「夏草や 兵どもの 夢の跡」(芭蕉)と、ふと呟きたくなるほど近頃のGWは季節の変わり目のようである。
昨日は「端午の節句」の記事をブログに書いたが世間では「端午の節句」らしき感じはなく、お休みの日!と言う意味合いが強くなって来ている。
今年はナン連休?と言う「お休み」の日数の関心が強い。
今年GWのお休みの最長(期間)は9連休の会社があるとか?我輩にとってはどうでも良いことだがね。
我輩の言うことは実に他愛無い歳をとり退職して暇になったらGWに関係ないと言っているだけだ。いい気なもんだ。
TVでは例年の如く国内の驚くような車の渋滞と交通機関の乗車率とかを示している。

海外旅行の報道では、なんと530万人(?)の方が出かけられた?と、その帰国姿の映像を流している。
それでも昨年と比べると15%のダウンとか?格差社会とか貧困社会とか、つい3~4日前のメーデーでの社会党のお念仏も、どこ吹く風か?と思う。
我輩がGWに縁がなくなり毎日が日曜日になると、現役時代でもあった、あの騒ぎ(GW)は一体なんだったのか?と、この頃は不思議に感じる。
以前、我輩が勤めていた会社の社長は常日頃 我々社員に向かって
「諸君は、この○○丸という船の一員であり、外界の荒波の洗礼を直接受けることはない。然し、船長としての私は、この荒浪が、いかに凄まじいものであるかを常に感じている」と聞かされて、ああ また始まったか?と無責任な反応を示したものである。
まァ 実際 会社での実務は、ある部では、これが同じ会社の中かと思うほどノンビリとした感じのところもあった。
今、改めて思うと我輩が新入社員から退社までの長い期間の仕事を思うと必ずしも、この社長の言葉も嘘ではないな!と感じる。
マスコミの不況の報道も全く無関心でありモッパラ、関心は「ボーナス」と、この連休の長さ(期間)にあったものだ。
そうだ、自分の昇給、昇格も関心の一つでもあった。
いうなれば「親の心 子知らず」でもあったのだ。
この船は我輩が下船するまでは、かなりの大きな船と思っていた。
下船して暫くして、改めて外(社会)からこの船を見ると、その大きさは他の船と比べると如何に小さな船であったか思い知らされた。
正に「井の中の蛙 大海を知らず」を地で行っていたようなものであった。
だからこそ我輩のようなトンチンカンな者でも30数年以上も勤められたのかも?
外海が如何に厳しいかを知らなかったのである。
それでも、この会社のお陰で「厚○○金」とか言う年金でなんとか、その日暮らしが続けられる。
ブツ・ブツ文句をいっても、この会社の恩恵は今も受けているのだ。感謝せずにおられない。
あれはバブルの最中のことと覚えている。
我輩が会社の寮に居た時のことである。ある日の深夜帰寮して、一人食堂に入り遅い夕食をしようと席に座ると、少し離れた場所で酒盛りをしている数人の社員の話声が聞こえてきた。
「今日は10億買ったよ」
「俺は15億買ったぞ」
最初は何のことかサッパリ判らなかった。
見れば、まだ会社に入って間がない若い社員のようだ。
このような社員が一体何を買ったのだろう?と不思議な思いをしたものだ。
その内に
「坪3200万だったよ、それで30坪手に入れた」
「何処だ?なに○○台?」
「それは儲けものだな?」
「お前は?」
「俺か?俺は3200万で50坪少しだ」
「お前のところにしては高いな~ァ」
「然し、頑固でな~仕方なかった」
「兎も角お互いノルマは達成したのだカンパイ~!」
聞いていた我輩は何がカンパイだ!聞きながら、こいつら一体何を考えている。
数百万の利益を上げるのに、どれだけ現場は苦労をして居るのだ!思わず立ち上がり
「おい、君たち1億稼ぐのにどれだけの仕事をしなければならないのか知っているのか?」
と怒鳴った。
彼らは一瞬こちらを、ちらっと見て
「先輩の部署はどこですか?」
「なにィ~!」
「部署には関係ない!」
「1億稼ぐのに、どれだけ仕事をすればいいのか聞いているのだ!」
「・・・・・・・・・・・・・部屋に行って寝るか」
リーダーらしき者が、そういって彼らは、我輩を無視して食卓の飲みかけの食器も片付けずに立ち去った。
「おい!」
と言ったが振り向きもしない。
会社の雰囲気は見事に変わっていたのだ。
出し抜けに何処の部かも知らぬ部のおっさんに怒鳴られて彼らも頭に来たのかも知れない。
「知らぬは亭主(社長)ばかりなり」か ・・・・
ブン殴りたい気持ちだった。
彼らは開発部の若手だったのだ。
それは直ぐに分かったが、なにしろ、わが社の開発部は当時 花形の部だった。
年初の4月1日の入社式を兼ねた会社の創立記念日の式典で何時も最優秀部として表彰されていたのだ。
噂では開発部では内緒のボーナスが出るということも聞いたが、そのような事が若しも出来るのは、開発部なら?或いはと思ったほどである。
暫くして我輩が転勤になり、この独身寮を出ることになった。
バブルが弾けて、この彼らが買った土地が会社の経営を脅かす脅威に変わり、遂にマスコミの知ることとなり15~16年前に○○建設 銀行に○千億の・・と大見出しがでることになった。
この間の事情は我輩には全く不明だ。ただ、なるべくして、そのようになったと思うばかりである。
あっと言う間に会社は縮小の憂き目にあう。
倒産に等しいものであった。
そして我輩がよく利用していた全国にあった会社の福利厚生宿泊施設の全てを失った。
会社では出来の悪い不良社員でもあった我輩が困ったのはこれだった。
まさか、自分の勤めていた会社がおかしくなるとは夢だにしなかった。
退社後は、会社の福利厚生施設を利用して全国旅行でもしようかな?と考えていたからである。
なんと、チンケな望みであったことだろう。
勿論、今も会社は存在している。然し、福利施設はない!
先日ネットで調べると会社の売り上げは最盛期の三分の一くらいになっていた。
従業員も三分の一以下になっている。
我輩の知る多くの逸材は会社を去っていた。
まァ 歳も歳だから仕方ないが・・・。
売り上げも一時は1兆円に近かったものだ。
「二八そば 七百八十文はらひ」(江戸川柳)
*赤穂浪士が討ち入りの直前、そばやに集合したことは有名な話です。
二八そば(16文)47人分の支払いが780文だったとのことです。
この団結の気持ちは、もう遠くなり無くなったようだ。
このころは、やたらと昔のことばかり言うのは我輩の寿命が切れるのも、もう間近なのか?
長年会計事務所に勤めていたカミさんは何時も言っている。
「潰れる会社は潰れるようなことを次々としている」
と・・・。

長いGWが早くも過ぎ去り、
くそ爺が呟く戯言(タワゴト)である。

昨日は「端午の節句」の記事をブログに書いたが世間では「端午の節句」らしき感じはなく、お休みの日!と言う意味合いが強くなって来ている。

今年はナン連休?と言う「お休み」の日数の関心が強い。

今年GWのお休みの最長(期間)は9連休の会社があるとか?我輩にとってはどうでも良いことだがね。

我輩の言うことは実に他愛無い歳をとり退職して暇になったらGWに関係ないと言っているだけだ。いい気なもんだ。

TVでは例年の如く国内の驚くような車の渋滞と交通機関の乗車率とかを示している。


海外旅行の報道では、なんと530万人(?)の方が出かけられた?と、その帰国姿の映像を流している。

それでも昨年と比べると15%のダウンとか?格差社会とか貧困社会とか、つい3~4日前のメーデーでの社会党のお念仏も、どこ吹く風か?と思う。
我輩がGWに縁がなくなり毎日が日曜日になると、現役時代でもあった、あの騒ぎ(GW)は一体なんだったのか?と、この頃は不思議に感じる。

以前、我輩が勤めていた会社の社長は常日頃 我々社員に向かって
「諸君は、この○○丸という船の一員であり、外界の荒波の洗礼を直接受けることはない。然し、船長としての私は、この荒浪が、いかに凄まじいものであるかを常に感じている」と聞かされて、ああ また始まったか?と無責任な反応を示したものである。

まァ 実際 会社での実務は、ある部では、これが同じ会社の中かと思うほどノンビリとした感じのところもあった。

今、改めて思うと我輩が新入社員から退社までの長い期間の仕事を思うと必ずしも、この社長の言葉も嘘ではないな!と感じる。

マスコミの不況の報道も全く無関心でありモッパラ、関心は「ボーナス」と、この連休の長さ(期間)にあったものだ。

そうだ、自分の昇給、昇格も関心の一つでもあった。

いうなれば「親の心 子知らず」でもあったのだ。

この船は我輩が下船するまでは、かなりの大きな船と思っていた。
下船して暫くして、改めて外(社会)からこの船を見ると、その大きさは他の船と比べると如何に小さな船であったか思い知らされた。

正に「井の中の蛙 大海を知らず」を地で行っていたようなものであった。
だからこそ我輩のようなトンチンカンな者でも30数年以上も勤められたのかも?
外海が如何に厳しいかを知らなかったのである。
それでも、この会社のお陰で「厚○○金」とか言う年金でなんとか、その日暮らしが続けられる。

ブツ・ブツ文句をいっても、この会社の恩恵は今も受けているのだ。感謝せずにおられない。

あれはバブルの最中のことと覚えている。
我輩が会社の寮に居た時のことである。ある日の深夜帰寮して、一人食堂に入り遅い夕食をしようと席に座ると、少し離れた場所で酒盛りをしている数人の社員の話声が聞こえてきた。
「今日は10億買ったよ」

「俺は15億買ったぞ」

最初は何のことかサッパリ判らなかった。

見れば、まだ会社に入って間がない若い社員のようだ。

このような社員が一体何を買ったのだろう?と不思議な思いをしたものだ。
その内に
「坪3200万だったよ、それで30坪手に入れた」

「何処だ?なに○○台?」

「それは儲けものだな?」

「お前は?」

「俺か?俺は3200万で50坪少しだ」

「お前のところにしては高いな~ァ」

「然し、頑固でな~仕方なかった」

「兎も角お互いノルマは達成したのだカンパイ~!」

聞いていた我輩は何がカンパイだ!聞きながら、こいつら一体何を考えている。
数百万の利益を上げるのに、どれだけ現場は苦労をして居るのだ!思わず立ち上がり
「おい、君たち1億稼ぐのにどれだけの仕事をしなければならないのか知っているのか?」

彼らは一瞬こちらを、ちらっと見て
「先輩の部署はどこですか?」

「なにィ~!」

「部署には関係ない!」

「1億稼ぐのに、どれだけ仕事をすればいいのか聞いているのだ!」

「・・・・・・・・・・・・・部屋に行って寝るか」

「おい!」


会社の雰囲気は見事に変わっていたのだ。

出し抜けに何処の部かも知らぬ部のおっさんに怒鳴られて彼らも頭に来たのかも知れない。
「知らぬは亭主(社長)ばかりなり」か ・・・・

ブン殴りたい気持ちだった。

彼らは開発部の若手だったのだ。
それは直ぐに分かったが、なにしろ、わが社の開発部は当時 花形の部だった。
年初の4月1日の入社式を兼ねた会社の創立記念日の式典で何時も最優秀部として表彰されていたのだ。
噂では開発部では内緒のボーナスが出るということも聞いたが、そのような事が若しも出来るのは、開発部なら?或いはと思ったほどである。
暫くして我輩が転勤になり、この独身寮を出ることになった。
バブルが弾けて、この彼らが買った土地が会社の経営を脅かす脅威に変わり、遂にマスコミの知ることとなり15~16年前に○○建設 銀行に○千億の・・と大見出しがでることになった。
この間の事情は我輩には全く不明だ。ただ、なるべくして、そのようになったと思うばかりである。

あっと言う間に会社は縮小の憂き目にあう。
倒産に等しいものであった。

そして我輩がよく利用していた全国にあった会社の福利厚生宿泊施設の全てを失った。

会社では出来の悪い不良社員でもあった我輩が困ったのはこれだった。
まさか、自分の勤めていた会社がおかしくなるとは夢だにしなかった。

退社後は、会社の福利厚生施設を利用して全国旅行でもしようかな?と考えていたからである。
なんと、チンケな望みであったことだろう。

勿論、今も会社は存在している。然し、福利施設はない!

先日ネットで調べると会社の売り上げは最盛期の三分の一くらいになっていた。
従業員も三分の一以下になっている。
我輩の知る多くの逸材は会社を去っていた。
まァ 歳も歳だから仕方ないが・・・。
売り上げも一時は1兆円に近かったものだ。
「二八そば 七百八十文はらひ」(江戸川柳)
*赤穂浪士が討ち入りの直前、そばやに集合したことは有名な話です。
二八そば(16文)47人分の支払いが780文だったとのことです。
この団結の気持ちは、もう遠くなり無くなったようだ。

このころは、やたらと昔のことばかり言うのは我輩の寿命が切れるのも、もう間近なのか?
長年会計事務所に勤めていたカミさんは何時も言っている。
「潰れる会社は潰れるようなことを次々としている」
と・・・。寿命の来た奴は来るような生活をしている!と置き換えてもいいのかな?

くそ爺が呟く戯言(タワゴト)である。
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