土佐のくじらです。
私は、日本の歴史について、ず~っとエントリーを続けております。
まずは、日本国民の自虐史観をバッサリ斬っておきたいので、明治以降における近代日本の戦争に着目しております。
そしてやっと、日露戦争まで辿り着きました。(^^;
日露戦争は、まぁ相撲で喩えるならば、大横綱に小兵の平幕力士が、初対決で大金星をあげた・・・
みたいな戦争です。
猫だまし、けたぐり、はたきこみ、そして土俵際でのうっちゃり・・・
奇手、荒技、ありとあらゆる新戦法の連続で、出来すぎの結果の判定勝ち・・・みたいなところはありますね。(笑)
もちろん当時の日本も、戦争中そして、戦争に至る前に、並々ならぬ準備と努力をしております。
であるからこそ、ギリギリとは言え、この歴史上最大の国難を乗り切れたと思います。
その事前努力の最たるもので、そしてとても幸運だったのが、日露戦争直前に、日英同盟が締結できたことだと思います。
当時のイギリスは、世界のトップリーダーです。
7つの海の支配者であり、GDPはダントツの世界一、泣く子も黙るイギリス様でございます。
このイギリスの後ろ盾、戦争国債による戦費の協力なしでは、当時の日本は、とても戦えたものではなかったでしょう。
当時のイギリスから見れば、ロシアはGDP世界第2位、軍事力は事実上1位のライバル国です。
そしてロシアは、更なる国益を目指して、世界中に不凍港を目指して、進出をしておりました。
ロシアが冬でも凍らない港を持てば、一気に世界の覇を握るのは目に見えております。
ですから前回、前々回記事で述べたごとく、日本を対ロシアの防波堤にしようと思った・・・
そういう背景は、当時のイギリスにも当然あったと思いますね。
これは、戦争=ビジネス論的な視点ですね。
ただそれだけではなく、当時のイギリスに、日本を憎からず思っていた節は相当あります。
当時イギリスは、実は日本ファンであったのではないかと、私は想像します。
日本陶器で、午後の紅茶がステイタス・・・これが当時、イギリスで流行っていたことです。(笑)
陶器や浮世絵などを通じて、密かな日本ブーム・・・みたいなものもありましたし、
イギリスは薩摩との戦争(薩英戦争)や、長州との戦争(下関戦争)を通じて、日本人と心が通じて、
イギリス人は日本ファンになったんじゃないかと、私は考えているのですね。
イギリスは薩長と戦って、急に日本びいきになるんですよ。
薩長とイギリス・・・この関係が、その後の日英同盟に影響していると思います。
そして、日本とイギリス両国に共通することとして、共に島国国家である・・・ということがありますね。
島国根性というと、「視野が狭く、せせこましい。」などと思われて、決して良いイメージではないのですが、
私は別の意味で、とても誇るべきことだと思っているのです。
島国気質はね、とても他人に優しく、そして誠実な人になるのですよ。
それは大陸だと、どこへでも逃げられるじゃないですか。
ですから、他人にひどい仕打ちをして、たとえ恨まれたとしても、基本的にへっちゃらになっちゃうんですね。
基本的に悪い意味で一期一会というか、常時旅の恥はかき捨て状態・・・これが大陸では当たり前なのですね。
ですから、大陸の国々の国民性は、どうしてもえげつなくなるのですよ。
島国だと、生活圏がどうしても狭くなりますので、人に対して恨まれるようなことは、やはり出来にくくなくなりますね。
ですから、歴史上の大虐殺なんかは、ほとんど大陸で起こっていますし、
宗教的価値観も島国では、どうもチャランポランになる傾向があるように思います。(笑)
日本は、正月には神社で柏手を打ち、お彼岸とお盆にはお墓参り、そして年末にはクリスマスを祝うような、
世界でも例を見ない、宗教に寛容な(笑)お国柄です。
またイスラム教でも、島国インドネシアとご本家アラブ地方とでは、どう見てもイメージが違いますよね。
近代のイギリス王朝は、ローマカトリックから独立し、イギリス国王を宗主とするイギリス国教会というのを設立しました。
これなども、当時のイギリス王が離婚と再婚を認めないカトリックを嫌い、王様が勝手に設立したものです。(笑)
当時のイギリス王は、今の妻と離婚し、新たな妻をめとりたくて、カトリックから離脱したのですね。
驚くべきことに、当時のイギリス国民は、これにあっさり従いました。(笑)
ピューリタン革命がイギリス国民に嫌われたのも、その極端な純粋性が、イギリスの国民性と合わなかったからではないでしょうか?
イギリスの国教は、時のイギリス王朝の宗教とする・・・という不文律な~んて、チャランポランの極みですよね。(笑)
日本もそうですけど、宗教に原理主義的なものを、島国では嫌うのですね。
「誠実だが、良い意味で寛容な精神というのが、日英共通している文化かな?」と、私は思っているんです。
中国大陸と台湾でも、同じ民族なのに全然国民性が違いますからね。
日英同盟締結の折、時の明治天皇は臣下に、こう問われたそうです。
「イギリスの国民は、約束を守る民なのか?」と。
臣下は、こう答えたそうです。
「はい陛下。イギリス人は約束を守る民族でございます。」
そして明治天皇は、
「約束を守る民ならば、運命を共にするに値する。同盟を締結させよ。」とおっしゃった・・・という、日英同盟秘話がございます。
まあ、日本とイギリスとは、とても馬が合う・・・ということですな。(^◇^)
何はともあれ、日英島国同盟(笑)は無事締結され、世界最強国の後ろ盾の元、
日本は歴史上最大の国難に、立ち向かって行くことができたのでした。
土佐のくじらです。
前作記事の続きです。
朝鮮半島に、日本占領をもくろむ勢力が入ると、日本の国防は危機となります。
これは地理的条件ですので、日本人はこの運命から逃れられません。
これが日清・日露戦争の、日本側から見た要因です。
朝鮮半島の利権目的、侵略目的では、当時の清やロシアでは、リスクが高すぎです。
動機は、純粋に国防であった・・・としか思えません。
「ロシアは、朝鮮が手に入れば、念願の不凍港が手に入る。」
「だったらロシアは、それで目的達成でしょ?」
「それがなぜ、日本に占領に来ることにつながるのかなぁ?」
「土佐のくじらさ~ん、それは被害妄想だよ~。」
きっと、こういう人もいますよね。
でも、世界地図を逆さまにして良~く見てください。
これで、中国大陸側から見た、日本の位置がよくわかります。
大陸側の人々の視点で日本を見ると、日本という国が出口を塞ぐように存在しているのですね。
カムチャツカ半島から台湾までが、当時の日本の影響下にあるとしますね。
ロシアからすれば、朝鮮半島を占領し、念願の不凍港を手に入れたとしても、
日本という国の地形が、太平洋の防波堤の役割をしていて、完全に塞がれているのですね。
日本を占領するか、屈服させるか、仲間に引き込むか、
そのいずれかをしない限り、絶対にロシアは、太平洋に出られないのです。
そういう地形であるし、位置関係なのですね。
ですから、ロシアによる朝鮮半島占領→日本侵攻は、確実におこることなのです。
地形と、彼らの心の願いを読み取るならね。
同じように、アメリカから見たならば、日本を占領するか、屈服させるか、仲間に引き込むか、
そのいずれかしなければ、アメリカの極東進出は、絶対にできない地形なのです。
ハッキリ言って、これが太平洋戦争の要因だと私は考えるのです。
これは日本の地形の問題ですので、日本人はどうすることもできません。
我々は、受け入れるしかないのです。
これは日本が外交上、また国防上、どのような判断をするかで、
日本のみならず、アジア否、環太平洋にある国々の運命が変わってしまうということです。
世界の人々の生き方を決める上で、極めて重要な位置に、日本という国家があるということです。
ですからこれは、今現在においても、状況は全く同じです。
時代が変わっても、未来永劫日本は、この運命から逃れられないのです。
よく左翼主義的な思想をお持ちの方などは、「冷戦も終了したのに、何で今さら軍事の話など言うのか。」
「そんなのは時代錯誤もはなはだしい。」などと言いますよね。
しかし、
冷戦が終わったのが、国と国の政治的・経済的、そして軍事的バランスによってもたらされたものであるならば、
そのような平和はまた、国家間の政治的・経済的・軍事的バランスが変わることによって、当然崩れるものなのです。
戦後、長期にわたった冷戦が、あっという間に終わったように、
冷戦後の平和もまた、終わる時には、あっという間に終わると思っていた方が良いです。
世界の人口は、今後も確実に増え続けます。
増える人口に合わせて、食料やエネルギー、そして富の総量が比例して増えない限りは、決してバランスは保てません。
私には左翼主義者のよく言う、『時代錯誤』の意味が、全くわかりません。
冷戦終了時の中国はまだ、世界の貧国でした。
今中国は、世界第2の経済大国であり、軍事大国です。
北朝鮮は核兵器を持ち、ミサイル技術を手に入れました。
バランスは、冷戦終結当時と違っているのです。
ブッチャケて言うならば、もうバランスは崩れているのです。
左翼主義的教育信奉者は、地図も、人の心も、そして時代の流れも、全く読めない人たちであると、私は断言いたします。