還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

ある本より・・・

2013-03-21 05:02:21 | ネタ
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終戦時にGHQによるの言論統制・レッドパージ・種々の規制がされたことは当時は詳しくは知らないことだった。 

先日 読み始めた「戦後史の正体」(孫崎 亨 著)によると占領軍(米国)は日本に対し最初の布告が次の三つだったと書いてありました。

「日本を米軍の軍事管理のもとに置き公用語を英語とする」

「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」

「通貨を米軍の軍票とする」


このマッカーサー布告は関係官僚により事前に食い止められた。・・・と書いてありましたが詳しくはこの本を読んでみてください。

ただ この本の内容が事実か?虚実か?私にはよく分かりません。第三者の目で読まれることを進めます。

著者の思想的なものと思える著述も多く感じました。

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昨日のプールは地元中学の水泳練習?とぶつかり3コースが彼等の専用で若い男性の勢いでプールはまるで沸騰したお湯のように飛沫が上り凄ったです。

偶々居合わせたご婦人など その若さと勢いに圧倒されたのか暫し彼等に見とれていました。体格がいいですね。太った生徒は一人も見られなかったです。

そうそ 私の左足の後ろから太腿の側面にかけて「うっ血」が凄く出ていました。

19日夜 飲み会から帰宅して寝るときに気が付きました。お酒の飲みすぎで出た?

今朝も未だうっ血が消えていません。きょうの午後 整形科に行くので診てもらいます。

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火論:占領者は頭下げず=玉木研二 毎日新聞 2013年03月19日 東京朝刊

http://mainichi.jp/opinion/news/20130319ddm003070115000c.html 以下全文

火論:占領者は頭下げず=玉木研二
毎日新聞 2013年03月19日 東京朝刊

 <ka−ron>

 1952年のサンフランシスコ講和条約発効日4月28日を、占領時代の体験に思いを致し主権回復を記念する日とするならば、メディアにはまた別に苦いものを感じながら、振り返るべき事があるだろう。占領期の検閲である。

 毎日新聞東京本社に「検閲の指針」という29ページの小冊子(複写)が残っている。

 GHQ(連合国軍総司令部)があらかじめ記事をチェックする事前検閲から、後で見る事後検閲に移る前、当時の社内「検閲部」部員が作成した“傾向と対策”である。

 それまでの検閲で記事にストップがかかった事例から、今後も何がひっかかるのか、予想される「検閲線」を示したのだ。事前検閲より、印刷後にノーが出る方が影響は大きく、GHQ側の反応を先に判断しなければならない。

 冊子は制度の経緯と相手の着眼点、分野別傾向や変化などポイントを整理した。むしろ比較的ささいな事例が、この異常な時期の空気を映しているように思える。

 例えば「大男が指揮、6人組短銃強盗」という記事。大男には「六尺近い」という形容がついていたが、削られた。進駐軍兵士を暗示したと受け取られたらしい。

 彼らの威厳を傷つける記事は一切禁じられていた。

 投書の美談にも神経をとがらせる。進駐軍兵士が日本の傷痍(しょうい)軍人のために席を譲ってくれと、日本人に頭を下げて頼んだというくだり。「頭を下げて」が削られた。

 占領は正しく、秩序を保って行われている、という建前が崩れることがあってはならなかった。「一家心中」は報じられても「食糧難ゆえの」という記述は触れるのだ。

 水害で救護班が活躍という記事は、疫病の危険に関するくだりが削られた。厚生省(当時)への伝染病発生報告が消された例もあるという。

 いったい何のために規制しているのか、おそらく当局さえ判然とせぬ事象や些事(さじ)が少なくなかっただろう。

 検閲は思考停止したような不合理な言論封止を生じ、結局世の不安、不信を醸成する。歴史の常だ。戦中・戦前日本自身が同じ事をしている。

 GHQは45年9月、プレスコード(新聞遵則(じゅんそく))で「公共の安寧を乱す」ことや「進駐軍への破壊的批判、不信や怨恨(えんこん)の招来」などを禁じ、10月に検閲を開始した。新聞は48年7月に事後検閲になり、それも10月に廃止した。

 この間、異邦の占領者たちに言論を厳しく制約された苦い体験は尾を引いた。いや「すんだこと」ではない。報じられることがなかった進駐軍兵士の犯罪はその数知れぬままである。(専門編集委員)

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つぶやき

終戦時 色んなことがあったのですね。

私は終戦時 中学1年生で現実の変化の流れに流されていたようです。「戦争が終わった」と言う言葉のまやかしで「敗戦」の現実に遭遇していながら・・・それを見ようともしなかった。「見る」「分析」する能力もなかったようだ。

学校では原爆により多くの先生も亡くなられた。

戦場から復員された方が先生になられて教壇に立たれていた。南方戦線で米軍に追われ山に逃げて寒さに銃床を焚き木にして暖をとったなど思いもせぬ話には言葉を失ったこともあった。

戦争の話はみんなが面白がって先生に求めた経過もあったが悲惨な話はなかったと思う。

昭和21年ころから始まる食料難が悲惨で食べるものがない「飢え」の苦しみは骨身に沁みたものだ。私の唯一の財産になっている。

カミさんは北海道に居た所為か?余り「飢え」を感じていないようだ。

それゆえか?わりと食べ物を粗末にしている。何度か言ったが聞く耳はないようだ。

今更ね~・・・。      

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2 コメント

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内出血 (メタボ)
2013-03-21 15:10:28
osamu様
内出血:外側の筋肉断裂の場合、内出血が時間が経つとどす黒く変色し、外からも見えるのでしょうか~
サスペンスドラマでも血の色も時間が経つとどす黒くなるのが、赤くてはうそ臭いですし~

私のフクラハギの場合、ブチッーと大きな音がしましたが、その部分の筋肉断裂で毛細血管も切れていて、内部は血まみれになっていたのではと思います。

風呂で温め揉んだので悪化。今でも右フクラハギ君は左より小さいです。ライスは重要ですね。

春:酷い強風で、芋畑の砂塵と黄害で目も開けにくい状態でしたが、本日は寒いながら晴れています。

春:小さなひょうたん池に蝦蟇が7~8匹ひしめいて、卵が無慮数千個。孵化した数百匹のみが、オタマ→かえるになります。長年の猫額亭の春の始まりです。         草々
                  蝦蟇仙人拝
                   
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メタボさんへ (osamu)
2013-03-22 12:44:23
今 循環器の病院から帰ってきました。膝の後ろの真っ黒い内出血を診て戴きました。「クスリの所為でしょう・・」と言われ「問題ありません。数日で消えます」私がどうした、こうしたは全く聞かれずに直ぐにそう言われました。

じつは10日の日の大会の準備運動で開脚をした時に膝の後ろがピィと変な音がしたようだったのです。耳が悪いのですが足の感覚ですね。然し10日近く経過して出たのです。多分それ絵まで少し内出血していたのが気が付かなかったのでしょう。きょうの循環器のお医者さんから見ると驚くことはないようでしたね。

「わかさ」買ってきました。沢山関係記事が書いてありますね~。どれも長く継続してやらないと治らないようです。ズボラな私ですが気が向くままにやってみようと思っています。大変参考になりました。有難うございました。
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