思い込みと錯覚
読書は臭い匂いの中?思い込みと錯覚
子供のころの読書は臭い匂いで(思い出)イッパイだった・・・・・
私の思い込みと錯覚は子供の頃から激しかったように思う。
それは自分の記憶力に自信を持っていたからだろうと思う。
若い頃は読んだ本の内容など、かなり詳細なことも何時までも記憶していたように思う。
その所為か?今でも何か無くなると、直ぐに
「俺はここに置いていたのだ!」とカミさんに疑いをかけカミさんに咬みつく。
その都度「私は知らないよ!」とエライ勢いでカミさんから反発される。
思い込みの激しいところは子供時代から変わらないようだ。
それと読書だ!
読書といえば小学校生四年の時に両親が外地に行った為に私は田舎の祖父母の家に引き取られて行った。
田舎のために、それまで取っていた「こども新聞」もなく、それに家の中には大きな書棚はあったが、そこには子供の読む本がなく自分の周りで活字を目にするのは教科書くらいだ。
戦時中で且つ田舎だったので尾篭(ビロウ)な話になるがトイレでも今のような専用紙なるものもなく田舎でゃ必然的に新聞紙が使われていた。
*広島で両親との生活の時は当時でもトイレの専用紙(灰色の変な紙質の四角い紙8寸角?:一束が20cmくらいの高さがあった)を使っていたような気がする。
然し、トイレのこの新聞紙には参ったものだ。何故かケツが痛くなる。
ところがある日のトイレで、新聞紙の代わりに、そのための用紙の替わりに「大岡越前守」なる分厚い本(厚さは5cm以上はあった)が置かれていたのだ。
その本を破り用を足した後でそれを使うようだった。
この本の紙質は案外と柔らかく使い勝手がよかった。
用を足す序(ツイデ)に、その本を手にして読み始めた。
当時の本は少しでも難しい漢字には全てにルビが振ってあり子供でも十分に読めた。
面白かったな~今でもその中の物語や逸話など覚えているものがある。
それからだ。
祖母から「osamuの便所は長いから、みんなのあとでしろ!」と言われ始めた。
朝から家族がトイレの競争になった。
それゆえに朝からトイレで本を読むわけにいかなくなった。
学校から帰ってからユックリとトイレにはいり、その本を読んだものだ。
勿論 用を足すためでなく本を読むために便所にはいったのだ。
当時の便所は所謂「大正式」と言うドボン式である。
木製便器から下を見れば夏は便壷の表面は白い蛆虫で埋まっていた。
勿論 臭いことは甚だしい!然し そのようなことは言っていられない。
明日の昼に読む場面まで読んでおかないと途中で物語が途切れてしまう。
必然的にお昼のトイレの時間は長くなる。
今度は「osamu は便所に入り仕事を怠けるようになった」と言われ始めた。
これには困った。
そこでトイレには新聞紙を以前のように切って置き、便所で読み始めた本を外で子守をしながら読むようになった。
すると、今度は「誰だ?便所に新聞紙を置いたのは?」と咎められた。
慌てて読みかけの本を元の便所の位置に置き、今度は夜中に起きてトイレで読むことにした。
ところが昔のことだ、トイレの明かりは小さな裸豆電球で立ち上がっても本の字を読むのは結構辛い。
それでも便所に立って本が破られる前に其処を読むようにした。
すると今度は「だれだ?夜中に長く便所を使っているのは?」となった。
祖父も年寄りなので夜中にトイレを使うらしい?
何時まで経っても便所が開かないので裏庭に出て用を足したらしい?
考えれば本 一冊 読むのに大変な苦労をしたものだ。
幸いにと言ってよいか?どうか?私は子供の頃から鼻が悪く臭いに鈍感だった。
然し衣類に匂いがしみこむことまでは考えが行かなかった。
食事の時に「どうも?何か臭うな?」と叔母さんを初め家族の者が不審がって来た。
そこで、今度は、なんとあることを考えたのだ。
きょうはここまで・・・・
続きは、またね!気が向いた時に続きを書きます。
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youtube から 気分直し ↓
面白ハプニング集
読書は臭い匂いの中?思い込みと錯覚
子供のころの読書は臭い匂いで(思い出)イッパイだった・・・・・
私の思い込みと錯覚は子供の頃から激しかったように思う。
それは自分の記憶力に自信を持っていたからだろうと思う。
若い頃は読んだ本の内容など、かなり詳細なことも何時までも記憶していたように思う。
その所為か?今でも何か無くなると、直ぐに
「俺はここに置いていたのだ!」とカミさんに疑いをかけカミさんに咬みつく。
その都度「私は知らないよ!」とエライ勢いでカミさんから反発される。
思い込みの激しいところは子供時代から変わらないようだ。
それと読書だ!
読書といえば小学校生四年の時に両親が外地に行った為に私は田舎の祖父母の家に引き取られて行った。
田舎のために、それまで取っていた「こども新聞」もなく、それに家の中には大きな書棚はあったが、そこには子供の読む本がなく自分の周りで活字を目にするのは教科書くらいだ。
戦時中で且つ田舎だったので尾篭(ビロウ)な話になるがトイレでも今のような専用紙なるものもなく田舎でゃ必然的に新聞紙が使われていた。
*広島で両親との生活の時は当時でもトイレの専用紙(灰色の変な紙質の四角い紙8寸角?:一束が20cmくらいの高さがあった)を使っていたような気がする。
然し、トイレのこの新聞紙には参ったものだ。何故かケツが痛くなる。
ところがある日のトイレで、新聞紙の代わりに、そのための用紙の替わりに「大岡越前守」なる分厚い本(厚さは5cm以上はあった)が置かれていたのだ。
その本を破り用を足した後でそれを使うようだった。
この本の紙質は案外と柔らかく使い勝手がよかった。
用を足す序(ツイデ)に、その本を手にして読み始めた。
当時の本は少しでも難しい漢字には全てにルビが振ってあり子供でも十分に読めた。
面白かったな~今でもその中の物語や逸話など覚えているものがある。
それからだ。
祖母から「osamuの便所は長いから、みんなのあとでしろ!」と言われ始めた。
朝から家族がトイレの競争になった。
それゆえに朝からトイレで本を読むわけにいかなくなった。
学校から帰ってからユックリとトイレにはいり、その本を読んだものだ。
勿論 用を足すためでなく本を読むために便所にはいったのだ。
当時の便所は所謂「大正式」と言うドボン式である。
木製便器から下を見れば夏は便壷の表面は白い蛆虫で埋まっていた。
勿論 臭いことは甚だしい!然し そのようなことは言っていられない。
明日の昼に読む場面まで読んでおかないと途中で物語が途切れてしまう。
必然的にお昼のトイレの時間は長くなる。
今度は「osamu は便所に入り仕事を怠けるようになった」と言われ始めた。
これには困った。
そこでトイレには新聞紙を以前のように切って置き、便所で読み始めた本を外で子守をしながら読むようになった。
すると、今度は「誰だ?便所に新聞紙を置いたのは?」と咎められた。
慌てて読みかけの本を元の便所の位置に置き、今度は夜中に起きてトイレで読むことにした。
ところが昔のことだ、トイレの明かりは小さな裸豆電球で立ち上がっても本の字を読むのは結構辛い。
それでも便所に立って本が破られる前に其処を読むようにした。
すると今度は「だれだ?夜中に長く便所を使っているのは?」となった。
祖父も年寄りなので夜中にトイレを使うらしい?
何時まで経っても便所が開かないので裏庭に出て用を足したらしい?
考えれば本 一冊 読むのに大変な苦労をしたものだ。
幸いにと言ってよいか?どうか?私は子供の頃から鼻が悪く臭いに鈍感だった。
然し衣類に匂いがしみこむことまでは考えが行かなかった。
食事の時に「どうも?何か臭うな?」と叔母さんを初め家族の者が不審がって来た。
そこで、今度は、なんとあることを考えたのだ。
きょうはここまで・・・・
続きは、またね!気が向いた時に続きを書きます。
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面白ハプニング集
山口の道の駅にお付き合い頂、有難う御座いました。
今となれば懐かしい思い出ですね!
小生の家も「ボッチャン式」でしたが紙は繊維の沢山残ったちり紙だったような記憶がします、
今日は山口県下関の散策の思い出をアップしましたので、一緒に観光して頂ければ幸せます。
それではまた!来訪コメント!・お待ちしていま~す!