土佐のくじらです。
前回記事で、つい長々と書いてしまいましたが、要するに日中戦争には、日本側には侵略的な動機がないことが言いたかったのです。
当時の日本は世界から孤立し、連合国側のABCD包囲網などで、石油がほとんど輸入できなくなっておりました。
ですから当時の日本が、石油は喉から手が出るほど欲しかったのはわかりますが、戦争相手の中国からは石油は産出されないのです。
ですから、その点に焦点を合わせれば、当時の中国は戦っても得るもののない相手なのです。
私はこの謎多き日中戦争の動機は、「もしかすると、北部と南部では違うのではないか。」と考えております。
しかし南北で同じものもあります。
それは、「日本は中国政府とは戦っている意識はなかったのではないか。」とも思っております。
???ですか?(笑)
もう少しお付き合いください。(^^;
では、今回は北部に焦点を当てますね。
中国北部戦線では、満州国に滞在していた関東軍が戦っております。
関東軍とは、要するに満州国への日本からのレンタル軍です。
満州国を建国する前には、満州鉄道を通じて、日本がこの地を実効支配しておりましたが、
清王朝消滅の後、この地に満州民族の国を建国したのです。
清王朝は、満州民族の王朝でした。
要するに清の復興を、彼ら本来の居住地に、日本が新設したのですね。
満州国は出来立てほやほやの新設国家でしたから、自前の軍隊がまだありません。
ですからその時に実効支配していた関東軍が、満州軍を兼務していたのです。
満州に関東軍がいれば、ソ連軍の南進を防ぐことができ、日本の安全保障上も有利でした。
日満両国にとっては、Winwinな関係だったのですね。
さて、世界地図を見ると、国境線が書いてありますね。
そして、「国境線を不要に越えること、また国境線を越えて軍事行動を起こすことはいけないことだ。」
という認識を、読者の皆様は当然のように思っていますね。
世界でもこの価値観は、今では常識でございます。
しかし、
この価値観が世界に定着したのは、第2次世界大戦後なのですね。
この価値観を戦前に持っていたのは、当時では日本だけだったのです。
ある意味でこの部分においても、世界は日本化したのです。
(その要因は、また後日改めて。)
当時の世界では、軍事力などの拮抗するところが、事実上の国境でした。
世界では侵略戦争に慣れているので、取ったり取られたりしているうちに、
軍事境界線ができて、自然に国境が落ち着くのが、戦前では当たり前でした。
国際的に決まった国境線を厳密に守り、その範囲内で国家の生業を立てていたのは、当時の世界では日本だけだったのです。
それが、決まってしまったものは守るという民族性なのか、海に囲まれた歴史で、国境線に慣れていなかったからなのかは、
私にはわかりかねるところでございます。
つまり、皆さんが描いてきた、中国という国境線に囲まれた国が、当時に存在したのではないのです。
当時の中国大陸では、国際的には中華民国と言われている国家があって、それと日本が戦ったというイメージがありますけど、
実際の中華民国政府というのは、中国南部の首都南京を中心とした、狭い範囲しか実効支配しておらず、
その他の地域は、各地域の軍閥が支配していました。
軍閥とは、日本の戦国時代の地侍集団、野武士集団、山賊みたいな軍事集団です。
ですから軍閥は、侵略行為も朝飯前で、戦闘は日常茶飯事でした。
中国北部では、厳密に故郷線を遵守する関東軍と、国境の概念の全くない軍閥との小競り合いが、頻繁に起こったはずです。
そしてこの中国北部地域には、地理的にとても重要なことがあります。
今の北京は、清王朝の首都でもあるのですね。
その時には軍事境界線の関係や、国際的な約束事で決めた国境線があり、北京は満州ではありませんが、
北京は本来、清(満州民族)ゆかりの地なのです。
漢民族は寒いのが苦手なのか、本来の居住地は、黄河以南なのですね。
今の中華人民共和国の首都は北京ですけど、漢民族の首都としては最北の地です。
ちなみに中華民国の首都は南京で、随分と南部ですよね。
ですから日本が実効支配して以来、インフラも整い、急に豊かに近代化した満州の富を、
この地を軍事的に支配していた軍閥が狙い、いざこざが耐えなかったことから端を発した戦闘が、
ついには満州民族の失地回復に至ったのが、中国北部戦線の真相の一つではないかと、私は推測いたします。
要するに、関東軍が国境線を遵守している限り、軍閥はやばくなったら、満中国境から逃げれば良いのですから、
満州の関東軍側からすれば、いつまで経ってもラチがあかないわけですね。
一気にこの地の軍閥を追い払い、大幅に軍事境界線を拡大すれば、日本本土の国防上極めて重要な満州を守れるのです。
やはり日本の戦争観=国防からの戦闘だと思います。
当時の中国北部より、満州国の方がはるかに豊かなので、単純な侵略をする意味がないからです。
今尖閣諸島あたりで、中国の船や飛行機がウロウロしておりますが、当時も今と同じような状況下にあったと思われます。
侵略的発想をする者に対しては、その気をなくさせることが重要です。
現時点では、沖縄から米軍基地を移転することは危険です。
これが歴史から学ぶ、正しい選択です。
土佐のくじらです。
今日からは近代日本の歴史、最大のミステリーに挑戦いたします。v(^^)
それは日中戦争です。
明治時代の日清戦争とは違います。
昭和のはじめ、太平洋戦争以前から始まる、中華民国との戦闘状態のことです。
日中両国とも、宣戦布告をしておりませんので、「日華事変」とも言われておりますね。
このころの史実は、世界的には日本悪玉論で渦巻いておりますし、日本側の史実は軍国主義的色彩一色です。
ですから現代の日本人は、日本の近代史は大嫌いだと思います。
かつての私もそうでした。
そしてやはり、肝心なことはわかりません。
それは、
なぜ当時の日中は、戦う必要があったのか・・・ということですね。
この問いに、今の日本人が説明できないところに、実は自虐史観が入り込む余地があるのだと、私は考えるのです。
この時点で日本は、すでに世界から孤立しておりました。
軍部の暴走が孤立化の原因ではありません。
孤立化したから、無能な政府に業を煮やし、軍部が暴走しはじめたのです。
時系列的にはそうなります。
当時の日本の対外政策の基本は、”世界から人種差別をなくす”でした。
結局これが、世界から日本が孤立しなければならなかった大きな理由だと私は思います。
パリ講和会議で、日本がこの議題を提案してから後、アメリカの日本への嫌がらせが、急に始まっております。
世界は他民族、特に有色人種への差別によって白人の立場が保障されており、着実に発言力を増す日本の提案は、
当時世界を支配する白人社会から、相当警戒されていたことは、間違いないことだと思うからです。
アメリカは移民排斥法などを立法化し、合法的に日本人移民への締め付けを強めました。
そして最後には、日本への石油輸出を完全に止めました。
これが人間のすることでしょうか?
当時日本は石油を、ほぼ100%アメリカから輸入していたのです。
砂漠の民の国に、水を輸出することを止めればどうなりますか?
作物が一切取れなかった国に、食料輸出を完全に止めればどうなりますか?
それは、「あなたたち死になさい。」と言っているのと同じですよね。
こういうことをアメリカは、当時の日本にやったのです。
えげつないにもほどがありますよ。
そしてABCD包囲網(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)と連携して、日本への石油輸出を、世界ぐるみで止めたのです。
当時の産油国は、のきなみ連合国側の植民地でしたので、日本は国の命である石油を、完全に封じられたのです。
完全な兵糧攻めです。普通の国なら降参したことでしょうね。
これほどの憎しみを、当時の日本に世界列強が日本に向けたのは、よく言われるところの、
”着実に領土を広げていたから”だけでは、全く説明がつかないのです。
日韓併合も、満州の独立も、当時の世界は承認しています。
きちんと手続きを踏んでいることなのですね。
日本が本格的に領土拡張し始めたのは、孤立化が本格的になり、石油が輸入できなくなってからなのです。
そしてこれがこの後の、石油の自力確保の選択が、第2次世界大戦という、つらい戦いの原因だと思います。
でなければ、あれほどつらい戦いをしたことへの、つじつまが全く合わないのです。
ではなぜ、アメリカに先立ち日本は、中国と戦わなければならなかったのでしょうか?
中国からは、日本が渇望する石油は産出されないのです。
全然つじつまが合いませんね。
日本は人種差別撤廃を、国の基本とする国家です。
なのになぜ中国と戦ったのでしょうか?
日本人は侵略を嫌います。
それは日本は、戦争=国防という価値観を持つからです。
ゆえに、国防線が広がる領土拡張を嫌うのです。
それは今、尖閣や竹島などで、「無人島だから、上げちゃえば良い。」という意見も強いことからわかります。
日本人は基本的に、領地に無頓着なのです。
また日本人は、他の民族を虐げたり、見下したりすることも嫌います。
日本人の主流は、他の民族に気を使う人たちなのです。
気を使うがゆえに、侵略して他の民族とかかわることも厭うのです。
だから日本人は侵略を嫌うし、自国は基本的に豊かなので、他の土地を取る必要もないのです。
これが日本人です。
また日本では、強い立場の人は、人徳がなければならないです。
立場の上の人であれ、ただ偉そうにしているだけでは、日本ではヒンシュクを買います。
強い立場の者は、弱い立場の人たちに何をしてもかまわないというサディスティック文化は、
中国や朝鮮半島の文化です。
彼らはそれしか理解できないので、「きっと日本人もそうだ。」と思っているはずですね。
サディスティックな人ほど、被害者意識も強いのは、日常生活でも良く見る光景です。
その証拠に旧日本軍は、中朝鮮以外の国々では「解放軍」と位置づけられ、今でも尊敬されております。
日本人が中朝鮮の人々が言うような、本質的にサディズティックな人たちであれば、どこの人たちも同じような評価をするはずです。
そうです。
今まで私が語ってきた理論では、日中戦争は説明がつかないのです。
そして、残っている史実だけでは、中国と戦う理由もないのです。
ではなぜ、現実では中国と戦う羽目になったのか。
しばらく私なりに、この歴史ミステリーに挑戦いたします。