たまたま つけたTVの画面に虎の餌に生きた牛を、トラックから、そのまま虎の群れの中に放りだして、虎が牛を襲う様子を観覧バスから観客に見せていた。
その様子を じ~と見て面白がっている子供の姿に思わず私は戦慄感を覚えた。
中国の動物園での出来事で日常行われていることである。
それが最大の目玉で「売り物」となっているとか?
「中国 動物園 記事」
私に言わせれば「酷(ムゴ)い!」の一言だ。
自然界での出来事ならばイザ知らず頷ける。
何も、わざわざ人間が作りだすことではないと思った。
中国人の民族的本質ではないかと思う。浅学な私の即断でもある。
世界では、その国、その国の事情もあるので、なんとも批判は出来ないが私は二度と見たくないシーンだった。勿論子供にも見せたくないシーンだ。
TVでは自然界の「弱肉強食」の映像はよく見るが、人間世界も厳しいが自然界で生きていく為には一瞬たりとも油断が出来ない厳しさを感じたものだ。
このことでTVの取材に応じた在日中国の留学生は当たり前のことで違和感はないと言う。
むしろ、このようなことに敏感に反応する日本人に驚いている節も見られた。
お国柄の違いが、こうも違うのか?とその国で培われた文化の差に驚く。
日本で同じ事をすれば人々はなんと言うのだろう?
社会問題となりかねないのでは?
一度 日本の多くの方々に聞いてみたい。
幼い子供は想像外に残酷である。
我が家のカミさんも
「2~3歳の子供は残酷だよ」
「トンボや蝶を籠に入れて渡して、ふと見るとトンボの足や羽が無くなっている、蝶の足も取られている」驚いて子供を叱り
「そのようなことをするとトンボさんや蝶々さんが可哀想だよ」とその都度 言って聞かせたものと言う。
それでも油断すると同じ事をするという。
その時には
「○○ちゃんも足や手がないと困るでしょう?」といって強く叱ったものだという。
果たしてそれで理解していたのか?どうかは分からないが?
その我家の娘が小学生の頃、何処からか猫の子を2匹拾って飼い始めた。
普通の子に育ったのではと“ほッ”としたものだ。
子供なら一度は経験する過程と思う。
私が小学校5~6年生の頃は何時も私の背中に当時2~3歳の従姉妹を負ぶっていた。
私がトイレに行くために家に帰り、その子を背中から降ろして板の間に座らせて少しの間 その場を去った10分前後だったと思う?
その後 戻ってみると、何やら小さな平たい小石のようなものを5~6個 指先で弾(ハジ)いている。
何だろう?とよく見て驚いた。
指先で弾いていたのは小さな1cmくらいの足と爪のない蟹の甲羅であった。
何も知らずに、ただ、遊び道具に使ったのだろうと思うが、以来 眼が離せなくなった。
きっと床に這い上がった小さな蟹を掴んで手足をもぎ取ったものだろう。
その時は板の間を歩いて三和土(タタキ)によく落ちなかったことに感謝したものだ。
蟹さんには悪いが、蟹さんが子守をしてくれたのだった・・・・・。
その私の背中の子も今は孫がいる優しいお婆さんになっている。
そのようなことは全く憶えていないと思う。
その後、私が、そうしたことを覚えていないことは、そのようなことをする機会がなかったか?或いは背中の子自身が止めたのか?いずれか分からない。
子供の時からシッカリと「やって良いこと」と「やっては、いけないこと」を教えなければならない。
そのためには子供に何を見せてよいかは親がきちっと判断しなければならないのでは・・・・。
あの動物園では、お客さんが沢山来て儲かればいいということだろうか?大きな疑問を私は感じたものだ。
日本では決して真似して頂きたくないことである。
されど、世界は広い!いろんな国があり種々の文化がある。
それを体験するのも若いうちだ、と言う思いもある。
現代の日本は自分の決断で世界を廻れる自由な国になった。
世界を廻り何を学び、何をせねばならぬか、意識ある行動が求められるのでは・・・・。
一度も海外に出たことのない井の中の蛙の私である。
TVの映像で想像逞しくして、私は私の貧弱な想像力で、その「点と線」を結んでいる日々である。
その様子を じ~と見て面白がっている子供の姿に思わず私は戦慄感を覚えた。
中国の動物園での出来事で日常行われていることである。
それが最大の目玉で「売り物」となっているとか?
「中国 動物園 記事」
私に言わせれば「酷(ムゴ)い!」の一言だ。
自然界での出来事ならばイザ知らず頷ける。
何も、わざわざ人間が作りだすことではないと思った。
中国人の民族的本質ではないかと思う。浅学な私の即断でもある。
世界では、その国、その国の事情もあるので、なんとも批判は出来ないが私は二度と見たくないシーンだった。勿論子供にも見せたくないシーンだ。
TVでは自然界の「弱肉強食」の映像はよく見るが、人間世界も厳しいが自然界で生きていく為には一瞬たりとも油断が出来ない厳しさを感じたものだ。
このことでTVの取材に応じた在日中国の留学生は当たり前のことで違和感はないと言う。
むしろ、このようなことに敏感に反応する日本人に驚いている節も見られた。
お国柄の違いが、こうも違うのか?とその国で培われた文化の差に驚く。
日本で同じ事をすれば人々はなんと言うのだろう?
社会問題となりかねないのでは?
一度 日本の多くの方々に聞いてみたい。
幼い子供は想像外に残酷である。
我が家のカミさんも
「2~3歳の子供は残酷だよ」
「トンボや蝶を籠に入れて渡して、ふと見るとトンボの足や羽が無くなっている、蝶の足も取られている」驚いて子供を叱り
「そのようなことをするとトンボさんや蝶々さんが可哀想だよ」とその都度 言って聞かせたものと言う。
それでも油断すると同じ事をするという。
その時には
「○○ちゃんも足や手がないと困るでしょう?」といって強く叱ったものだという。
果たしてそれで理解していたのか?どうかは分からないが?
その我家の娘が小学生の頃、何処からか猫の子を2匹拾って飼い始めた。
普通の子に育ったのではと“ほッ”としたものだ。
子供なら一度は経験する過程と思う。
私が小学校5~6年生の頃は何時も私の背中に当時2~3歳の従姉妹を負ぶっていた。
私がトイレに行くために家に帰り、その子を背中から降ろして板の間に座らせて少しの間 その場を去った10分前後だったと思う?
その後 戻ってみると、何やら小さな平たい小石のようなものを5~6個 指先で弾(ハジ)いている。
何だろう?とよく見て驚いた。
指先で弾いていたのは小さな1cmくらいの足と爪のない蟹の甲羅であった。
何も知らずに、ただ、遊び道具に使ったのだろうと思うが、以来 眼が離せなくなった。
きっと床に這い上がった小さな蟹を掴んで手足をもぎ取ったものだろう。
その時は板の間を歩いて三和土(タタキ)によく落ちなかったことに感謝したものだ。
蟹さんには悪いが、蟹さんが子守をしてくれたのだった・・・・・。
その私の背中の子も今は孫がいる優しいお婆さんになっている。
そのようなことは全く憶えていないと思う。
その後、私が、そうしたことを覚えていないことは、そのようなことをする機会がなかったか?或いは背中の子自身が止めたのか?いずれか分からない。
子供の時からシッカリと「やって良いこと」と「やっては、いけないこと」を教えなければならない。
そのためには子供に何を見せてよいかは親がきちっと判断しなければならないのでは・・・・。
あの動物園では、お客さんが沢山来て儲かればいいということだろうか?大きな疑問を私は感じたものだ。
日本では決して真似して頂きたくないことである。
されど、世界は広い!いろんな国があり種々の文化がある。
それを体験するのも若いうちだ、と言う思いもある。
現代の日本は自分の決断で世界を廻れる自由な国になった。
世界を廻り何を学び、何をせねばならぬか、意識ある行動が求められるのでは・・・・。
一度も海外に出たことのない井の中の蛙の私である。
TVの映像で想像逞しくして、私は私の貧弱な想像力で、その「点と線」を結んでいる日々である。
私の子供のころ、我が家で豚、鶏を飼っていました。
それは我が家の大切な食糧源だったと思います。
豚の場面は見たことはないが、鶏は、祖父が
丸太の上に鶏の首を載せ、それを鉈で首を切り落とすと、首のない鶏が血を噴き出しながら走りまわる様子を見たことがあります。それを見てから鶏肉を食べられなくなりました。
中国の動物園の話と次元が違うが、人間が一番惨酷ですね。
こんな映像は見たくないし,見せて欲しくない。
自然界はものはいいません。全てありのままを見せてくれます。先日TVで北海道道南での廃棄産廃による奇形の花が放映されていました。其処に建てた家に住んだ方が余りの異臭に身体を壊され今は、その家を離れたとか?