東大話法

2012-01-26 17:40:24 | 読書ログ
今日は早くも気分のいい日です。すっかり気分も爽快で、ヨガのレッスンも充実。

気分のいい日だから直観力もさえるのか、直観力が冴えている日だから気分がいいのか
分かりませんが、今日はぶらりとたずねたネットサーフで…以前から感じていることが
キーワードになったタイトルの本を見つけたので早速書店で立ち読み。

この本、アマゾンでは定価より再販に高い値がついています。そして、書店では最後の一冊でした。でも…買わなかったけど…。

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

そう!私が職場で感じてきた違和感… ”東大話法”ってネーミングがものすごく的を得ています。

東大話法っていうのは、要するに 立場による判断を個人の理性的な判断より優先する考え方です。

上司は色々いましたがその中には東大卒の上司も何人か会いました。

初顔合わせの席の上司: 「女性だからといって遠慮することはありません」

私:「はぁ」(不思議なものだ、今までそんなことをわざわざ言ってくる上司なんていなかったけど…)

結果でいうと、商社と言う世界は、紅一色になりがちなエンジニアの職場よりダントツに男性優位社会なのでした。

ものすごいヒエラルキー職場、それが一般職・総合職に分けられる職場です。

私は当時総合職女性の穴埋め的立場でしたが、私が出すメール、上司が出すメールとメールが決まっていて、書式も決まっているのが新鮮な驚きでした。
だってそれって機械的ってことでしょう。

例えば会議の招集メール。私が出すメールはなんと上司が私に個人宛で送ってくるのです…送り先リストつけて。それなら直接本人が全員に一斉送信すればいいことなんですが、こりゃなんでまた…手間増やしてどうする?って外資になれた私には摩訶不思議でした。

外資も色々あると思いますが、少なくとも私がいたスイス系ではそんな無駄なことしません。召集するのは上司なのですから本人が出し、出欠は部下の○○にと文面で沿えてあれば、召集するのと部下に指示するの同時に一つのメールで済みます。ま、これは些細な例ですが、こんな感じにヒエラルキーがはっきりした職場だったので、
本音は 「女なんだから混ぜてもらえてありがたく思え」なんだな。これが。

…本音と建前の食い違い…平たくいうと、そうですが、建前が堅牢に守っているものは
立場、なのです。その立場が何より重いかというと良心より重い、ってのが問題なのです。
ただ単に言っていることとやっていることが食い違うという誰しも思い当たる節、という
だけでなく…。分かっていてあえて犯す罪・・・

以前からおかしなことだと思っていましたが…この本ではそのおかしさが原発で露呈した、
としています。

さらにその様子は、日本がバブルという集団狂気に突っ込んでいく様子、さらには太平洋戦争に突っ込んでいく前の様子に相似していると…

うーん、たしかに。実際に東大出の人たちと働いた経験から…おかしなことをおかしいといえない、というかおかしいということをおかしいというヤツのほうがおかしい、という雰囲気が支配する場の空気があります。

一個の人間の前に 立場 がある。 立場 > 人間。

おかしいことをおかしいと指摘するほうが”バカなんじゃないの”となるのはそれが社会的自殺…を意味するからです。「アイツ、あんなこといったら立場やばいんじゃないの」ということをあえて言うのはおバカだからという論理。そういう自殺願望があるようなバカ正直人間には付き合っておれない、というのがエリートの社会です。場合によってはよほど良心に厚顔でなくては勤まりません。

仕事の実例では、当時九州では地元に産業が無く、自動車産業に依存していましたが
(どこにでもありそうな話です)地場調達率を高くするというのが目下の命題な
わけでした。これは産業を誘致したい行政と補助金で安く工場を作り安くて優秀な
労働力を得たい企業の利害が一致した結果なのでしたが、
しかし、逆から見ると依存度が高まるわけで、地元の町工場を自動車向けに
転換させる命題という、その命題を仮に全うした場合…工場は泥沼の値下げ競争に
さらされます…。出口はあるでしょうか。いや中国やインドを相手によほどの
ことが無い限りないでしょう。リスク高すぎます。

実際、その後の世界同時不況では、こうした誘致企業に依存度が高かった県ほど地元では
失業しました。何億円も補助金をもらっておいて雇用を切るときは何千人単位なのは
別に地元の振興が目的ではなく、安い労働力と土地だけのメリットで来ているからです。
要するにハゲタカ。
ですから、地元は雇用創出のためには補助金を出して工場にきてもらうより
その何千人かに直接相当額を渡したほうがむしろ安いみたいなことになります。
安易な「寄らば大樹の陰」よりもやっぱり「自立」だなとこういう経緯を目の当たりにすると思います。

でまぁ、私はそうした企業と地元の間に入るような立場のさらに傍観者的立場に
あったわけですが、傍目にはいっくら大企業から地元の工場にはっぱかけてくれと
いわれていても、地元の工場が底なしのアリ地獄に陥るようなビジネスに向かわせるのは
人としていかがなものか?と思われました。

しかし、そんなウブな子供のようなことをいっているようでは生き馬の目を抜く(?)世界では「ビジネス人としてどうか」というようなことなのです。お子様はお呼びでない。

立場を守り、なおかつ自分のところに火の粉が飛んでこないように振舞うのが
大人、というかビジネスいっちょ前、なのです。

「サポートする論理構造はいくらでも作れる」 「数字はいくらでも作れる」

東大出の上司が言っていましたが、これはホントです。数字なんていくらでも作れる。

ただ普通の人はってか、多少なりとも良心があれば、作れても作らない。って選択肢もあります。だって時間の無駄ですから。

作れても作らない。サチヤ=誠実はヨガのヤマですが、そういう道徳論を持ち出さずとも
作った数字は精査すれば、すぐに意図的に作られたものと分かっちゃうのです。

ですから、作った数字ってものは、精査するのに時間がかかるだけの、まぁ大人版の見え透いた嘘、って訳です。

原発事故に対する政府の対応も、結局色々とボロがでつつありますが、時間が8ヶ月とか
かかっただけで真実はやっぱりお日様の元に出ざるを得ません。

時間がかかる以外に何にもメリットが無い。 じゃそんなことしてなんになるの?

というとその時間で逃げれたり、保身を図れたりとメリットがある人がいるわけです。

そこにしか立場によってコロコロ変わる論理の後ろ盾を作る理由はありませんよね。

そういう違和感は、商社づとめではより色濃く感じたものでしたが、同じ胡散臭さを大勢の人が感じたのが去年の震災と、その後の原発安全神話の崩壊、それにつづく政府の不振な対応、
さらに日本の電気事業のあやふやさ…でした。

例えばこんな。東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 古い記事で恐縮ですが。

その ”立場>人として正しいと思うこと”という力学、話法に”東大話法”というなんともぴったりなネーミング。

ホント、日本がうまく行かない訳を、みんななんとなーく分かっていると思いますが、その一つはあっちこっちにはびこる東大話法なわけなんですよ。要するにオールフォーワンはあってもワンフォーオールはないわけ。

別に東大ではなくてもお役所でも、ありとあらゆる官僚組織の中に、あるいはあらゆる
既得権益の中にはびこっています。

たまーにその同じ組織の中で、なんとなしにうまく交わして生き延びている人を見ますが
コツは表現しすぎない、ってことではないかと思ったりします。 あまり的確に的中してしまうと、排除されますからね。

・・・という意味でこの本の著者が東大周辺で生き残れるのかどうか…ちょっと心配な本です。

しかし東大話法の方たちの ”生存”というか”保身”にかかる生命力というか、執着はものすごいものがあります。

いったいそういう人たちをどうしたら、目先の「自分だけは安全」ではなく、「みんなが安全」に向けさせることができるのでしょうか…


最新の画像もっと見る