還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

余禄 その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ…

2016-03-16 18:18:21 | ネタ

余録

その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ…

 その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ。着せると髪を結いリボンをつけろという。最後は化粧までしてあげた母親が「かわいい」というと、その姿で寝てしまう。昭和三陸津波が女の子をさらったのは未明だった

▲昨年亡くなった児童文学者の松谷(まつたに)みよ子さんが1970年代に宮城県女川町の岩崎(いわさき)としゑさんから聞いた津波の伝承である。松谷さんが現代民話採録をライフワークにしたのは、岩崎さんの語りに触発されてのことだった

▲赤い服の子の話が事実とも思えないが、このような語りでしか表せぬ哀切な心の真実もある。時代は変わり、多くの映像や文字により記録されてきた東日本大震災である。だがやはり歳月をくぐり抜け、肉声で語ることによってしか伝えられぬ真実もあるに違いない

▲小学5年の時に東松島市で津波に遭った雁部那由多(がんべなゆた)さんは高校1年になった今、仲間と語り部の活動に取り組んでいる。目の前で津波に流された男性や、車の中で見つけた遺体、避難所での大人たちの行(ぎょう)状(じょう)といった震災の記憶は子供時代は固く胸に秘めていたという

▲その後、震災を語り合う人々を見て、自分の体験を話し出すと気持ちが楽になり世界が広がった。今は小学生が見て感じた震災の実相を高校1年の肉声で伝えている。5年間という歳月が、それを言い表す言葉を授けてくれたのである(「16歳の語り部」ポプラ社)

▲震災から5年、悲しみや痛みを共にした人々をつなぐ言葉や物語も日々新たにつむがれなければ、やがて失われよう。昭和の女川の古老から現代の高校生へ、時空を超えて継がれるバトンもある。

ソース : http://mainichi.jp/articles/20160311/ddm/001/070/147000c 

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 つぶやき

  語部(かたりべ)と言う古来の出来事を子々孫々に伝える手法は日本各地にいろんな形で存在している。近来と言っても、もう、70年も前のことかな?広島の原爆・長崎の原爆・また沖縄戦の語部など多くの自分が経験した歴史(経験)の語りを多くの方々にされている方が居らっしゃる。

東日本災害でも、この余禄に書かれている ような ツナミ災害経験者の若い方々による次世代への「語り部」が生まれつつあるのは非常によいことだと私は思う。 

自然災害に関する「語り部」による言い伝えで「命広い」をされた方々も多いのでは・・・と思っている私である。

私事であるが、子供の頃 夏はよく家のそばの今津川で泳いだものであるが、いつ誰から聞いたのか覚えていないが

「あそこに行くと昔 溺れて死んだ○○の霊が友達が欲しいと言って、その場所で泳いでいる子供の足を引っ張って溺れさすぞ!」・・・と言うことをよく聞いたものだ。事実 その場所でよく子供が溺死するのだ。だから その場所には地元の子供は誰も行かない。

その場所は大人になり祖父母に確かめると、そこは急流で川が少し湾曲している場所で川底が急に深くなっていて川面から1m くらい下は水の流れが渦を巻いていて非常に危険な場所であったと聞いたものである。

「昔 溺れて死んだ子供の霊が友達を求めて泳いでいる子供の足を引っ張る」は子供に危険な場所に行かせないために作られた語りだったようだ。それでも子供は恐れてそこには誰も行かなかった。

にも拘わらず時にその場所で溺死した事実がわかると数隻の小船が川面に出て数十センチの鈎が延縄のごとく連なったロープを川幅に沿って下流から上流に向かって引いて行く。溺死者はその鈎に引っかかり引き上げられる。

 土手から また 多くの人々が心配そうにそれを見ている。

そのような現場を私は1~2度 子供の頃に見ている。

岩国には錦帯橋の少し川下に危険な崖があり、そこに一本の松の木があった。今もあるか?どうかは判らないが、その松は別名 「首吊りの松」とも聞いていた。今はその理由は私は忘れたのか?よく覚えていない。

宇野 千代の著作の本にも、それらしき 一文を読んだことがあるが場所は替えてあり四国の松山だったように覚えている。今 この記事を書いていて確認はしていない。私が相当 若いころに読んだことで、その時に、これは?と感じて微かに記憶に残っているのだ。

また川下から大正橋を渡り土手を川筋に沿い上(かみ)に歩いてゆくと月のない夜 狐が化けた若い女性が出て通りかかった男性をだます・・と言う話もよく聞いたものだ。その狐の名前も聞いていたが忘れて仕舞い、今 どうしても思いださない。古いこのような話を叔父はよく話してくれた。今はいい思い出 話となっている。

この歳になっても故郷の話はいつまでも忘れることはない。  


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2 コメント

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こんにちはぁ♪ (ミコちゃん)
2016-03-17 14:50:55
お久しぶりです ポチ!
嬉しいコメントありがとうございました^^
石川啄木の短歌、

己が名をほのかに呼びて
  涙せし
  十四の春にかへる術なし

短歌や俳句に通じていらっしゃるosamu様
ならではのコメントでした、この歌があることを
思い出させて下さって有難いです。

亡くなった人やペットを愛しく思い
その名を呟く時、「仄か」に噛みしめている
自分に気付きます。

4月から私のブログがお休み中となりますが、
再開が何時になるかは分かりません。
でもosamu様のところに応援に来させて頂きますね^^。
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ミコちゃんさんへ (osamu)
2016-03-18 07:26:53
 ホントにお久しぶりですね。時々そちらにお伺いしていましたがなんとなくコメントは控えていました。

お陰様で今朝は朝から非常にいい気持ちになりました。お天気もよく既に狭い庭にも日がさしています。

ミコちゃんさんのブログは更新を暫くお休みになられるのですね。 再開をお待ちしています。

また こちらにも おいで下さるとのこと 誠に有難うございます。 いつも お待ちしていますのでよろしくお願いいたします。お気が向けばコメントも お待ちしています。有難うございました。  osamu 拝

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