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http://mainichi.jp/opinion/news/20140606k0000m070160000c.html 以下全文
余録:唐の時代の中国の詩人、杜甫に「梅雨」という詩が…
毎日新聞 2014年06月06日 01時34分(最終更新 06月06日 01時35分)
唐の時代の中国の詩人、杜甫(とほ)に「梅雨」という詩がある。
「南京犀浦(なんけいさいほ)の道 四月黄梅熟す」で始まるが、この南京は成都(せいと)のこと、犀浦は県の名で、旧暦4月は夏の初め、梅の実が黄ばんで熟すころだ
▲「湛湛(たんたん)として長江去り 冥冥(めいめい)として細雨来る/茅茨疎(ぼうしそ)にして湿(うるお)い易(やす)く 雲霧密にして開(ひら)け難し/竟(きょう)日蛟(じつこう)竜(りょう)喜ぶ 盤渦(ばんか)岸と廻(めぐ)る」−−長江は水をたたえ、暗く細かい雨が降る。
茅(かや)ぶき屋根は湿り、雲や霧が厚くたれこめる。終日喜ぶのは水中の竜、渦が岸に沿って回る
▲詩聖が描くそぼ降る雨の情景は梅雨が中国の南部や揚子江流域、台湾、韓国など東アジアの広い範囲にわたる現象なのをあらためて思い起こさせる。
「梅雨」も詩のいうように黄梅の季節の雨ということで中国から伝わった言葉で、「入梅」「出梅」も中国語にある
▲一昨日の近畿・中国・東海に続き、きのうは関東甲信・北陸・東北南部が梅雨入りした。
早くも各地で大雨に見舞われた一方、北海道では炎暑が続く変な天気になっている。これは日本付近の偏西風の蛇行の影響で低気圧や高気圧の動きが遅くなっているためという
▲実は今後の梅雨の行方もこの偏西風次第らしい。というのも今夏は南米ペルー沖の海水温が上がるエルニーニョ現象が予想されている。
その影響が地球をめぐりめぐって日本付近の偏西風の流れは南下、太平洋高気圧の北上を抑えて長梅雨になる可能性があるそうだ
▲エルニーニョ現象のあった5年前のような冷夏もありうるというが、実際のところはまだ分からない。太平洋とアジアにまたがる壮大な大気のドラマによって様相を変える列島の梅雨景色である。
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つぶやき
ここ2~3日 急に天候が崩れ体調を崩しました。気候に大きな影響を受ける歳になったのかも? 膝の痛みも時に我慢できない程のものになります。整形科病院には真面目に通っていますが・・・・。プールでは気持がいいのですがね。 やりかけたことも十分にできません。
なんだか気持だけ先走って振り返れば何もしていないのが現状のようです。
もう くたばるのかな? それが自然のなりゆきかもね。
徘徊認知症の方で身元不明者の方が全国で1万人を超えていると報道されていました。 いつか自分もそうなるのかも? カミさんには、その時は放置するように言ってあります。
私にふさわしい死にざま?そのように思うこともあるようです。
「シト・シト・・・」とカタカナでかけば余り湿った感じはしないのですが「しとしと・・」と書くとなんだか滅入ります。反対の方もおられるかも?言葉は難しいです。
手話の会で24日に鎌倉に行くことになりました。足が心配ですが雨天決行だそうです。雨天は足が痛みますが行くつもりです。鎌倉に行くのは何年ぶりでしょうか?後 半月後です。少しでも足を鍛えなくては・・・・。年寄りの冷や水?
書いていた原稿がなぜか何処かへ飛んでいたので今朝 急きょ「余禄」記事に書き替えました。
昨日非常に気になった産経記事です ↓
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140605/plc14060509000004-n1.htm
長い記事ですが・・・・。現在の日本では政治家も「英霊」と言う言葉すら気をつけねばならない国になっています。誰も変に思わない これでは世界の笑い物の国です。戦後の反戦教育の成果?
中国海軍はまるで海賊だね
http://www.youtube.com/watch?v=9pEMPslCv64
関係ないですがメモとして 「日本刀と韓国の刀」
に、に、日本刀の話題に、だ、だ、黙ってはおられません。何かと誤解などあるようですが。
日本も諸外国の良いところを取り入れ、日本独自の文化を熟成してきたので、ルーツをたどれば外国からの伝承も何かと多かったと思います。
仏教、刀(鉄器)、鉄砲(伝来以降)あっという間に世界一)いかに頭がよくしかも、柔軟で、勤勉で、いい民族でした。
日本刀も紀元前の呉の国の刀が優秀、次いで高句麗の刀が優秀であり、そこまでは日本も輸入に頼っていたそうです。朝鮮半島の進んだ、鉄作りと作刀技術は多くの職人が日本に招聘され、技術の伝承をしたと。
わがふるさと鳥取県は大山周辺の鉄が非常に鉄質が良かったことから、半島から多くの工人が来て鉄の原料造りの伝承をしたと。
砂鉄を溶かせば日本刀の原料にすぐなる、わけではない複雑なノーハウがあります。日本刀造りも多くのノーハウがあります。
現代の刀鍛冶は鉄と昨刀技術に関し、たいへんよく勉強しておりその知識は驚くほどです。
故郷の、日野川という川は昔は火の川であり、大山山系で昼夜を問わず多くの炉で砂鉄を溶かし続ける作業は、おろち(大蛇の目)のように見えたてそうで、これがヤマタノオロチ伝説となったとの説もあります。
かんな流しという(砂は流れ重い鉄が残る)砂鉄を得る方法は、泥が下流に流れ、農民のクレームでスサノウノミコトがやってきて、話し合いをした結果、お姫様と高麗の名剣を入手したとの話となり、今に伝わっています。
大国主命も無血で国譲りをするなど、ローマンの塊の時代で、日本刀は日本が独自に工夫したのは先達の教えを得てさらに精進した結果と言えます。
人きりの道具に、ここまで入れ込み神格化、精神のよりどころをする民族は少ないのでしょう。よか国ですたい。
遺骨収集にリベートはないので、シリつぼみ、どころか靖国参拝もビビる現状です。尖閣問題も、とりあえずAKBの話題のほうが気になる昨今です~草々
メタボ拝
>かんな流しという(砂は流れ重い鉄が残る)砂鉄を得る方法は、泥が下流に流れ、農民のクレームでスサノウノミコトがやってきて、話し合いをした結果、お姫様と高麗の名剣を入手したとの話となり、今に伝わっています。
この話は知らなかったです。あとでまたググッてみます。いつも有り難うございます。
出雲の国はお隣ですが大国主の命が出雲大社に祭られているので、島根県は神話の宝庫です。
ヤマタノオロチ伝説も砂鉄を溶かす溶鉱炉(タタラ)が昼夜を問わず火を噴いており、下流の農民からすれば、八つの頭を持つ大蛇との伝承となった?
高句麗の剣が優秀で、蛇を切った時スサノウの剣が欠けたとは当時高句麗の刀(蛇の体内にあったという)が優秀であった証拠でしょう。貴重な鉄の生産集団の朝鮮半島の渡来人を征伐に行く、など考えられないことで、農民との仲を取り持ったと思っています。
ちなみに(タタラを踏む)とは、炉に大きなフイゴで風を送り鉄を溶かす時、みなで体重を乗せふいごを踏むことから、タタラを踏むとなったそうです。
今も島根県では神楽としてが伝承されています。反対側の備前は日本一の日本刀の産地で、2000人の刀鍛冶がいたといわれています。中韓に相当数の刀が輸出されていたそうです。
以上追加のうんちくです。草々
どんじゃおではいつもたたらを踏んでいる爺拝
島根には「ねんりんピック」で一度行きましたが流石 歴史を感じました。出雲大社の発刊の「暦(コヨミ)」も求めて読みましたが出雲地方の農耕や神事の暦(コヨミ)でした。
ヤマタノオロチの神話は教科書で習いましたね。今は教えていないようです。
中国山脈は良質の砂鉄が取れるようですね。広島県の山奥で取れる砂鉄で広島では裁縫の針を生産しているそうです。生産量は日本全国の99%とか?先日 TVで放映されていました。これは私も知らないことで驚きました。メタボさんのお陰で随分と教えて頂きまことに有り難うございます。
>どんじゃおではいつもたたらを踏んでいる・・・
私はチーシーで沈むまでいいですがイエマーフェンゾンに移る時にもうふらついています。ヤジロベーです。
先日の楊式ツルギ・・・男性は4人ですが先生が中ほどまでやられた時に古株の方に何か指示されて向こうの女性のほうに行かれました。私は耳が聞こえないので確かめると「ここまで練習をしてください」と言われたそうです。
なんと「ここまでは私に教われ」でした。
私は先生と共にでしたらなんとか最後までついて行けるくらいで一人ではできませんが仕方なく三角形の形で中ほどまでやりましたが・・・
この教室の古株の男性の方から「先生よりあんたのほうが分かりやすい」と言われ苦笑しました。私も初めての頃(20年前)はトウロを覚えたばかりの方のほうが分かりやすかったことを思い出し思わずニガ笑いです。ヘタでも先ずはトウロだと思っています。ヘボです。
先生よりあんたのほうが分かりやすい~にはおもわず私も笑ってしまいました。
推手の先生が休みの時、代わりに指導していただく先生は、技術的にはまだ大きな差があるのですが、上達過程なので、実に懇切丁寧、時間を掛け、説明していただけるので、逆にわかりやすい面もあります。
大先生は何ともむつかしい身体運用が、いともたやすく出来るので、説明聞いても、当方体が反応しません。助教も必要ですね~
先輩はキャリア充分なので、楊式剣の方でも教え方が上手と思います。今後もトウロの最後まで貫いて、助教の立場を堅持してください。
先日も32剣で変な動作を先生から指摘されました。どうも下半身を作ってから動くのが、ながら族になっていたようです。32も基礎なのでしっかり細部まで動けるようにしたいと思います。
ゆっくり動く効用は太極拳で初めて解りました。足の踏みしめる力を先端まで上手に届ける確認は推手しかありません。どうしても力みがぬけきらず、返って力が分散してしまうのです。道遠しです。 草々
メタボ拝
古参の方は70歳を越しておられるので無理な姿勢はしないように言っています。まァ 私がろくに沈むことができないのでいいのかも?
この教室の女性の生徒さんは県大会の24式で優勝を続けて居られる方や他の部門で上位入賞者の方も数人います。彼女たちの練習は見ているだけで目の保養になります。
時々女性生徒だけで伝統楊式をやっていますがサッパリ分かりません。始まると15分以上はやっていますね。その間は見学です。とてもあれだけは覚えられません。 聞けば全トウロは30分くらいかかるそうです。
今の私には「ゆっくりと中腰で動く」のはほんとに辛くできません。「チーシーで沈んだ高さを保て!」とよく言われましたが今は膝の痛みで凸凹です。私の古いVHSを見ると足が伸びていますがいまはダメですね。ヒョイ・ヒョイとして太極拳にはなっていないようです。それでも教えて頂くだけで幸せと思っています。