土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

歴史の分岐点 (日露戦争)

2013-06-05 19:00:00 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

今日も歴史について、綴って参ります。
ここ数日は、日露戦争に焦点が当たっております。

日露戦争に関しては、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』などの歴史小説、そして、上智大名誉教授の渡部昇一氏も、数多く論評を発表しております。

歴史には必ず、”分岐点”というものがございます。
”その時、歴史が動いた!!”というポイントですね。

幕末で言えば、”薩長同盟”がそれに当たるでしょう。
具体的に言えば、薩長同盟締結後初めて行われた、第4次長州征伐に、長州が幕府に勝利したことが、その後、一気に倒幕に傾いた、”歴史の分岐点”でした。

その時、長州藩は幕府軍に完全包囲され、正に”風前の灯”でしたが、薩摩名義で輸入した、”新型の兵器”によって、幕府に勝つのですね。

「戦は人数でない。兵器の性能だ!!」
「さすれば、一地方藩でも、幕府に勝てる!!」

この現実を、実績として実際に見せたことが、日本人の心に「幕府畏るに足らず。」と思わせてしまいました。
結局これが大きかったと思いますね。

日露戦争、そしてその戦争での日本の勝利というのは、世界史的に見ても、大きな大きな分岐点となりました。
それは薩長連合軍と、心理面でのメカニズムは全く同じだと思います。

要するに、
「有色人種であっても、白人に勝てるのだ。」

日露戦争は、このことを世界に人々に示して見せた、大航海時代以降、初めての戦争だったのです。

それまでは、”白人優位説”というものがありまして、
「白人は進化している種族であるから、それより劣る有色人種は白人には勝てない・・・。」
そういう思い込みを、世界の人々は長きに渡って続けてきたのですね。

※実は、ダーウィンの進化論は、この白人優位説の理論的根拠に利用され、世界中に広がりました。

日本の勝利は世界から、「優劣は、人種の違いではないのだ・・・。」ということを、
戦争に勝利するという事実で、完全に価値観を覆し、白人優位説の理論的根拠を、人々の心から根こそぎ葬り去ったのです。

今世界では、○○国の植民地・・・といのは、地図上からは、ほぼ消え去っております。

その植民地主義を、歴史の彼方に押し込む原動力となったのが、先の第2次世界大戦であり、その発端となったのが、日露戦争の日本の勝利なのです。

これは、日本が悪者であったとかなかったとか、そういう一人一人の主観を超えて、歴史的な事実であります。

白人に初めて戦争で勝った有色人は日本人・・・。この歴史的事実は、もう変わりません。

しかしこの事実は、これからの日本の社会的地位の変動によって、その後の評価は変わります。
なぜなら、歴史の史実は、強者が書くからです。

再びどこか一部の国家による、覇権主義的な価値観で世界が支配され、統一されるようになれば、日本の歴史的偉業は、
「日本のために、世界は分裂し、秩序が失われた。」と言われることになるかも知れません。

なぜなら、日露戦争当時は、植民地主義的覇権主義の時代であり、白人以外の人間には、事実上自由はなかったからです。
それを各民族が、それぞれに尊さを持って生きられるような世界の流れをつくったのは、かつての日本です。

第2次世界大戦に、たった一度だけ負けた日本は、それまで築いてきた日本的価値観を否定され、未だそれを覆すには至っていません。
故に、自虐史観に翻弄されているのです。

ですから我々はどうしても、この ”地上的価値観戦争”に、勝たなくてはなりません。
それが、日本の未来の子孫たちの、国際社会での自由を保証するのです。


知られざる最大の親日国 トルコの仁義

2013-06-05 07:30:00 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

昨日は、日露戦争前に同盟関係を結んだイギリスの話でした。
今日はトルコです。

実はこのトルコ共和国、世界一の親日国なのですね。
トルコは東日本大震災の時にも、その年の和歌山県を襲った台風の時にも、支援物資や義援金を送って下さっています。

トルコは、ギリシャとイラクにはさまれた、ヨーロッパとアジアの境に位置する小国です。
かつてはオスマン帝国(オスマン=トルコ)という、巨大世界国家でもありました。

国教はイスラム教。
しかし、近代的な西洋法を備え、食べ物の豊富な国で、国民性も明るいです。

なぜ日本人にはなじみの薄い、遠い国トルコが、世界一と言われるほどの親日意識を持っているのでしょうか?

それは彼らが、恩を忘れない人々だからなのですね。

明治初期1890年オスマン=トルコは、皇族・小松宮夫妻の訪土の返礼として、トルコ軍艦エルトゥール号を、わが国に派遣してきました。
その帰途、和歌山県串本市沖合でエルトゥール号が座礁、機関部が爆発して沈没したのです。
生存者は67名、死者589名という大惨事でした。

現在の和歌山県串本町の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たりました。
この時台風で出漁なくて、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず串本の住民は、
浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの救護に努めました。

この結果、串本の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することができたのです。

遭難の翌朝、事件は村長に伝えられ、村長は神戸港の外国領事館に援助を求めて、
生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配するとともに、県を通じて日本政府に通報しました。
(ということは、嵐の中での救援活動は、住民の自主的な活動だったのですね。)

知らせを聞いた明治天皇は、このトルコ艦隊の遭難に大いに心を痛められ、政府として可能な限りの援助を行うよう指示なさいました。
当時の各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、多くの義援金・弔慰金が寄せられたとのことです。

こうして遭難者に対する支援が、政府をあげて行われ、69名の生存者は一旦東京に送られた後、
日本海軍の「比叡」と「金剛」で、翌年の1891年1月2日に、オスマン帝国の首都・イスタンブールに送り届けられたのです。

これはトルコでは有名な、エルトゥール号遭難事件として、トルコの小学校の教科書に載っている内容だそうです。
(ということは、トルコ国民は皆、この話を知っているということです。)

トルコは日露戦争の際には、黒海から出航するロシア艦隊を封じてくれています。
この時に、当時の日本政府から、トルコへの協力要請はありませんでした。
トルコは自らの判断のみでロシアと戦い、日本を助けてくださいました。

また、第一次湾岸戦争の際には、イラクから非難できなくなった日本人を、トルコ航空を使って救出してくれているのです。
軍用機でも、大統領専用機でもありません。トルコの民間機です。

当時のイラク大統領サダム・フセインは、「○月○日以降、イラク上空を飛ぶ全ての航空機を攻撃する。」と、言っていました。

この時、日本政府はイラクにいる邦人に対して、何もできませんでした。
しかしトルコ国民は、命がけで日本人を救出してくれたのです。

私たち日本人は、恩知らずの国民になってはいないでしょうか?

日本人はトルコをはじめ、世界の多くの方々から愛され、期待されていることに気付かぬだけでなく、
その熱い視線を無視するような、冷たい国民になってはいないでしょうか?
日本国民は、もっともっと世界に対して、愛と感謝の思いに目覚めないといけないと思います。

少なくとも、トルコの日本に対する熱い視線は、100年を超えるものがあるのですね。
真の友情関係になれる国は、私はトルコだと思います。

トルコ以外にも、インドやウクライナ、インドネシアやロシアなど、親日国は実に多いのです。
否、中朝韓以外は皆、親日国と言っても過言ではないです。

反日国家である中朝韓が、世界の人々から好かれているかどうかは・・・。
まぁ、言うまでもありませんよね。(笑)

自虐史観など無意味です。
日本の皆さん、自信と誇りを持ちましょう!