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ソース: http://mainichi.jp/opinion/news/20150108k0000m070143000c.html
余録:作家の宮尾登美子さんは1年間もの間、同じ…
毎日新聞 2015年01月08日 00時14分(最終更新 01月08日 00時20分)
作家の宮尾登美子(みやお・とみこ)さんは1年間もの間、同じ真岡木綿(もおかもめん)のふだん着を着続けた経験がある。終戦後の旧満州で7カ月の長女を抱え収容所で暮らした日々である。食事は毎日がコーリャンの薄いお粥(かゆ)だった
▲空腹のあまり地元民の求めに応じ娘を売る考えも頭をよぎった。結局1年後の引き揚げの時に幼い子を連れていたのは宮尾さん一人だった。引き揚げ後も苦しい暮らしだったが、そこで小説のようなものを書き始めたのは娘に満州での体験を書き残したい一心である
▲だが高知の遊郭で芸妓(げいぎ)紹介業をしていた生家に材をとった「櫂(かい)」を機に次々に作品が売れるようになったのは1970年代からだった。それまで発表をためらっていた「櫂」を自費出版した時、背表紙のタイトルが「濯」になっていたのが忘れられぬ思い出となった
▲その波乱の前半生は自伝的な小説「春燈」「朱夏」「仁淀川(によどがわ)」につづられている。そして「一絃(いちげん)の琴」「序の舞」、小紙に連載されて大きな反響を巻き起こした「藏」をはじめ、それぞれの背負った仕事に全人生をかけた女性を心に焼きつけた宮尾さんの小説だった
▲その多くが映画化、ドラマ化された宮尾文学である。いきおい五社英雄(ごしゃ・ひでお)監督の「鬼龍院花子(きりゅういん・はなこ)の生涯」での「なめたらいかんぜよ」との夏目雅子(なつめ・まさこ)さんのセリフが頭に浮かぶが、あれは原作にはない。ただ宮尾さんは映画化の一番の成功作にこの作品を挙げていたという
▲「私は典型的な土佐の女だと思う。昨日のことはくよくよ言わないし、明日のことは思い煩(わずら)わない」。逆境にあっても、名声の中でも、ピンと伸ばした背筋を失わなかった作家の生涯である。
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つぶやき
私の好きな作家でした。 合掌
友人のkayoko様はosamu様のご実家の
ようなお屋敷にお一人で住んでいらっしゃいます。
今年のお正月にはご家族9人集まって、
米寿のお祝いをして頂いたそうです。
足はやはり杖をついて歩かれていますが
心はとても若々しいのです。素敵な美人です^^。
床の間にふさわしいお飾りですね。御家族が集まりさぞ賑やかなお正月だったことでしょう。
今年は天候も異常で寒暖の差が激しいように感じます。 お体に気をつけられますように・・・。
詳しい説明で、大変によく分かりました。
勉強になりました。
ありがとうございました。
いつも、涙が出るほど嬉しいコメント&心遣い、心より、恐縮、深謝しています。
応援ポチ♪♪
いつも応援&コメント有り難うございます。カワセミはじつに綺麗な鳥ですね、まだ見たことはありません。 こちら三浦半島では大楠山のふもとを流れる平作川で見られるといいますが足が悪い私はそこに行けません。残念。写真で拝見するだけです。