還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

昔は自然とともに人は生きていたのでは・・

2013-08-18 07:26:42 | Weblog

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http://mainichi.jp/opinion/news/20130815ddn005070032000c.html 以下全文

発信箱:消えゆく被災集落=二木一夫

毎日新聞 2013年08月15日 大阪朝刊

 宮城県気仙沼市の唐桑半島に宿浦(しゅくうら)という港町がある。遠洋漁業で数千キロ離れた家族への年賀電報を地元の郵便局が受け付けた数が1985年、日本一を記録した。商店、旅館、映画館が軒を並べ、半島一円から買い物客が来たこともある。

 そんな町が東日本大震災による津波で約60世帯のほとんどの家が流され、6人が犠牲になった。

 震災後、住宅の再建を制限する災害危険区域に指定された。もはや住むことはかなわないと集団移転を考える住民もいる。

 消えゆく運命にある集落を記憶にとどめようと、東北学院大の教員チームが往時の暮らしについて住民から聞き取りを重ねた。その成果が「更地の向こう側」(かもがわ出版)という本にまとまった。過疎、高齢化に直面しながら海の恵みを受けて心豊かに送った日常を再現している。

 宿浦は、1933年の昭和三陸大津波でも甚大な被害を受けた。その時も浸水地での建築が禁止された。だが、戦後に事実上解除され、にぎわいを取り戻した。

 住民の土地への愛着は強い。だから、数十年後に訪れると、新たな町に生まれ変わり、活気に満ちあふれているのではないかという思いも教員にあるが、その実現可能性は厳しい。

 今回は、高さ約10メートルの防潮堤をつくる計画が進められているからだ。「住民の命を守るためとはいえ、港町が海と隔てられることに違和感がある」と、聞き取りチームのリーダーを務めた植田今日子准教授は言う。

 防潮堤建設は、海と共生してきた住民から歴史を消そうとしているようにみえる。(論説委員)

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つぶやき

 三陸海岸のツナミの被害は遠く平安時代・・・いやそれより以前からのものだろう?

歴史的な津波の一覧 ↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

三陸ツナミが幾世代にわたり その規模・被害の程が語られてきているようですが。この近代において3:11のような被害をうけるとは・・・どうも人間のおごりがその原因にあるような気がする。

若しも あの万里の長城のような防波堤がなければあれだけ激しい地震がくれば誰でも直ぐに高い場所に退避していたのでは?と想像する。  

自然の状態で自然に生活を送れる環境作りもあるのでは?若しも またツナミがきて家が流されることが逢ってもイノチは助かり ツナミを前提に家を作ればまた復興も早いと想像する。

詰まり大規模な防波堤のない「海の見える生活」である。

避難を最優先した広い道路整備 ・碁盤目の都市計画 ・ 緊急時の高いビル 等 を考慮した現状の生活を維持できる その選択肢はないのかな?という思いも強いが・・・・。

第三者の無責任な言葉かも?  

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
怨念? (メタボ)
2013-08-18 12:12:56
osamu様
夏風邪も一段落の様子ですが、しばし無理は禁物ですね。盆休中することがないので、せいぜい柔軟に勤めました。開脚の縦、横とも少し伸びました。

地震:詳しい資料を紹介いただき、有難うございました。日本だけの歴史を見るに、とりあえず高層ビルに逃げ込むしかありませんが、エレベーターは動かず、マンズ田舎には周辺に高層の建物はありません。さらには
安普請なので家が持ちませんね~
骨董品と共に覚悟を決めます(笑)

(何でも言って委員会):本日昼からTVでやります。テーマが、トル-マンの犯罪とありました。いつも録画で見ています。

広島赴任中は何十回となく、ドームや公園の横を健康の為、早足で歩きましたが、当時から大きな違和感を感じていました。これだけの大惨禍、民間人の虐殺が,広島,長崎(東京も)あったにもかかわらず(2度とこのような~)という論調です。無論最初はGHQから厳しく統制されていたでしょうが、今でも同じ論調なのが気になります。

私なら資料館の建替えにはアメリカからも資金を募り、トイレの便器のタイルはルーズベルトやトルーマンの顔タイルにします。
千鳥ケ淵は象徴としてのスターリンですか。
加齢と共に私もこらえ性がなくなりましたな~

黄色人を原爆の実験台にしようと言うトルーマンやスターリンのシベリアの糾弾があまりになされていないと感じます。高級官僚の裏切り、密約など今では資料は溢れています。

日本人も隣国の爪の垢を煎じ、70年消えぬ怨念を持ち続け、語り継ぐ必要が少しはあるのでは?
偏見爺としては、日本民族は自虐,ナイーブ(軟弱)臭がやや強いように感じます。やさしいのはいいのですが。

陰陽師,安倍晴明が怨霊を退治したように、安倍政権にも怨霊を退治していただくしかない?国内の利権怨霊(官僚、医療、農業、土建)も足にとり付いていますから大変です。

一庶民としては、とりあえずガソリン税の2重取を少し還元しろ!私はあまり乗らないので、影響は少ないのですが、庶民の不満はまず逃げ道のないガソリンなので、消費税ウンヌンの前に、少しガス抜きをしておいたほうが、安倍さんの今後の改革遂行の為と思いますが。       草々
           マグロの味忘れたメタボ拝 
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メタボさんへ (osamu)
2013-08-19 05:15:42
>開脚の縦、横とも少し伸びました

日頃の練習が稔りましたね。

私の夏風邪は未だ微熱があります。咳は収まりました。長いですね~。

(何でも言って委員会):は残念ながらこちらでは見ることが出来ません。

資料館は私は2~3度しか行っていません。なにかピーンとこないのです。私は9日の日に姉を探しに市内を歩きまわりました。勿論 相生橋の近くも歩きました。焼け野原でありながら焼けた残材が全くない不思議な世界でした。 上京していたので手帳のことは知らなく持っていません。

記念館の碑の文字が一時問題になりました。「過ちは犯しません」です。某国で「日本人が謝っている」というのです。正義をした裏漬けになったようです。詭弁ですが・・・・。

コンンクリートは100年は保つといわれていましたが原材料(砂利・砂)が悪く今は50年のような感じです。 建て替えは杭の撤去に費用が掛かります。 既存RC造の建造物の耐力が問題になっています。木造なら簡単?ですが・・・。記念館も木造の日本建築にすればいいとい思っていますが・・・・。

諸物価が知らぬ間に値上がりしています。安陪さん靖国参拝止めましたね。「痛恨の極み」はどこに行ったのでしょう?シナとチョウセンは、もうシカト以外手はないと思っています。

パク?大統領はこんにちの国の繁栄の基礎を築いた父の功績にドロを塗っているように思えます。そこまでするなら大統領など辞めたほうがいいと想像していますが名誉欲が異常に強い女性のようです。相手にするタマではないですね。

きょう(19日)はジムに行き筋力強化器に取り組む予定です。体温は37度ありますが苦痛は感じません。約40分の筋力強化機で汗をかいた、その後のジャグジー風呂やサウナが楽しみです。家内が私の後に夏風邪を引いていますが・・・数回休んだので今日はどうしても行くと張り切っていますが・・・。牛に引かれてジムに行きます。

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