土佐のくじらです。
私は日本は、自虐史観を持つ必要はないと考えます。
大東亜戦争=太平洋戦争において、日本はアジアに進出し、アジア諸国を荒らしまわった・・・
これが教科書的に語られる、旧日本軍のイメージですね。
しかし、当時はアジアには、諸国・・・というものはなかったのです。
これは抑えておかなければならない、超重要ポイントであります。
当時、アジアには、今現代日本人がイメージするような国家は、一つも存在してはいないのです。
前回記事でチラッと述べたフィリピンは、アメリカ領です。
ということは、今のフィリピンは、アメリカだったのです。
ベトナムなど、インドシナ半島諸国はフランス領です。
インドネシアはオランダ領、シンガポール以西はイギリス領です。
これらアジア諸国で独立国家だったのは、日本とタイだけです。
中国は一応、中華民国という政府が国際的な信任は得ておりましたが、とても国家の体をなしていたとは思えません。
国際的な信任とは、当時の強国の信任を得ておりましたので、中国国内は欧米列強のやりたい放題の状態でした。
中華民国政府は、欧米列強諸国には逆らえなかったと思います。
つまり、日本とタイ以外は全て欧米国、しかも敵側の連合国だったのです。
もちろんそれらの地域には、フィリピンにはフィリピン人、インドネシアにはインドネシア人ら、
それぞれの地域に、それぞれの住民は住んでおりました。
しかし彼ら植民地人には、自前の軍隊はあるわけありませんよね。
非占領民ですから、自前の軍事組織はありません。
なぜフィリピンが、アメリカだったのですか?
なぜインドネシアが、オランダだったのですか?
それは、侵略したからですよね。
それ以前には、それぞれの地域に、独自の文化文明を持つ民族が、独自に暮らしていたのです。
日本軍はそれぞれの地域を、長年侵略していた白人たちと戦い、追い出したのです。
日本軍は地域住民を殺しません。
日本は私がイライラするくらい、国際法を遵守する組織です。
非戦闘要員は殺しません。
非戦闘要員を殺めても戦況に変化はないし、資源目的での戦闘で、武器弾薬がもったいないので残虐行為は禁物ですよね。
日本は、アジア諸国を侵略しておりません。
開放し、統治したのです。
その証拠に、旧日本軍はアジア諸国からは、解放軍と認知されております。
その証拠に日本軍は、インドネシアにおいては、地元住民によるインドネシア軍の創設に尽力しております。
このインドネシア軍の創設が、戦後のインドネシア独立に、大きく貢献しました。
オランダからインドネシアを奪い、代わりに侵略しようという理念であれば、地元住民に軍事力を持たせるはずはありません。
占領が目的ならば、みすみす非占領民に、反乱の機会を与えるようなバカなことはしないはずです。
アジア諸国で迷惑をかけられ、ひどい目にあったのは、本来侵略者であった連合国側であり、
アジア諸国を荒らしまわった日本軍のイメージは、これら連合国側のプロパガンタの結果であると思います。
であるならば、歴史のつじつまが合うのです。
土佐のくじらです。
一般的に日本人は、とても歴史好きだと私は思います。
毎年年がら年中やっている、NHKの大河ドラマは歴史物オンリーですよね。
それは歴史ものの番組は、視聴率が安定的に取れるということです。
このような歴史好きの国民は、他には存在しないと私は思います。
そんな日本人であっても大っ嫌いな時期が、この昭和初期第2次世界大戦のころです。
それは知れば知るたびに、落ち込むからです。
この時期が好きな人は日本では即、軍国主義者のレッテルが貼られてしまいます。(笑)
しかしそれは、戦勝国である連合国側の陰謀かも知れませんよ。
それは、真実を精査すれば、彼らにとって不都合すぎるできごとがあるから・・・。
そういうミステリーを含んだものであったなら、この時代はおもしろいと思いませんか?
大衆レベルで人気のあった政治指導者平清盛に対する、鎌倉幕府側のアンチキャンペーンが、
あの平家物語の真相だとすれば、この時期の日本の暗黒史観の、過剰な演出も理解できなくもありません。
ともあれ、全世界が寄ってたかって、不都合な真実を隠そうとしている部分を暴くのは、
一人の歴史オタクとすれば、これほど楽しいことはございません。(笑)
さて我々日本人は、かつての日米戦争を、「太平洋戦争」と勉強しておりますね。
しかしこれは、アメリカ側から見たこの戦争観から来た戦争名なのです。
おそらく戦勝国であるアメリカ側から、押しつけられたはずなのですね。
歴史は勝者が書くからです。
日本ではこの日米戦争は、「大東亜戦争」と呼んでおりました。
この戦争名の違いは、何を表しているのでしょうか?
太平洋戦争・・・という名前には、太平洋を股にかけた戦争・・・というイメージがあります。
日米両国の間には世界最大の海、太平洋がありますので、そのままのイメージ通りですと、
日米の対決の結果、アメリカが勝利した戦争・・・ということですね。
おそらく大部分の日本人には、このイメージが定着していると思います。
平家物語で、平清盛悪人説が日本に定着したように、この太平洋戦争という呼称の定着も、日米の直接対決をイメージさせるものですね。
一方日本側の名称は、「大東亜戦争」です。これは、広範囲の東アジアにおける戦い・・・という意味になりますね。
大東亜戦争に、日米戦争が組み込まれている訳です。
これをまじめに解析すると、
アメリカ側には、日本と戦っていた・・・という認識になりますし、
日本側からは、アジアの戦いが主で、アメリカとはついでに戦っていた・・・という認識の違いが読み取れます。
この戦略の違いを理解することが、あの戦争を読み解く上で、とても重要だと私は思うのです。
つまり、「太平洋戦争」という呼称には、アメリカと戦っているのになぜ同時に日本は、アジア進出しているのか・・・を、
解らなくさせる効果が十分にある名称なのです。
実は当時の日本は、アメリカとは本腰では戦っていなかったと私は思うのです。
戦勝国アメリカにとっては腹立たしいことでしょうが、これは当時の軍事予算の配分にも現れています。
対アメリカ戦線への予算は、全軍事予算の、せいぜい2割程度なのですね。
そのほとんどを、中国大陸戦線に使っております。
それが現すものは、当時の日本にとって、アメリカを懲らしめやっつけることよりも、中国大陸での戦いの方が重要性があったということに他なりません。
中国大陸での戦いの真相は、インドネシアに通じる石油ルート確保のための、中国大陸の港制圧が私の見解です。
今で言うなら、シーレーンの確保ですね。これに8割近い予算を投入しています。
ハワイ真珠湾攻撃も、アメリカ領フィリピンへの補給路を断つ以外には効果がないと思われます。
それによって、フィリピンからアメリカ兵を追い出せ、この地を制圧できました。
インドネシアルート確保のために、フィリピンからアメリカを追い出す目的で、
宗主国であるアメリカに宣戦布告したとしか、私には思えないのです。
私は思うのです。
当時の日本がもしもアジア戦線をとりあえず沈静化させ、アメリカと一騎打ちができていれば、
日本はアメリカに勝利していた可能性が高いと。
もしもそうならば、今一度この戦いの動機を洗い直し、戦略と戦術面にまで踏み込んだ全貌の精査が必要であると思います。
でなければ本当の意味で、歴史教育にはならないし、今後の日本の選択における、重要な教訓を学ぶことにはならないと思うのです。
日本には、「戦争責任」はありません。
あるのは、「負けた責任」があるのです。
日本にとって石油の独自ルート確保が目的ならば、重要な国防論議です。
それは今でも変わらないはずです。
侵略ならば、戦況を見て判断し、ヤバくなれば退却すれば良いのです。
国防の戦いには、負けは許されないのです。
土佐のくじらです。
日本人が心の中に形成している自虐史観は、日米戦争=無謀な戦いと思う気持ちからも発生しているはずです。
確かにアメリカは当時も今も強国です。
しかし、見方を変え、現場レベルで考えるならば、話は違ってまいります。
ここの見解を日本人が乗り越えたとき、その時始めて日本人は、歴史について真の反省ができると私は思うのです。
私は歴史、特に戦争のことばかり記事にしていますが、誤解しないでくださいね。
私はこれでも、筋金入りの平和主義なのです。(笑)
戦争をしたくないなら、絶対に戦争を研究するべきです。
医者は病気を治すのが仕事ですけど、彼らは病気について、そして病気の原因について、常に研究しているはずです。
平和への構築も同じなのです。
なぜ戦争が起きたのか。
なぜ戦争にある時は勝ったのか。
勝った時には、どうすれば良かったのか。
なぜ負けたのか。どうすれば負けなかったのか。
そして、どうすればひどい負け方をしなくて済んだのか。
これらの検証なくして、平和を語るなかれ!なのですよ。
少なくとも私は、そう思っております。
左翼主義的平和主義者というのは、私に言わせれば、エセ以外の何ものでもありません。
検証せずして、どうして目的が達成できましょうや。
検証せずしては、
健康にもならず、入学試験も通らず、事業も成功しないはずです。
なのになぜ、戦争を考えるだけで平和が崩れるがごとき思考停止状態を平和主義などと呼べましょうや。
はっきり言えば、左翼主義的平和主義というのは、それは思考停止であり、判断不能でしかないのです。
それは最も危険な思想なのです。
前回記事で、日本は第2次世界大戦当時、一戦闘、一局地戦においては、無敵の軍事力を有していた・・・と述べました。
これは事実です。
それが証拠に、日米開戦後、2年余りは、日本軍が優勢だったはずです。
これは、マグレでも何でもありません。
当時の両国の、実力そのものであります。
開戦当時の日本の海軍力は世界一、陸軍力も世界一、空軍(当時は陸海航空隊)も世界一です。
ですから、戦略と戦術次第では、勝てた戦いでもあったのです。
ただ、一戦闘においては無敵でも、日本軍には大きな欠陥がありました。
日本軍は、戦い続けることができない、軍隊組織だったのです。
それは、ABCD包囲網などによる、資源と資材輸入が輸入できなかったかたです。
もう大量に兵器を作ることができなくなっており、現実的には、手持ちの兵器と燃料のみで戦わなければなりませんでした。
日本軍の優位は、兵器の数と性能が、当時の世界ではずば抜けていたことです。
兵器に性能差があれば、一局地戦においては、負けるはずがありません。
戦争は、一局地戦の連続・・・ととらえれば、勝てない戦ではなかったということです。
有名な戦闘機、ゼロ戦などと当時のアメリカの戦闘機を比べると、レーシングカー(ゼロ戦)と、市販のスポーツカー(アメリカの戦闘機)ぐらいの性能差があったのですね。
ただゼロ戦は、飛び抜けた性能を誇ってはおりましたが、運動性能を極限まで上げるために、かなり無理して軽量化しておりました。そしてとても操縦が大変難しかったのですね。
ですから、相手の銃弾が当たると墜落しやすく、戦いにおけるパイロットの死亡率も高かったのです。
アメリカの戦闘機は、重く動きも緩慢でしたが、操縦が容易で安全性も高く、パイロットの死亡率は低かったのです。
長引く戦争で、ゼロ戦の数も減りました。そして、優秀なパイロットも戦死してあまりいなくなると、
ゼロ戦と言えども、その性能を十分に発揮できなくなってきました。
レーシングカーと言えども、運転技術のない者が乗れば、運転の難しいただの四輪車に過ぎません。
燃料も底を尽き、そして最後は・・・神風特攻隊になるのですね。
一方アメリカは、世界最大の工業国でしたし、豊富な資源がありました。
いくらでも武器弾薬、そして物資の補給ができました。
いくらでも、手駒を作って戦える将棋のようなものです。
長期戦になれば、絶対に敵う相手ではありません。
日本・アメリカ両軍の、この特徴から言って、最高で2年間しか、日本は戦闘ができない状態だったということです。
さああなたが、日本の宰相ならばどのような判断を下しますか?
手持ちには、世界最強の兵器があります。
備蓄資材には、もう限りが見えております。
欧米列強の嫌がらせは激しく、アメリカからはハルノートが届けられました。
これを飲めば、事実上欧米列強の支配体制に組み込まれます。
このギリギリの判断の結果が、昭和16年12月開戦に繋がったのです。