土佐のくじらです。
さて、日本そして南北朝鮮に立ちはだかる最も重要で、最も懸念される歴史的事件が、
この日韓併合だと思われます。
まあ、彼らにしてみれば、これほど苦々しい歴史はないでしょうね。
それは理解いたします。
しかし、仕方なかったことだと思います。
明治のころの李王朝朝鮮という国家は、鎖国をしており清の属国でしたが、
まぁ、レベル的に言えば、せいぜい室町時代の日本・・・。それくらいの国家なのですね。
下手すると、弥生時代くらいの・・・これは言いすぎでしょうか。(笑)
儒教などの高等教育も、一応はありましたので、平安時代くらいでしょうか。
しかし近代世界において、それが果たして、国家と呼べるレベルであるのかは、
はなはだ疑問なくらいの国家が、李朝朝鮮であり大韓帝国です。
彼らが何と言おうと、事実は事実として認めていただかない限り、何も進歩はいたしません。
そして、誰も幸福にはなれません。
国家もそして国民も、自国に対して正しい見解を得ない限りは、次の正しい選択はできず、未来の幸福はないのです。
これは、日本も同じです。
はっきり言えば、明治ごろの朝鮮は、
1・清国の属国になり続ける。
2・ロシアの属国、または植民地となる。
3・日本の属国、または植民地となる。
4・日・清・ロ、この3国によって、国家が分断統治される。
5・日・清・ロ三国以外の、西洋列強諸国の植民地となる。
この5つしか、国家としての選択肢はなかったのです。
これは、江戸時代の日本が鎖国を続け、近代化の道を選択することなく、
封建制(地方自治国家体制)を続けていれば、日本も全く同じ結果になったでしょう。
朝鮮も日本と同様に維新を成し遂げ、近代化に成功することなくば、
植民地獲得競争で、欧米列強が覇を競っていたこの時代、朝鮮が国家として生き残り、
挑戦国民が自由な人生を生きることは、絶対に不可能だったのです。
時代は流れ、日清戦争が終わり、日本が朝鮮半島地域の主導権を握りました。
この時の日本の選択は、大韓帝国独立でした。
「朝鮮に国家意識を持ってもらい、独自防衛してもらう。」
これは、西南戦争以前からの日本の、対朝鮮外交方針でした。
これは、先に書いた5つの選択に入っていませんね。
第6の選択であり、日本が選択肢を創造したのです。
「いや、日本は元々、朝鮮を支配しようとしていて、一旦独立させたのだ。」
こういう、うがった見解をする歴史学者もいます。
しかし、どうしてそんな、回りくどいことをする必要がありましょうや!
当時の日本は、本心から朝鮮の独立を願っていたのです。
でなければ、日清戦争後すぐ、日本領にしてしまえば良かったのです。
日本の後ろ盾を得て、大韓帝国は国際的な独立をしますから、同様に日本が、「朝鮮を日本領にする。」と言えば、
それも、国際的な承認を得られたということです。
そして日清戦争終了後、日露戦争を経て15年後に日韓併合です。
15年ですよ!
結構な年月が経過しております。
実は日韓併合以前に、日本国内では 『征韓論』 が息を吹き返しました。
日露戦争中の大韓帝国政府内に親ロ派ができ、ロシアと通じていたのです。
はっきり言えば、韓国皇帝がロシアと通じ、日本の影響力を嫌い始めたのですね。
危うく日本は、ロシアと大韓帝国に、挟み撃ちに合うところだったのです。
西郷隆盛が訴えた、「朝鮮が反日に転化すれば、一体どうするのか!」という心配が、現実化したのですね。
この新たな征韓論を、日本国内で抑えていたのは、初代総理大臣伊藤博文ただ一人でした。
伊藤は、西郷隆盛の征韓論に反対した政治家です。
最後まで、理想主義的な対韓外交を貫き、日本国内の新征韓論を封じていました。
しかしこともあろうに、朝鮮の安重根(あんじゅうこん)は、
唯一の韓国独立派の実力政治家伊藤博文を、暗殺してしまったのです。
これで、大韓帝国の運命は決定付けられました。
日本の戦争観は国防です。
そのスイッチを、入れてしまったのですね。
大韓帝国は自ら、第3の選択を選んでしまったのです。
そしてそれは、国際社会から承認を得ました。
日本はイギリスとの同盟国です。当時の日本は、国際的な信用も絶大でした。
また、いざとなれば世界最強の同盟国、イギリスが介入したでしょう。
朝鮮をできれば、親日派の独立国家として付き合いたかった・・・
この日本の思いは、日韓併合という形で現れます。
保護国や植民地、属国としてではなく、
韓国民に、一国民としての権利、市民権を保障したのです。
日本列島の国民と、朝鮮半島の人々との権利は全く同じものでした。
現場では、様々なことがありましょう。軋轢も多かったでしょう。
しかし国家としての建前は、民族差別をしない、進歩的・理想主義的なものだったのです。
これは明治政府の目指した外交方針が、世界から、民族差別をなくす・・・というものであったからです。
朝鮮半島の皆様には、よくよく考えていただきたいのです。
当時、自らの手で、近代化の選択をし、それに成功しなければ、
先に書いた5つの選択肢しか、あなた方には残されていませんでした。
どの選択肢が良かったですか?
チャンスはありました。
しかし、チャンスはご自分たちの手で葬り去りました。
どうか、本気で考えてみてください。
どの選択肢が、あなた方はご希望でしたか?
日本は、自国の英雄を葬り去ってでも、あなた方の独立と近代化を願っていたのです。