還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

やれやれ・・・

2009-10-18 04:00:56 | 友達
やれやれ・・・

あの辛かった注腸検査からまる二日経過した。

心配していた尿閉も今のところ起こらず、まずまずかな?と一安心する。

この注腸検査の結果は再来週だ。

大腸がんといえば太極拳仲間であった私より2~3歳先輩の方で既に故人となられた若○さんを思いだす。

故 若○さんは60歳半ばから太極拳を始められた方で、それでも70歳を過ぎてから 太極拳の初段は取られたと思う。

初段を取られたときに

「これでも私は空手3段だよ、捕縄術や何やかや足すと10段近くになる」とも言われていた。

捕縄術とは?

そう彼は元警官だった。

それも定年近くまでパトカーに乗っていたとか?

若いときは白バイだったとか?とも言われていた。

面白く愉快な方で非常に親しみのある人でもあった。

水泳でもご一緒したが、不思議に余り泳げない方だった。

不思議と言うのはいつも「おれはスポーツなら何でもやったよ!」と言われていたからだ。

あるときにプールでご一緒した時

「これでもおれは水難救助員の資格は持っている」と自慢しておられた。

「泳げないのにどうして救難員の資格がとれたの?」と聞くと

「いや~講習のときにな!オレは溺者ばかりをやって救助されていたのよ~」

「ヘ~ェ それで資格が取れたの?」

「う~ん 当時はね~」

なんだか?怪しいが、別に問いただすほどでもない。

彼はプールでも25mをやっと泳がれるくらいだった。

因みに「赤十字水難救助員」を調べると500m は泳げないと取れないと記載してある。

これから見ると、どうも怪しいが、彼の言うとおり当時はとれたのかも?

赤十字水難救助員 ↓

http://www.tokyo.jrc.or.jp/seminar/suijo/yousei_suijo.html

その彼が太極拳の教室に見えなくなり、暫くして誰からか?彼が上○病院に入院していると聞き太極拳の先生と

ご一緒に彼の見舞いに行ったことがある。

病室では既に手術も終わり何時もと替わらない元気なものだった。

「直腸に直径3cmのポリープがあったんで切りとったんだ」と言っていた。

「3cm の太さだったんだぞ!」と誇らしそうに言われていた。

「そう~それは凄いな~」そして、その切り取ったポリープの写真も自分が撮影したと、その写真も見せてもらった。

その後よくなり一度 退院して太極拳の教室にもときどき見えたが、再び見えなくなり、また、入院されたと聞き今度はカミさんと一緒にお見舞いに行ったものだ。

相変わらず病室では元気な姿が見え、俺のお守りだという直径10cmくらいの大きな水晶玉も見せてもらった。

これなら大丈夫だ!とカミさんと話ながら帰宅した。

その後 訃報が入ったのは、どの位 経ってからか?忘れてしまったが? 

再び元気な彼とお会いすることは出来なかった。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・

歳を重ねると話題も段々と故人の話が多くなる。

懐かしむのか?それとも、それが自然なのか?分からぬが?

まァ いずれ行かねばならぬところではあるが、その時までは成り行きに任せて待つことにする。

段々 風も冷たくなり、朝 起きたときの部屋の温度も下がってきた。

一昨夜からカミさんに言って電気アンカを出してもらい、寝床の足元に入れて使い始めた。

手先や足の冷える我輩は寒さには滅法弱い。

北の散歩道」のブログを見ると、もう旭川市内から見る大雪山連邦の頂は雪景色だ。

私のこのつまらぬブログにいつも真摯なコメントを頂いた”ぬまじじさん”は自分史の原稿を書くのとお好きなパーク・ゴルフに忙しいことと思う。

ウナギの寝床のようなビニール・ハウスでパーク・ゴルフをされるのも、もう直ぐですね。

電気アンカを使った所為か?ゆうべはぐっすりと眠れたようだ。

今朝の気分は非常によい。

現在 午前 4時 丁度 部屋の温度 22度 湿度 75% 外はまだ暗い!

きょうの予定は?とカレンダーを見たが日曜日で何も書いてない。

TVを見るか?何時ものように本でも読むか?

大事なことを忘れてた。

先日(15日) Jym で体重を量ったら75.85 と76Kg を切っていた。

・・・のであるが、今朝 洗面所の体重計で計るともう78Kg になっていた。

検査食の後で饂飩や餅を食べ過ぎたようだ。    

痩せたいな~ァ 











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