・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://mainichi.jp/opinion/news/20140322k0000m070135000c.html 以下全文
余録:出張や旅行から帰った後、おみやげの数が足りない…
毎日新聞 2014年03月22日 02時00分
出張や旅行から帰った後、おみやげの数が足りないことに気付いてあわてた経験はないだろうか。そんな時に頼りになるありがたい場所が大阪にはあった。全国各地の名産品店が並ぶ梅田地下街の通称「アリバイ横丁(よこちょう)」だ
▲1951年、阪神百貨店の前身、阪神マートが地下道沿いのショーウインドー用スペースを転用し、奥行き約50センチ、間口5〜6メートルの小さな店舗を13区画作ったのが始まりだ。成長の波に乗って店舗数はどんどん増え、70年代には40を超える都道府県の名産店が並んだ
▲景気が良かった当時の大阪には地方からの出稼ぎ者も多かった。「地方出身の人にとっては郷愁(きょうしゅう)を覚える存在であり、また旅行者にとっては手軽に土産(みやげ)品を購入できる場として人気を呼んだ」(阪神電気鉄道百年史)と記されている
▲郷土色豊かな品々が並ぶ店先は、通りすがりに見物するだけでひとときの小旅行気分に浸れたものだ。いつしか付いた「アリバイ横丁」の名にはカラ出張や不倫旅行をもにおわせる関西風ユーモアの味がある
▲この5年ほどで店舗の数はガクンと減った。百貨店建て替えに伴う地下道拡幅工事で、最後に残った3店も今月末で閉店する。インターネットで簡単に全国の特産品が買える時代、横丁で買った品はもうアリバイにならないということだろう
▲地下道からは会社帰りの立ち飲み客でにぎわう老舗(しにせ)の串カツ店や居酒屋、古本屋も近く姿を消す。地上ではここ数年、JR大阪駅舎が新調され、新しいデパートや複合商業施設などが次々と建ち、大阪の玄関口の風景は大きく変わった。その足元からも昭和の趣(おもむき)は消えてゆく。
/////////////////////////////
つぶやき
「アリバイ横町」・・・お土産店が並んでいた。便利なお店だったと思う。東京駅の売店にも似たお店があったとおもうが最近は出かけないので分からない。
この「アリバイ横町」を読んだときに直ぐに渋谷の「恋文横丁」を思いだした。 私の記憶では既に代書屋さんの店はなく飲み屋やラーメン店がひしめいている迷路状のお店が並んでいた。
仕事が終わり友人と深夜 渋谷で飲んでラーメンを食べて世田谷の寮に帰ったものだ。
「恋文横丁」 初めて、この名を聞いた時はロマンチックな名前だと思ったが事実は敗戦の悲しみを呼ぶものだった。
進駐軍が東京に来て飲み屋や女性を求めて渋谷に集まった。そこで若い女性と米軍兵士との付き合いが始まった。兵士は数日の休暇の後にまた戦場に行く。
その兵士に送る手紙の代筆をした店が並んだ路地を何時しか「恋文横丁」と呼ぶようになったと言うことだった。
勤め帰りの夜半 「恋文横丁」で ラーメンをすすりながら当時のことを偲ぶこともあった。敗戦という裏の姿だ。
今はもう渋谷の「恋文横丁」 はない。昭和は静かに消えてゆくようだ。
今朝はとてもいい天気だ。外気温 7度 未だ寒気団は去らないようだ。明日は太極拳の県大会だ。暖かいいい日なってもらいたいが・・・・。早朝に家を出る予定である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます