金曜日だけに売り出される「ワン・コイン・カレー」
水泳に出かけるのが少々遅くなり不入斗体育館のプールに入ったのが10時過ぎになった。
プールは夏休みに入ったせいか?随分と子供たちで混んでいた。
いつもは「遊泳」エリアで歩くのだが、とても歩いておれない。
歩く専用の「歩くコース」に行き水中歩きを十分にした。
泳ぐコースも一杯である。泳ぐコースのスタート地点の混み具合を見て時々25Mを泳ぐ。
歩く90% 泳ぐ10%を繰り返して時間を過ごす。
プールを上った時の時間は既に11時半 家に帰ってもカミさんはいないかも?と食堂に行く。
食堂の前に「ワン・コイン カレー」なるチラシをみた。
きょうは金曜日だった。これだ!とカレーにする、
前回も食べたが値段の割りに美味い。週1 (シュウ・イチ)なのがいいのかも?
駐車料金も駐車券を出せば2時間までは無料にして貰えるようだ。
ワン・コイン カレーです
← クリックをして頂ければ幸いです。
/////////////////////////////////////////////////////////
しあわせのトンボ:生きとし生けるもの=近藤勝重 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20110722dde012070032000c.html 以下全文
東日本大震災以後は、見知らぬ人の何気ない言葉にも、そうだなあ、とつい聴き入ることがある。東京湾岸に住んでいて、一帯が液状化現象に見舞われたせいもあろうが、それ以上にこの大震災で生活全般を見直し、少しでも変わらなければという思いもあるからだろう。
バス停やバスの車内で主婦同士が交わしている会話には、水とトイレに泣かされた震災体験がにじんでいる。例えばこんな調子だ。
「おふろの水は流さずに、トイレのタンクに入れて使ってんのよ」
「私も以前は水道の水を出しながら顔を洗っていたけど、今は洗面器に水をためて洗ってる。その水もすぐに流さず、トイレのタンクへ入れてるわ」
続くこの話にも、ぼくは隣席でうなずいていた。
「私たち、つらい体験をした者同士でしょ。仲間意識っていうか、言葉にしなくても、何かわかり合えている気がしない?」
「街のみんなとつながっている感じがするでしょ」
別の主婦同士の、こんな会話も耳にした。
「ベランダのさくにクモの巣がよくかかっているの。前はすぐに取り除いていたけど、今はダメ。クモが一生懸命かけた巣だと思うと悪い気がして」
「わかる。震災後は小鳥や草花を見る目も変わった気がするもの」
「みんな一緒に生きているって感じでしょ」
わかるなあ、と思いつつ聞いていた。
週末、群馬県の谷川岳のふもとをよく訪ねるが、生きとし生けるものと共に今がある、と実感する。それは明らかに震災前より強いもので、雪解けと梅雨時に水かさを増した利根川のとどろきにも、山の傾斜の杉木立からもれる木もれ日にも、そして上空から舞い降りて松の木のてっぺんでピーヒョロロと鳴くトンビや、水辺でひたすら虫を捕って飛び回っているツバメにも、共に生きているということを意識する。
先週末は、利根川の渓谷を走るSLに出合った。夏場、JR東日本が特別ダイヤで高崎駅から水上駅間で走らせているようだ。エネルギーは蒸気なんだ、と当たり前のことに心が動き、山あいに汽笛をこだまさせてひた走る姿が、何だか切なくさえ感じられた。
乗客が窓から身を乗り出して手を振っている。ぼくも手を振っていた。(専門編集委員)
毎日新聞 2011年7月22日 東京夕刊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私見
被災地の復旧が遅れていますが、政府・・・菅 総理の姿勢は なんとなく他人事のように感じます。この人には人の痛みが理解できないのでは?
菅総理も民主党も政界から消えて欲しい。
名前は民主党だが中身は社壊党 いや国壊党 そのものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます