ジム屋上から (猿島を見る)
昨日(6日)は忙しかった
朝 二度寝のときに肩を叩かれて起こされた。
「きょうは絵の会場に行く日だよ・・・」
そうだ!一昨日 カミさんから絵の会の発表会があると聞いていた。
カミさんと絵を会場に運んでゆく約束をしていた。
9時に会場に着くように家を出た。
会場のビルの前でカミさんを降ろし、我輩はそのままジムに行く。
ジムの駐車場には一台の車もなく?がらんとしていた。(見えるのは我輩の車だけ)
エレベーターで屋上の駐車場に上がり東京湾の写真を撮ってみた。
屋上とその下の階の駐車場 ↓
↑ がらんとしていた。
ジムは10時に開く。
きょうはカミさんがいないのでゆっくりと時間を気にしないでプールを歩く。
プールの脇にある東京湾が見えるジャグジー風呂にもゆっくりと浸かる。
12時半頃にプールから出て何時もの風呂にはいりサウナにも入る。
ここのサウナはとても熱い。
大体3分が普通らしいが我輩は2分から2分半で出る。
プールで歩くのは意外にエネルギーを使うのか?身体も結構 疲れている。
ロビーに出るとなんとカミさんが椅子に座って我輩を待っていた。
様子を聞くと絵の会場の整理が済むと、後は当番の方が会場に残るらしい?
そこで会場からジムまで歩いてきたらしい?
とても我輩では歩くことは出来ない。
ともに車で帰宅して我輩は自転車で散髪屋に行き、一旦帰宅して、今度は車で汐入に行き用事を済ませ、次は北久里浜の駅前の整形病院でリハビリを受け、更に本屋により注文していた本を受け取り家に帰る。
本屋を出たのが6時過ぎだったが?あたりは暗い。
対向車の中に物凄く前照灯が明るくギラ・ギラする車があり眼がくらむ。
あれは危険だ。
高速道路のカーブで突然 あの前照灯の光に照らされるとハンドルを取られるのでは?
この眩しい光の車は数台に一台の割合であった。
もう高速に乗ることはないからいいが、なんとなく恐怖を感じる。
夜の外出はなるべく控えよう。
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きょうの話題
毎日新聞 「余禄」 ↓
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/
上の余禄の全文 ↓
余録:平城京の九九
主に奈良時代に編まれた「万葉集」に用いられた万葉仮名にはクイズか謎かけみたいなのがある。「山上復有山」と書いて「いず」と読ませるのは「山」の上にまた「山」があるから「出(いず)」というわけだ。では「十六待如」はどう読むか▲「十六」は四四十六だから「しし」で、「鹿猪(しし)待つごとく」と読む。「八十一隣之宮」は「、くくりのみや」で、美濃の泳(くくり)の宮のことだ。「二二」と書いて「し」とも読んだ。歌を読むのも頭をひねらねばならなかったのだ▲つまり万葉の時代には九九が言葉遊びになるほど普及していたのが分かる。そんな平城京の九九事情を示す新たな木簡の発見が先ごろ伝えられた。2年前に東方官衙(かんが)跡から大量に出土した木簡には「二九十八」や「四八卅二」といった文字が表裏両面に書かれていた▲文字がぞんざいなことから、専門家は下級の役人が九九を勉強していたものと見ている。伊達宗行さんの「『数』の日本史」(日経ビジネス人文庫)によると、奈良時代の律令国家は班田収授法にともなう収支や利息などの膨大な量の計算を必要としていたのである▲それを伝える文書の中には役人の旅費計算書まで残っている。ある年には駿河一国で延べ1300人が出張し、役職に応じて出張費を米、塩、酒の現物支給で受けていた。その計算はぴったりと合っている。木簡での算術学習は役人生活の細部にまで役立ったようだ▲さて出土した木簡で九九を学んだ役人はその後どうなったのか。猛勉強のかいあって算学の専門家になったか。もしかしたら計算よりも言葉遊びのおもしろさに目覚め、万葉集に歌を残したかもしれない。
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