還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

去り行く夕日を追って・・・

2011-12-30 12:14:33 | 季節
昨日 大晦日の夕日をと思い立石海岸駐車場に行ってみた。

家を出たのが午後3時20分で立石までは30分~40分で付く予定だったが道が混んで西に傾いたお日様を追う形になり池上十字路~木古場~国際村~立石に向かう予定だったが強い西日で国際村に行く交差点で左折するところを直進してしまった。

http://map.goo.ne.jp/mapb.php?MAP=E139.36.9.437N35.14.15.210&icon=on&asc=&ZM=9&SZ=2&MT=&sw=&P=1005E139.36.9.437N35.14.15.210,1202E139.36.9.437N35.14.15.210&P2=1202E139.36.9.437N35.14.15.210

↑ 地図の貼りかたを忘れる (笑)もうだめですね

走りながら夕日の沈む時間が気になる。

葉山農協で左折して葉山御用邸の前を走り南下する。この道は久しぶりに通る道である。

辺りの様子も随分と変わってきていた。日はドンドン傾く・・・。

暦では入日は16時36分である。

心中・・夕日に間に合うかな?と思っていたところに「立石駐車場」の看板が見えた。

信号はない。対向車の空いたところで右折して駐車場に入った。

16時2~3分過ぎであった。驚いたことに入り口付近は既に満車である。

奥に進んだところに3~4台分の場所があり直ぐに車を入れる。

ほッとした。

夕日が沈むまで未だ少し余裕がありそうであるが写真を撮るポイントの場所には既に三脚の放列であった。

凄いカメラが三脚に載っている。

中にはレンズの長さが30cmくらいあるのもあった。皆さんのレンズの方向は夕日の沈む方向ではない。富士山の方向である。

どうやら夕日が目的なのは我輩くらいのようだ。

夕日が沈み始めた。早速デジカメで沈み行く夕日を撮る。

沈み行くかなたの西空に雲があり夕日は雲に隠れ始める。

16時31分 夕日は沈んだ。  ← 僅か1分の間であった。

富士山は薄い霞のような雲に遮られてはっきりと浮かばない。

それでもデジカメで撮ってみたがやはりダメだった。

日が落ちれば暮れるのは早い。

ライトを点け立石駐車場を出る。

帰りは国際村を通るが、またもや池上十字路交差点の手前の信号で誤って右折専用路線に入ってしまう。広い立派な道路であるが何処を走っているか?分からなくなる。

ナビを入れた。然しナビが古いので車の位置は道なき山の中?畑の中?を走っていた。

周りを見るが薄暗くよく分からない。兎に角 走る。

工事中の道路で突き当たり左右に分かれる。勘で左折した。

暫く走り見覚えのある病院を見る。

我輩が行く循環器、耳鼻科、内科 等 市内の病院はかなりアチコチに行っているのが役立ったみたい(苦笑)。

衣笠駅の西側のメイン道路に出た。後は走りなれた道である。

立石駐車場があんなに混んでいては大晦日の夕方はさぞかしと想像した・

あれでは相等早く行かなければならない。

大晦日の夕日は諦めることにする。

夜の車の運転は危険だ。

昼間なら先ず間違えることはないが、やはり年寄りの行動時間は朝日が昇り家を出て夕日が沈む1時間 前には家に着くようにしないとならないと思ったものだ。


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余録:「炬燵兵法」とはこたつで語る軍学や武術… (毎日新聞)   

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/ 以下全文

余録:「炬燵兵法」とはこたつで語る軍学や武術…

 「炬燵(こたつ)兵法」とはこたつで語る軍学や武術が実際は通用せぬ空論であることのたとえだ。同じく「炬燵水練」という言葉もある。「炬燵弁慶」は家ではいばっている内弁慶の冬バージョンというべきか

▲つまりはこたつでのだんらんでは、人々が昔からホラやいいかげんな話を大いに楽しんできたのだ。「炬燵で河豚(ふぐ)汁」ということわざもある。こちらは体をいたわりながら危険なことをする、矛盾した行いのたとえである。こたつは安逸と快適のシンボルでもあった

▲エアコンの暖房では不十分な被災地の仮設住宅ではこたつに入って年を越す方々も多かろう。全国的にも節電の今冬、こたつ人気がにわかに復活しているという。「炬燵と首っ引き」とはこたつから離れぬさまを示す古い言い回しだが、そんな人も復活しそうである

▲震災では途方もない無力感と悲嘆に心が凍りついた今年だ。だからこそ家族の絆、地域の連帯、世界の人々の友情のぬくもりが心にしみわたった1年でもあった。それが終わろうとする今、小さなこたつに集うだんらんのいとおしさを改めてかみしめる方も多かろう

▲こたつにはやっぱりミカンである。野山が彩りを失う季節、昔の人が常緑の木に実る黄色いつややかなミカンを太陽や霊魂の象徴とみなし、神聖視した気持ちは分かる。もしもそんな復活の霊力がミカンにあるのなら、いつにもましてあやかりたいこの年越しである

▲いつもの年よりも人と人の距離がちょっと縮まった冬だ。兵法でも水練でも、ホラ話でもいい。ミカンでも食べながらのこたつでの語らいが、やってくる年に少しでも彩りを加えられればいい。

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毎日新聞 2011年12月30日 0時15分

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つぶやき

コタツの語らい・・・堀炬燵 3尺四方のこたつには大人では4人 子供なら8人は座れる。冬の家の中では欠かせぬ風情である。現代では注文住宅でないと堀炬燵などできない。時々マンションでも堀炬燵の用意したプランを見るが・・・。

家族団欒・・・遠く去っていった。私自身の過去もそうであった。

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