われるのは、「軍部の暴走」ですね。
大部分の方々が、そういうイメージをお持ちだと思います。
かつての私もそうでした。
しかし、日本軍が時の政府の言うことを聞かなくなったのは、昭和5年からと言われます。
2.26事件という、軍部によるクーデター未遂事件が昭和11年(1936年)にありましたが、この頃から軍部は政府の言うことを聞かなくなります。
明治憲法(大日本帝国憲法)には、重大な欠陥があります。
それは、軍事力を誰がどう使うのかの規定がないことです。
(この欠陥は、現日本国憲法も同じです。)
明治憲法下では軍隊は天皇のものであるので、選挙で選ばれた政治家の言うことを聞く必要はなかったのですね。
シビリアンコントロール(軍部の文民統制)は、明治憲法下では違憲だったのです。
ですから昭和天皇は、当時の憲法下での軍部を押さえるために、
開戦直前に敢えて、軍幹部である東条英機を首相に任命したと思われるのです。
だとすれば、この人事のつじつまが合います。
そしてそれまでの日本外交は全て、日韓併合や満州国建国など、全ての事例は世界各国の承認を得ておりました。
日本外交は模範的とも言われ、特に軍部に関しての問題はなかったのです。
日本は国際的な不平等条約の破棄に向け、国際的な信頼を得るために、模範的な規律正しい外交をむねとしていました。
しかし昭和5年(1930年)以降、急速に軍部の暴走が加速しております。
これは皇軍の意識を持つ日本軍は、一般的な政府とは違う、元老=元勲の指示の元動いていたのですね。
元老とは、明治維新の立役者たちです。
彼らの意見は、天皇と同じと認識されており、日本軍は元老の指示の元、規律高い行動規範を有していたのです。
日本軍独走は、この元老たちのほとんどが亡くなり、影響力がなくなった時期と重なります。
しかし実は、その日本軍独走が始まる以前から、日本の孤立化は始まっているのですね。
第1次世界大戦終了直後の1921年に、ワシントン会議で日本はアメリカよりも低い比率で軍縮協定を結ばされました。
また1923年に、日英同盟は破棄されました。
日英米仏4カ国同盟に拡大されたことで拡大解消でしたが、結果的に日英の切り崩しとなりました。
この4カ国同盟は、当時のアメリカによる陰謀だと私は思っております。
そうだとすれば、その後の歴史のつじつまが合います。
ですから今後もしも、日米中三国同盟の話があれば、日本は拒絶しなければなりません。
それは中国による、日米同盟の切り崩し工作だと思っておいた方が良いです。
また翌年1924年には、アメリカで排日移民法が成立しております。
これらのように、日本が大正デモクラシーと言われ、静かな平和な時期を過ごしていた時期、
世界の模範的外交国家と言われていた日本の孤立化は始まり、進行していたのですね。
歴史の時系列を見る限り、軍部の独走による孤立化・・・ではなく、
日本の孤立化に対して危機意識を持った軍部が、有効な手立てを打てない、当時の政府を押しのけて行動した・・・
というのが、戦前日本の真相の一つではないかと私は考えています。
つまり、日本孤立化の原因は、軍暴走意外にあると考えなければならないのです。
土佐のくじらです。
一般的な人と人とのお付き合いであっても、大小様々な問題は発生したします。
まして、国と国であるならば尚更でありましょう。
価値観や文化が全く違うからです。
問題があって当たり前なのですね。
ですから、隣国から小さなことを言われようが、
究極的には気にする必要はないと、私は思います。
隣の国同士は、仲が悪くて当たり前・・・
これは世界では当たり前の中の当たり前。
常識中の常識であります。
お隣の国の世論を、いちいち気にし過ぎてはいけないのです。
むしろ堂々と、国家の代表者や、それを民主的に導くことを使命とするマスメディアは、
近隣諸国と渡り合わなくってはならないのですね。
そうであってこそ、むしろ仲良くなれるものなのです。
特に、中国や韓国など、お隣の国々の国民性は、
強い者には滅法弱く、弱い者には滅法強い・・・
というメンタリティーをお持ちの国々だと思います。
儒教文化が未熟な形で、中途半端に定着していて、
立場の上の者は下の者に対して、何をしてもかまわないという文化になっているのですね。
結果的に、とてもサディスティックで、いじめっ子性分な文化を内包しているのです。
そういう方々とお付き合いする場合には、決して弱みを見せてはいけないのは、
外交も、巷でのお付き合いでも、同じことであります。
諸外国では、たとえば・・・
(たとえが汚いかも知れませんけど)
食事中にゲップが出てしまったり、はたまたオナラがでてしまったりした場合、割とすんなり誤ります。
「失礼。」の一言が、すぐに出るのですね。
しかし、こと、お金が絡むと、彼らは絶対に謝りません。
そういう社会が、国際社会なのです。
下手に誤ると、賠償金が発生するとか、違約金を払わされる・・・
そういう、可能性をキャッチするだけで、絶対に誤らないのが、世界では常識なのです。
日本の謝罪外交は、完全に間違っております。
日本では、謝れば許してもらえる文化があります。
それは、日本人的美徳でもあります。
しかしそれは国際的には通用しません。
謝罪外交は、国益(日本国民の利益)を損なうだけでなく、日本人の命すら危うくする可能性もあるのです。
土佐のくじらです。
いつも拙文に、お付き合いいただき恐縮です。
ブログ開設以来、私は日本の近代の歴史を書き続けております。
私には、日本に定着している自虐史観が許せないからです。
日本には、自虐など必要ありません。
むしろ日本は、誇るべき歴史を有している、素晴らしい国です。
それを私は、「つじつま合わせ」という技法で綴っております。
歴史は史実の研究です。つまり、文章や史料がないと研究できません。
文字のない研究は、考古学や古代民族学でしょうか?
史実である歴史学においては、文章のないものは、「存在しないもの」と同じなのですね。
歴史は史学ですから、当然生き残った者が書きます。
ですから、歴史は必ず勝者が書くのです。
歴史は勝者が書きますので、敗者のことを良く言う歴史資料というのは、基本的に存在いたしません。
ですから、敗者側に回れば、たとえ素晴らしい人であったとしても、必ず悪く書かれていると思わなければなりません。
ですから史料や、勝者側の言う歴史観は、必ずしも正しいとは限りません。
また歴史はは史学であり、勝者(生き残った者)が書くという性格から、
いくらでも書ける・・・という特徴があります。
勝者側は権力や影響力を持ちますから、多量の文章を書き、キャンペーンをいくらでも張れるのですね。
ですから権力者側からすれば、残った史料が真実でなくても構わないのです。
むしろ、勝者に都合の良い史料が残るのが、歴史というものです。
ですから私は、歴史から正しい見解を得るには、史料はある意味無視し、
むしろそれらの背景や、前後のつながりを重視する以外の方法はないと思うのです。
たとえば、平清盛(たいらのきよもり)という権力者が歴史上にいましたね。
清盛には、かなりの悪人というイメージが、一般的には定着していると思うのです。
ですがそれは果たして、真実の平清盛像を表したものでしょうか?
平清盛のイメージを広めたのは、やはり「平家物語」でしょうね。
この平家物語は、鎌倉幕府の時代に、全国に琵琶法師が歌って広めたものです。
皆様、何かうさん臭いと思いませんか?
単なる自然流行で、多数の琵琶法師が、全国同じ方法論で「平家物語」を広めると思いますか?
おかしいです。
これは明らかに、大規模な組織的な動きです。
しかも全国展開しておりますので、かなり計画的で、費用も相当かかっているはずです。
私はこの、琵琶法師たちの動きは、鎌倉幕府による、平家アンチキャンペーンだったと推測いたします。
これだと一連の彼らの動きは、つじつまが合うのですね。
となるとこれは、逆の意味において、
時の幕府が総力をあげて、アンチキャンペーンを行わなければならなかった程、
平家、そしてそのカリスマ頭領、平清盛という政治家には、民衆レベルでも人気もあり、影響力も相当残っていた・・・
という推測が成り立つのです。
これが私流の、つじつま合わせの歴史観です。
まぁ、超ひねくれ見解でしょうね。(笑)
でもこの方が、歴史が読めるのです。
このつじつま合わせの歴史観によって今後、悪評高い戦前の日本への見解に、私なりに挑戦してみたいと思っています。
さすれば、
美しくも気高く、誇るべき先人たちの姿が、浮き上がって見えてくるのです。