上野に・・・
19日朝 カミさんがきょうはお友達と食事に行くから
「あんたお昼はどこかで・・・」と言う。
そこで急に思い立って上野に出かけた。
北久里浜駅までカミさんに送ってもらい上野に向かう。
上野駅を降りると上野公園側は相変わらずの人出である。
先ずは西洋美術館の庭で“考える人”を・・・。
裸で何を考えているのかね~? ↓
国立科学博物館に向かう道すがら道端に設置してある行灯 ↓
国立科学博物館の入り口には、かの懐かしい“デゴイチ”の実物が鎮座していた。↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この“デゴイチ”を見るたびに昭和20年8月14日(終戦の前日)にB-29による500キロ爆弾の絨毯爆撃を受けた岩国駅周辺を思い出す。
爆撃当時は我輩は中学生であり夏休みの最中でもあった。
爆撃が始まると祖父母の家の裏庭にある防空壕の中に祖母と共に避難をしていた。
爆撃地とは2kmは離れていたが連続する爆発音と振動で防空壕は震えて天井から砂が落ちた。
祖父はなぜか防空壕の外に出て空を行くB-29の編隊を見ていたらしい?
爆撃が終わり家に入ると台所の井戸のポンプが壊れていた。
爆弾の破片が飛んできて屋根を貫き井戸水を上げるポンプの胴体に当たったらしい?
傍に落ちていた爆弾の破片は5cm×10cm×2cm(厚さ)位でその縁は鋭利な刃物のようだった。
爆撃後 駅の構内には、なんと当時 最強で最大と言われた機関車“D52型機関車”が仰向けに倒れていたのだ。
D52型蒸気機関車 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84D52%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
この爆撃で岩国の多くの市民の方が亡くなられた。
後に米軍の航空写真を見ると駅周辺半キロは蜂の巣になっていた。
穴は直径10m前後で深さ3~4M(推定) もあったか?直ぐに地下水で満水の池と化し、そこらじゅう丸い池と化した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国立科学博物館の入場は障害者手帳で無料であった。(一般の入場料は600円)
先ずは入り口を入った少し先の左にある“フーコーの振り子”を見る。
3階から ↓
ユックリと動く振り子を飽きもせず暫く見ていた。
フーコーの振り子の動画 ↓ (youtubeから拝借)
http://www.youtube.com/watch?v=WyQq2SvXGdM
フーコーの振り子の動画 ↓ (youtubeから拝借)
http://photozou.jp/photo/show/1981/12638477
フーコーの振り子の簡単な(?)説明 ↓
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa115427.html
フーコーの振り子 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%8C%AF%E3%82%8A%E5%AD%90
僅かであるが球体(重石)の先の先端の針がブレルさまがよく分かる。
前の壁に“コリオリの力(チカラ)”の解説文が貼ってあるが視力の弱い我輩はメガネをかけていても細かい字は読めない。
コリオリの力(チカラ) ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%81%AE%E5%8A%9B
エレベーターで3Fに上り館内を順次見て回る。
歳を取った爺婆は流石に少ない。
社会見学か?修学旅行?中学生くらいの学生が多い。しかし学生は余り興味は沸かないらしく廊下に置かれた椅子に寝そべったり、そこでお喋りに余念がない。
実にもったいないと思う。
江戸時代の顕微鏡 ? ↓
プレパラード(?)我輩の専門外?なのでよく分からない! ↓
今から250年も前(江戸中期~末期)に既に西欧ではこのようなものも・・。↑
この顕微鏡を覗いて見て・・・と書いてあった ↓
・・・と言うことで覗いて見た(好奇心イッパイのクソ爺である) ↓
↑ 見えた画像の字であるが”大日本国?”の国か?図?か?変な字です。
※ 調べましたら 圖(ズ)でした。
アンモナイトのでかいのが目に付く ↓
館内から出るとまたまた学生の一団がアチコチにかたまって日光浴?写真は遠慮しました。
国立科学博物館を出て建物を振り返り“あれ!”と目に付いたのが柱の上に見えた“アカンサス”である。まさかギリシャ建築ではあるまいし・・・。↓
*アカンサス ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%B9_(%E8%A3%85%E9%A3%BE)
少し離れた場所に野口英世の銅像が見られた。
野口英世 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96
野口英世記念館 ↓
http://www.noguchihideyo.or.jp/
野口しか(英世の母)の手紙 ↓
http://www.naf.co.jp/kanzan/plan/200401/shika.htm
http://blog.goo.ne.jp/non_b/e/ad63e11a4690da4c4a1ffa06ef478778
上野公園の桜は未だつぼみのようだった。
然しTVで、お馴染みの夜桜の花見も、もう直ぐでゴミ箱や花見客に備えた準備をしている方が多く見られる。
上野公園の交番 いつもながら目立ちますね~ ↓
昔 会社の仲間と桜の咲く頃 絵画展や書道展に、よくここに来たが彼たちは一足も二足も早く旅立ち今は我輩一人になった。
家に帰り国立科学博物館のことを「日本近代建築総覧」を開き少し調べる。↓
竣工は昭和6年で設計者は「文部省」施工会社は「○林組」とあった。しかし構造形式が掲載していない?RCには違いないが? ↓
往復の電車の中で読んだ“ジョン万次郎”(童門冬二 著)の本の内容が殊更に萎びた頭にこびり付いた。
品川駅でJRから京急の乗り換え口でこんな垂れ幕? ↓
出口は何処???アチラ→とも書いてないですが・・・。
結局 駅員さんに聞くのかな?となるのか?
注 毎度のことですが説明の中に記憶間違いで誤りや誤字、脱字もあるかも?失礼
19日朝 カミさんがきょうはお友達と食事に行くから
「あんたお昼はどこかで・・・」と言う。
そこで急に思い立って上野に出かけた。
北久里浜駅までカミさんに送ってもらい上野に向かう。
上野駅を降りると上野公園側は相変わらずの人出である。
先ずは西洋美術館の庭で“考える人”を・・・。
裸で何を考えているのかね~? ↓
国立科学博物館に向かう道すがら道端に設置してある行灯 ↓
国立科学博物館の入り口には、かの懐かしい“デゴイチ”の実物が鎮座していた。↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この“デゴイチ”を見るたびに昭和20年8月14日(終戦の前日)にB-29による500キロ爆弾の絨毯爆撃を受けた岩国駅周辺を思い出す。
爆撃当時は我輩は中学生であり夏休みの最中でもあった。
爆撃が始まると祖父母の家の裏庭にある防空壕の中に祖母と共に避難をしていた。
爆撃地とは2kmは離れていたが連続する爆発音と振動で防空壕は震えて天井から砂が落ちた。
祖父はなぜか防空壕の外に出て空を行くB-29の編隊を見ていたらしい?
爆撃が終わり家に入ると台所の井戸のポンプが壊れていた。
爆弾の破片が飛んできて屋根を貫き井戸水を上げるポンプの胴体に当たったらしい?
傍に落ちていた爆弾の破片は5cm×10cm×2cm(厚さ)位でその縁は鋭利な刃物のようだった。
爆撃後 駅の構内には、なんと当時 最強で最大と言われた機関車“D52型機関車”が仰向けに倒れていたのだ。
D52型蒸気機関車 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84D52%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
この爆撃で岩国の多くの市民の方が亡くなられた。
後に米軍の航空写真を見ると駅周辺半キロは蜂の巣になっていた。
穴は直径10m前後で深さ3~4M(推定) もあったか?直ぐに地下水で満水の池と化し、そこらじゅう丸い池と化した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国立科学博物館の入場は障害者手帳で無料であった。(一般の入場料は600円)
先ずは入り口を入った少し先の左にある“フーコーの振り子”を見る。
3階から ↓
ユックリと動く振り子を飽きもせず暫く見ていた。
フーコーの振り子の動画 ↓ (youtubeから拝借)
http://www.youtube.com/watch?v=WyQq2SvXGdM
フーコーの振り子の動画 ↓ (youtubeから拝借)
http://photozou.jp/photo/show/1981/12638477
フーコーの振り子の簡単な(?)説明 ↓
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa115427.html
フーコーの振り子 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%8C%AF%E3%82%8A%E5%AD%90
僅かであるが球体(重石)の先の先端の針がブレルさまがよく分かる。
前の壁に“コリオリの力(チカラ)”の解説文が貼ってあるが視力の弱い我輩はメガネをかけていても細かい字は読めない。
コリオリの力(チカラ) ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%81%AE%E5%8A%9B
エレベーターで3Fに上り館内を順次見て回る。
歳を取った爺婆は流石に少ない。
社会見学か?修学旅行?中学生くらいの学生が多い。しかし学生は余り興味は沸かないらしく廊下に置かれた椅子に寝そべったり、そこでお喋りに余念がない。
実にもったいないと思う。
江戸時代の顕微鏡 ? ↓
プレパラード(?)我輩の専門外?なのでよく分からない! ↓
今から250年も前(江戸中期~末期)に既に西欧ではこのようなものも・・。↑
この顕微鏡を覗いて見て・・・と書いてあった ↓
・・・と言うことで覗いて見た(好奇心イッパイのクソ爺である) ↓
↑ 見えた画像の字であるが”大日本国?”の国か?図?か?変な字です。
※ 調べましたら 圖(ズ)でした。
アンモナイトのでかいのが目に付く ↓
館内から出るとまたまた学生の一団がアチコチにかたまって日光浴?写真は遠慮しました。
国立科学博物館を出て建物を振り返り“あれ!”と目に付いたのが柱の上に見えた“アカンサス”である。まさかギリシャ建築ではあるまいし・・・。↓
*アカンサス ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%B9_(%E8%A3%85%E9%A3%BE)
少し離れた場所に野口英世の銅像が見られた。
野口英世 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96
野口英世記念館 ↓
http://www.noguchihideyo.or.jp/
野口しか(英世の母)の手紙 ↓
http://www.naf.co.jp/kanzan/plan/200401/shika.htm
http://blog.goo.ne.jp/non_b/e/ad63e11a4690da4c4a1ffa06ef478778
上野公園の桜は未だつぼみのようだった。
然しTVで、お馴染みの夜桜の花見も、もう直ぐでゴミ箱や花見客に備えた準備をしている方が多く見られる。
上野公園の交番 いつもながら目立ちますね~ ↓
昔 会社の仲間と桜の咲く頃 絵画展や書道展に、よくここに来たが彼たちは一足も二足も早く旅立ち今は我輩一人になった。
家に帰り国立科学博物館のことを「日本近代建築総覧」を開き少し調べる。↓
竣工は昭和6年で設計者は「文部省」施工会社は「○林組」とあった。しかし構造形式が掲載していない?RCには違いないが? ↓
往復の電車の中で読んだ“ジョン万次郎”(童門冬二 著)の本の内容が殊更に萎びた頭にこびり付いた。
品川駅でJRから京急の乗り換え口でこんな垂れ幕? ↓
出口は何処???アチラ→とも書いてないですが・・・。
結局 駅員さんに聞くのかな?となるのか?
注 毎度のことですが説明の中に記憶間違いで誤りや誤字、脱字もあるかも?失礼
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