子供の頃はいろんなことを祖父母や両親や周囲の環境から知らないうちに学ぶ(?)。
我家にも小さな本棚に小説や諸々の本が有り小学校の4~5年生(?)の頃から本を出して、よく読んだものだ。
今でも忘れないのは「大岡越前の守」の厚さ4~5cm もあるような本だ。
本の活字の漢字には全てルビが振ってあり意味は不明でも読めない字はなかった。(笑)
然しその意味も文章の前後の関係で大体は理解できたのではと思う。
大岡裁きの中には、いろんな事件が見事に裁かれているが、これは庶民受けのする人情裁判であり、今の裁判では通用しないとか・・・・。
その本で忘れられない多くの物語の中に次のような事件もあった。
「打ち首獄門」の判決を言い渡された罪人が
「己(オノレ)よくもそのような裁きをしたな!覚えていろ!若しも手前の首を落として見ろ!お前えらを呪い殺してやる!その証拠に俺様が打ち首になったら刑場の側の石灯篭に食いついてやるから・・・」と叫んだとか?
やがて その罪人の刑が執行されたときに 打ち首になった罪人の首がコロコロと二~三度転がり飛び跳ねて側の石灯篭の端に食いついた。
それを見た役人は恐れおののいたが、大岡越前の守は
「みなの者 案ずるではない、あの者は死に際にその思いの全てを達した。もはや、この世に思い残すものは無い!」
死に際の人の恨みとは案外このようなものかと深く印象に残ったものだ。
法然の父も敵に襲われ亡くなるが死の間際に法然に
「決して敵(カタキ)を討つようなことはしないで仏門に入れ」と法然に命じたとか?詳しいことは知らないが・・・
殺伐とした話で恐縮なので少しばかり漢字の練習を・・
愛(イト)し 愛(イト)し と言う 心(ココロ)は皆さんも、よくご存知のことと思います。
また、昔 私が現場に居たころは「女の又(マタ)の力(チカラ)だ!」(努力)と 親方がよく職人に言っていた。
このようなのもあります。
「瓜(ウリ)に爪(ツメ)あり、爪(ツメ)に 爪(ツメ)無し」
「巳(ミ)は上に 已(スデ)に半(ナカ)ばになりぬれど 己(オノレ)は常に下にあり」
二階(貝)の女が気(木)にかかる
手を合わせて拾って捨てる 「拾う」と「捨てる」 の違いを差す
ヒヤ(矢)マ フト ヒト(人)
もう昔のことで多くは忘れましたが、このようにして漢字の綾を覚えたものです。
このようなことは学校の先生や祖父母、両親から習った(?)ようにも覚えていますが定かでありません。
次は私の子供時代の経験です。
もう 夏は終わりましたが子供のころは泳いではいけない場所が必ずあり注意を受けたものです。
ところが、注意を受けると その場所を見たくなり、見れば泳ぎたくなる。
そして事故が起こる。
私も同じで言い伝えのある川の場所に一人で行き川に入った。
然し其処は何でもなかったのだ、浅い(深さ40cm~50cm)急な流れのせせらぎで川水は気持ちよいもので10m前後流れに流されては元に戻り遊んでいた。
今で言えば自然の「ウオーターシュウター」と言うことでしょうか?
その時 つい 急流により川底の苔に滑り14m~15m流され 不意に川が深くなり身体が4~5回 回転して川底に深く吸い込まれた。
シマッタ!と言う思いと以前 このような急流で遊んだときに同じ経験をしていた。
それは慌てて、もがき暴(アバ)れないことだった。
流れに身体を任すことだった。
身体から力(チカラ)を抜き自然に任すと身体は2~3回 廻るだけでポッカリと水面に浮かびあがる。
私は仲間と遊びながら、このような経験を同じような流れでありながら、余り危険でない川で大勢の者と何度もやって身につけていた。
私の浅いながらも少しの経験が私の命を救った。
やはり危ない言い伝えはホントだった。
身を持ってそれを感じた。
以来 泳ぎも、そして何事も危険と言われるところには決して行かない。
自慢のできる臆病者に私はなったのだ! えッへん! (^^♪
我家にも小さな本棚に小説や諸々の本が有り小学校の4~5年生(?)の頃から本を出して、よく読んだものだ。
今でも忘れないのは「大岡越前の守」の厚さ4~5cm もあるような本だ。
本の活字の漢字には全てルビが振ってあり意味は不明でも読めない字はなかった。(笑)
然しその意味も文章の前後の関係で大体は理解できたのではと思う。
大岡裁きの中には、いろんな事件が見事に裁かれているが、これは庶民受けのする人情裁判であり、今の裁判では通用しないとか・・・・。
その本で忘れられない多くの物語の中に次のような事件もあった。
「打ち首獄門」の判決を言い渡された罪人が
「己(オノレ)よくもそのような裁きをしたな!覚えていろ!若しも手前の首を落として見ろ!お前えらを呪い殺してやる!その証拠に俺様が打ち首になったら刑場の側の石灯篭に食いついてやるから・・・」と叫んだとか?
やがて その罪人の刑が執行されたときに 打ち首になった罪人の首がコロコロと二~三度転がり飛び跳ねて側の石灯篭の端に食いついた。
それを見た役人は恐れおののいたが、大岡越前の守は
「みなの者 案ずるではない、あの者は死に際にその思いの全てを達した。もはや、この世に思い残すものは無い!」
死に際の人の恨みとは案外このようなものかと深く印象に残ったものだ。
法然の父も敵に襲われ亡くなるが死の間際に法然に
「決して敵(カタキ)を討つようなことはしないで仏門に入れ」と法然に命じたとか?詳しいことは知らないが・・・
殺伐とした話で恐縮なので少しばかり漢字の練習を・・
愛(イト)し 愛(イト)し と言う 心(ココロ)は皆さんも、よくご存知のことと思います。
また、昔 私が現場に居たころは「女の又(マタ)の力(チカラ)だ!」(努力)と 親方がよく職人に言っていた。
このようなのもあります。
「瓜(ウリ)に爪(ツメ)あり、爪(ツメ)に 爪(ツメ)無し」
「巳(ミ)は上に 已(スデ)に半(ナカ)ばになりぬれど 己(オノレ)は常に下にあり」
二階(貝)の女が気(木)にかかる
漢字の「桜」です
手を合わせて拾って捨てる 「拾う」と「捨てる」 の違いを差す
ヒヤ(矢)マ フト ヒト(人)
漢字の「疑」(ウタガい) です
もう昔のことで多くは忘れましたが、このようにして漢字の綾を覚えたものです。
このようなことは学校の先生や祖父母、両親から習った(?)ようにも覚えていますが定かでありません。
次は私の子供時代の経験です。
もう 夏は終わりましたが子供のころは泳いではいけない場所が必ずあり注意を受けたものです。
ところが、注意を受けると その場所を見たくなり、見れば泳ぎたくなる。
そして事故が起こる。
私も同じで言い伝えのある川の場所に一人で行き川に入った。
然し其処は何でもなかったのだ、浅い(深さ40cm~50cm)急な流れのせせらぎで川水は気持ちよいもので10m前後流れに流されては元に戻り遊んでいた。
今で言えば自然の「ウオーターシュウター」と言うことでしょうか?
その時 つい 急流により川底の苔に滑り14m~15m流され 不意に川が深くなり身体が4~5回 回転して川底に深く吸い込まれた。
シマッタ!と言う思いと以前 このような急流で遊んだときに同じ経験をしていた。
それは慌てて、もがき暴(アバ)れないことだった。
流れに身体を任すことだった。
身体から力(チカラ)を抜き自然に任すと身体は2~3回 廻るだけでポッカリと水面に浮かびあがる。
私は仲間と遊びながら、このような経験を同じような流れでありながら、余り危険でない川で大勢の者と何度もやって身につけていた。
私の浅いながらも少しの経験が私の命を救った。
やはり危ない言い伝えはホントだった。
身を持ってそれを感じた。
以来 泳ぎも、そして何事も危険と言われるところには決して行かない。
自慢のできる臆病者に私はなったのだ! えッへん! (^^♪
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