正月以来、今日(20日)は太極拳の教室で初練習の日だ。
練習は午後3時からだが私は大体30分前には会館に着き一人ロビーで型の変化を頭に入れながら足の運びをして動く、そして、それと無く練習をするのである。
(体育室には時間が来るまで入れない)
健康太極拳の動きは武術太極拳の動きと比べると独特の動きがある。
今日の練習式の予定である。
この表に従い先生は指導される。
どちらがよいかは私如きの述べる問題ではない。
どうも、この教室で練習しておられる方は、たまたま、最初に習った太極拳が
「健康太極拳」であったようだ。
太極拳に多くの流儀があり、それに従い教室も多い。
出来れば太極拳に興味を持たれて“私も太極拳をやってみたい”と思われましたら、出来るだけ多くの教室を参観して自分に合ったと思えるものに入門するのがいいと思う。
特に気を付けることは、なんと言っても流儀に関わらず指導される先生である。
どんな流儀でも指導者に恵まれないと続かない。
私は指導者には自然な“笑顔”が絶対必要条件と常に感じている。
それに生徒を侮辱する言葉、例えば
「何度、言ったら分かるの!」とか
「このへたくそ!」とかを一度でも言ったら、言われた生徒が翌日から来なくなるのは必定だ。
動作を直すにもしても、決て
「前にも注意したでしょ!ダメ!」
「何回言ったら分かるの?」な~んて 言う指導者もいたな。
このような指導する先生を私は一人知っている。
実際に、その先生が、指導されている教室を見学して、その場で見て!聞いて!驚いた。
然し、この、先生の表演を以前見たことがあるので、その技術の素晴らしさに、この教室の見学をしたが入門は差し控えた。
これでは精神的に参る。
なんのための太極拳かわからない。
いい指導者は 、出来るだけ生徒のよいと思われると所を見て褒めることと思っている。
私も習い始めに、故 角井信夫先生に
「君、中々いいよ」と、ヒトコトなんでだか忘れたが褒められたのだ。
このことがあって急に教室が楽しくなり教室には1時間も前に入り一人持参のラジカセで音楽を聞き練習したものだった。
その時には同じ教室の仲間も私の練習に加わり何時しか5~6人が早く教室に来て私と共に練習するようになった。
ところで、最初に戻り、現在の教室の話になる。
生徒さんは最初に遭遇した教室の流儀によって決まるようだ。
現在 私が通っている、この教室の殆どの生徒の方は最初に習った太極拳が、健康太極拳であったらしい?
他の流儀を知らない(失礼)方に取っては、まさに「ジス・イズ・太極拳」と思うからだ。
これは仕方のないことだろう。
今日の教室である。
正月早々で生徒さんは少し少ないが・・・
私は前列から2番目でこの写真を撮るため中央が空いて見える。
何時も言っている事だが、練習には休まず出ることが太極拳を身につける、ただ一つの方法である事には間違いない。
何故、太極拳か?と言うと皆さん(私も、その一人ですが)自分の健康維持のためだと思っています。
私がこの教室で習おうと思ったのはシニアのパソコン教室の先輩が
「自分が習っている太極拳は動きが楽だよ」と言う言葉で、
「動きの楽な太極拳ってどんな太極拳だろう?」と興味を持ったのが、そのきっかけであった。
実際に動きは楽なように感じるが、いざ、中腰で全トウロをやると、それなりの運動量になり息が切れる。
楽な「太極拳」はないな、と思ったが私がコレまでやって来た太極拳とは一味異なるものがあったので今も続けているのだ。
ここの教室では「簡化24式」のみで他の種目はない。
先生にお伺いすると「指導するのは“簡化24式”だけです」と言われた。
あとは、八段錦、である。
これが私は苦手だ。
この準備運動はいいと思ったが・・・。
何故か頭に入らぬ。
一時(イットキ)この八段錦を覚えようと試みたが頭に入らず止めてしまった。
今は、教室の先生に従うのみである。
未だに覚えていない。
私の脳細胞の数に余裕が無くなった?
先生の指導される順番の真似をするだけでいい。
先生には悪いが生徒の私は楽だ。
今年も例年通り、この健康太極拳の会の総合大会が4月ごろあるようで、私自身は出てみたい気があるが教室の皆さんは場所が遠いので、どうも、しり込みをしていらっしゃる。
なんとか出てみたいが・・・・。
来月には、健康太極拳の勉強会もあるようだ。
この講習会には開催日に都合がつけば参加も考えている。
太極拳もいろんな形、種類がある。
今日の私の身体の調子はイマイチだが私なりに健康太極拳をやって来た。
身体を動かした後は何故か身体の調子もよくなっているように感じるから不思議だ。
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