きょうは本年の水中歩きや僅かの距離の泳ぎ納めを市営「花の国プール」でしてくる予定である。
常連の方々にもご挨拶をしてこようと思っている。
膝の痛みもプールからの帰りはかなり治まっている。帰りは駐車場に行くのも足取りは軽いのだ。
歩けないことはホントに辛い。来年こそは寒さにも負けなく歩るけるようになりたいものだ。体重の件もある。昨日のところ73Kg台は替わらない。
来年 夏までに70Kgを切りたいものだ。
車も昨日 洗車してガスも満タンにし灯油も補充購入しておいた。
FF暖房器は修理の電話をする前になぜか?治ったものだ。年明けにでも点検を頼むことにする。
カミさんは正月の準備に我輩の知らぬ仕事に追われているようだ。口を出すと邪魔になるらしい?黙って見ている。
昨夜 遅くまで「99年~愛」を見た。内容の真偽は分かりかねるが、さもあらんとは推察できた。カルフォルニアのおじさんから以前この収容所の写真が送られてきた。
収容所に収容された方々が戦後40年か?50年後に現地に集まり皆さんと昔を語った様子が書いてあった。記念写真におじさんや親戚の方々の姿がルーペで見られた。
「大和魂」近頃は余り聞かない言葉だ。
私は 大和魂=戦争 と言う式が成り立っているのでは?と感じている。
由紀さおりさんの歌が外国で評判のようだ。
「ブルーライト・横浜」や「文部省唱歌」が話題になっているようだが、私には頷けるものがある。戦後 これら文部省唱歌は音楽教科書から消えた。
何しろ国家斉唱のピアノの伴奏を断る音楽教師がいてはね~
彼ら音楽教師には、この文部省唱歌は頭から理解する気がないのでは?
「故郷」「赤トンボ」「荒城の月」「ホタルの光」「めだかの学校」・・・・何故 教科書から消えたのだろう?
マッカーサーにより日本人の精神構造まで改革?されて仕舞い未だに彼の個人的なといえる憲法が後生大事にされている。
なんと言っても家族制度の破壊と相続の改悪は過っての日本人の心を荒ませている。
以前 養老院が災害に合い死者がでた。すると見たこともない子供や親族がゾロゾロと来て慰謝料の受け取りを請求したという。これが今の日本の姿である。
3代家族が普通だった戦前が懐かしい。「さざえさんち(家)」のような・・・・。
私も、もう歳で何時 川向こうに行くかもしれない。せめて誰にも迷惑は掛けたくないがそうは行かないようだ。身辺整理が必要か?
「旅に病み夢は枯野を駆け巡る」 のように車で気の向くままにいづくかに旅たちたいと思うようになった。
「雲の峰いくつ崩れて月の山」 山形には手話でお世話になったSさんが居られる。お元気かな?親御さんの看病に田舎に帰られた綺麗な女性の方だ。
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」芭蕉の山形の句ばかり・・・。
申し訳ない最初に句は大阪でした。
まだ元気な?うちに出かけたいが?想定外になる前に????複雑な気持ちだ?
元気:自分のことは自分で出来、車が運転できるうちと言うことです。
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発信箱:「公」の電話=滝野隆浩(社会部) (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111228k0000m070122000c.html 以下全文
発信箱:「公」の電話=滝野隆浩(社会部)
東日本大震災では、公衆電話が「よくつながる」と大活躍した。これを受け総務省が10月、「緊急時における有効な通信手段としての公衆電話の在り方」を情報通信審議会に諮問した。どこにあるか日ごろから確認しておいてもらうため、NTTは来春にもホームページに設置場所を公開する。
携帯電話が普及して公衆電話の利用者は減っている。現在、台数は約25万台。ピーク時(85年=93万台)の3分の1以下だ。要望がないと新設もしていない。利用するのに列をつくるなんて、もうない。先日、電話ボックスの中でケータイを耳に大騒ぎしている若者を見かけた。でも、かける言葉はなかった。彼の勝手だ。
ダイヤルからプッシュ式になり、硬貨からプリペイドカード式に。公衆電話は進化を続けてきた。色も青、赤、ピンクから黄、緑色と変わっていったが、駅前や公園、喫茶店で、いつも存在感があった。だから、フォークソングや歌謡曲にもよく登場した。遠くふるさとに住む父母や恋人と、情感を交わせる数少ない手段の一つだった。周囲の目や耳を気にしながら、そして硬貨の落ちる音を気にしながら、小声で伝える大事なひと言。
日本がまだ貧しかった時代。パブリック(公)とプライベート(個)が、街角に置かれた機械の上で交差していた。「個」に向き合うときも、視界のどこかに「公」はあった。いまは個人が最優先。「公」の退潮に合わせるように、グレーの目立たない機種が増えていったのか。
総務省が見直してくれて、なんだか自分のことのようにうれしい。お前はまだ役に立つと言われたような気になる。携帯電話を使っていない人もいる。台数はもう少し増やしてほしい、特に地方で。公衆電話は社会の財産なのだから。
毎日新聞 2011年12月28日 1時21分
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聾 見
今回の東日本大災害時にも「公衆電話」が活躍したようだ。公衆電話が威力を発したのは1995年の阪神淡路大震災で証明されている。私の近くでも直ぐに思いつく公衆電話の設置場所は、ほんの数箇所でしかない。
家から近い?駅前に在った2箇所は1箇所になり他にこんな場所にと思うところにも1箇所 見つけてそれが今は頭に入れている。
三浦半島が危ないと言われている。車の中にも非常袋が必要な時になったのかも?
今(午前6時) 庭に出て外気温を見ると8度 あった。
きょうは少し暖かくなるのかな?
お忙しい中を、石見銀山歴史散策ウオークにお付き合い頂き、有り難うございました。
正月の準備も着々と進んでますね。
小生もジムは29日で終わりにし、正月の買い物のお供で~す!
今年も後わずかになりましたね
寒さも続いている折から風邪には十分にお気をつけくださいネ!
('_')今朝は石見銀山最後の大森町の町並み散策をアップしましたのでお暇な時にお越し頂ければ幸せます。
('_')それでは金曜日にまたお伺いします!バイ・バ~ィ!!
!(^^)!来訪・コメントを、お待ちしていま~す!!
よいお年を・・・