神社の一の鳥居から本殿を拝見・・・あれれ?
この鳥居の向きが本殿とやや斜めになっています?
お天気が好かったので自転車で近くを走りましたら、ある公園の隣に思わぬ立派な神社があり写真を撮りました。
ソースはsakura様から拝借しました。何時も有難うございます。
と・・まァ 余計なことを言いましてすみません。実は私もよく知らないので質問形式にしました。失礼
灯篭の写真のところで柱が見えますが面取りが「几帳面」になっていました。
神社の参道について
参拝は左側通行つまり時計廻りが正解のようです。
ちなみに参道の中央は神の歩むところであり、参拝者は参道の左側を歩きます。
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神社の「一の鳥居」を抜けると参道に入る。
この参道は、神と人とを結びつける神聖な通路で、神職は、そこを常に清浄な状態に保つよう心がける。
また、参道の中央は、神が神殿と人間が生活する世界との間を行き来する道だとされ、そのため神社を参拝する時には、参道の中央を歩くのは避ける。
神社の周囲には、玉垣と呼ばれる木や石の低い柵がめぐらされている。そこの内部が、古くから神が降りてくる聖域とされた土地である。
古くは、榊などの木をならべて植えて玉垣をつくっていた。
しかし、奈良時代に朱ぬりの板でつくった玉垣が流行し、榊を玉垣にする習俗はすたれていった。
近年では、寄進をした者の姓名を刻んで朱を入れた石でつくった玉垣が多くなっているが、広島の厳島神社には、奈良時代風の朱ぬりの玉垣がのこっている。
玉垣の先の境内の参道には灯籠がみられる。これは、もとは参拝者のための照明として設けられたものであったが、現在は灯明を神に献ずるために用いられている。
参道の両側に、魔物が神域に入らぬよう警戒する魔よけのための狛犬が一対おかれている。これは、オリエントやインドのライオン像が、中国、朝鮮半島をへて伝えられたものだそうです。
その異様な姿が、日本の犬と異なる高麗(中国東北地方から朝鮮半島北部にかけての地域を支配した国で「狛」とも書く)の犬だとされた。
しめ縄の型
注連縄(シメナワ)の型には大きく分けて、左末右本、左本右末とがあります。
基本的形の分類
一般には左末右本であります。
これは社殿に向かって右を上位とし、綯い始めを右にするところによります。
出雲大社では上絵(*写真の取り込みをしなかったのです)で見られるような一般と正反対の左本右末です。(*今度確認の必要があるようです)
縄の綯い方も、左綯いと右綯いがあります。
左綯いと右綯いの縄を2本併せて張るところもあります。
左綯いが本来とされているが、右綯いは20%程度あります。
注連縄には和紙をジグザグに折った「紙垂」(しで)を幾つか下げ、又、藁を束ねた「〆の子」を下げます。
縄の太さも前垂れの細い物から、出雲大社のように極太いのものまで、いろいろあり、 「紙垂」や「〆の子」の形にも様々なものがあります。
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以上の記事はネットサーフインでパッチワークのようにコピーしていたものです。
原文のアドレスを書き止めなかったので申しわけないです。
お詫びをしながら書きました。
勿論 神社にはお礼を申し上げて丁寧に参拝を致しました。
礼
神社には参拝やイベントなどで出かけることは
多いが神社の由来やマナーは見よう見まねで
過ごしてきました。
大変勉強になりました。暮れに神棚のしめ縄
(ゴボー)の左右が解らず、調べて初めて
知りました。
戦前の3世代生活は孫が祖父母の仕草から自然に社会常識を教わっていたのでは?と この頃 思うようになりました。介護の問題も戦前はこれ程 酷にはならなかったような気がします。
長男が遺産を継ぐ代わりに歳をとった両親の世話をする。これが当たり前の話でしたが、今はなんだか長男が両親を看るのが当たり前で両親が亡くなれば土地や家を売って遺産を兄弟姉妹に分割しろと言うことが多くなりました。最もその長男が遠方に居て何もしなかった場合は問題はまた別ですが・・・?
ちょっと変な話になりました。