きょうは第一人称を「私」としてみます。
わたしには変なジンクスがある。
子供の頃からからであるから、もう70年はつづいている私の行動でもある。
「これを喋ると運が逃げる」とか「こんな事をするとよくないことが起こる」と言う自分でも不思議なものを感じることがある。
日常生活で不意に「これはダメダ」と感じるのだ。
何かやろうとしたときに不意に感じる。
そう感じた時は直ぐに止める。
止めたらそのあと どうなるか?は分からないが、お陰で随分と義理を欠いたり礼を失したりする。私自身はそれでいいと受け入れている。
玄関を出た瞬間に「行ってはいけない」と思う時もあり出かける先を無責任に変更したり、時には訪問を止めることさえある。それも同じところが再々である。
その時に向こうの方に連絡する時もあれば放置する時もある。
実に無責任きわまりない行動である。
若しも最初の目的の場所に行っていたら どうなったかは確認したことがないから分からない。
その時に行き先や途中で事故があったということはないと思うが・・・・。
その日のニュースを後で特に調べたことはない。
忘れているのだ。
多分 行動を変えた瞬間 忘れるのかも?
兎に角 何事も起こらず、その日は過ぎて行っているようだ。
オトコでこのような変な行動をする方は余り見ない。
考えれば実に他愛のないことであるが、それを破ることが未だに出来ない。
それとモウ一つ「これは大事なものだ」と特に感じたものは何時もの決めた場所から違う場所に仕舞いこむ。
ところが、その仕舞いこんだものが必要な時に出てこない。つまり仕舞った場所を失念する。これも今更どうしようもない癖?性格?いいかえれば自分のだらしない性格かも?
この仕舞いこんだものがある日 突然目の前に出てくる。
直ぐにそれを何時もの場所に入れ替えればいいのだがそれをしたことがない。
そこで、また見失う。
以後 中々出てこない。ドコにあるか?出てきた時にどこにあったかさえ忘れる。
そのほかに起きている(目は明いている昼間)日中なのに唐突に夢のように昔 見た亡くなられた方の場面を思い出す。
白昼夢と言う奴かも?その一つに・・・↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学生時代に一度だけ各駅停車の普通列車で東京から岩国まで帰ったことがある。
確か?「東京駅」~「門司行き」だったと思うが定かでない????。
その帰省列車が、ある駅で特急、急行 等の待ち合わせをした駅のホームでのことであった。
列車の中は冷房もなく天井の扇風機が回っているのみで窓は皆さん開けておられる。
その駅のホームの反対側に貨物列車も待機していた。
私は列車に座っているのも能がないと真夏の太陽がカンカン照っているホームに下りて反対側に停まっていた貨物列車の側を歩きながら連結器の間から少し見える向こうの田圃や山陰をみていた。
先ず特急が通過して次に急行列車も通過したので次は私の乗っている普通列車だと列車に帰りかけたときにガタンと、その貨物列車が動きはじめたのだ。
なにげなくその貨物列車が動きだしたので、そこに立ちそのまま貨物列車を見送った。
その貨物列車が出た後に振り返るとその線路に横たわって胸に両手をあわせて轢死されていた女性の首のない死体を見た・・・ホームはカンカン照りで周囲には誰も居ない。
但しその自殺された女性の顔は見えない。姿、形のみであるが・・・・。
目の前は はるか遠くの山まで視野は広がり稲穂がミドリの波を打っていた。
山際にひときわ目立つ大きな農家が目に焼きついた。
真夏の田舎のホームでの出来事で、その方を見たが私は何故か誰にも知らせずに反対側に待機していた列車に何事もない様子で自分の席に戻り窓からぼんやりと外を見ていた。
言葉はない。ただただ静かなシーンである。その場面が浮かぶのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような時の自分の姿がどのような状態かは分からない。
気が付けば、いつものようにテーブルで本を読んでいたり、何か考え事をしている。
意識を失っているわけではない。現場でも机の前でも仕事はちゃんとしている。
働いている時も傍の方に「どうか?しましたか?」と指摘されたことはない。
普通なのである。
それ故か?働いている当時は大事な書類は全て傍の女子事務員に渡していて必要な時に出してもらっていたな・・・と振り返る。
だからこそ、このような私でも何十年も勤めることが出来たのかも?
現場から内勤になって私の部署に配属された女子事務員が凄く優秀だったのも幸いしたと今も振り返っている。
女子事務員は当時二十歳台だったから今では、もう60台半ばかな?残念ながらこの方とは退職後十年くらいまで賀状は来ていたが今は音信不通である。
また、次に私のところに配属された別のある女性の方も実に機転のよく効いた頭のよい方だった。
この、ある女子事務員さんは もう70台でお孫さんが5人もいらっしゃる。
先月5人目のお孫さんを授かったと喜びのメールが突然入ってそれを知ったばかりだ。
どうして私のアドレスを知ることが出来たのか理由は分からないが同僚などからのメールは最近は皆無だが先日のある日 突然 その昔 私と共に仕事をしていた その女子事務員さんからメールが入ったのだ。
このブログを案外 昔の仲間の誰かがが読んでいるのかも?
メールを送ってきた事務員だった女性の方にアドレスをドコから仕入れたのか不明だが聞けば それを最後に音信不通になると言う気持ちが働くのだ。だから問い合わせたり聞いたことはない。
かなり以前 なんとなく昔の私を知っているとしか思えないコメントが一度入ったことがある。
そのような感じを受けたことはおくびにも出さないで次にまたコメントを戴けるかと思い そのコメントの返事を何時ものように普通に書いたものだ。
然し それ以来 残念ながら そのように感じるコメントはない。
このブログが公開されている以上は何方でも見るなり読むことは出来る。
コメントは入らないが多くの昔の知り合いの方が見ておられる気がする。
案外 「またアイツ 会社のことをばらしていや~がる」と怒っているかも?
しかし もう会社はないのだ。
勤めている時は私の乗っている船(会社)は、とても大きな船(会社)であると思っていたが下船して大海原(社会)から、その下船した船(勤めていた会社)を見れば、なんと小さな船だったことか?その降りた船の周囲には比較にならぬ大きな船がわんさか浮かんでいた。
これが現実だった。機関室に居ては外界が見えない。
鈍感な私は外界の様子(社会の変動)には全く興味がなかった。
外界の様子は船橋にいる船長(勿論社長)や航海士(重役)は外界を見ている筈だった。
それでもバブルがはじけると船は積荷(借入れ金の利息や不良債権)に浮力を失い機雷に触れた如くあっけないほど簡単に船は沈んだ。
私も年金制度(浮き袋)がなければ今頃はとうの昔に私自身も大海に沈み、この世から消えていただろう。
私の退職時の会社の年間売り上げは一兆円近くはあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで おかしな話だが最近私の夢に出てくる方は子供のころお世話になった方々であり、ときに呼びかけられる。
返事はしたことはないが声を出す直前に目が覚める。うなされたことはないと思う。
一度だけだと思うが亡き母が現れ私の名を呼びながら「返事をしてはいけない!」と叫んだような気がする。はっきりとはしない。
以来 声を出した時は多分 この世とはお別れの時だろうと思うようになった。
それを知りながら何時の日か返事をすると今は思っている。
父の夢より何故か母の夢をよく見る。
ほんの数日前に亡き父の誕生日が過ぎた。
亡くなった日より亡き父の誕生日を憶えているのも私の偏屈ぶりを示している。
ふと思い出した亡き父の誕生日が過ぎたところで・・・・。
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昨日のコメントにあったタカジンは私も非常に興味を持っていたので調べてみた。
タカジンの放送エリア ↓
http://www.ytv.co.jp/takajin/oa_area.html
ウイキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
わたしには変なジンクスがある。
子供の頃からからであるから、もう70年はつづいている私の行動でもある。
「これを喋ると運が逃げる」とか「こんな事をするとよくないことが起こる」と言う自分でも不思議なものを感じることがある。
日常生活で不意に「これはダメダ」と感じるのだ。
何かやろうとしたときに不意に感じる。
そう感じた時は直ぐに止める。
止めたらそのあと どうなるか?は分からないが、お陰で随分と義理を欠いたり礼を失したりする。私自身はそれでいいと受け入れている。
玄関を出た瞬間に「行ってはいけない」と思う時もあり出かける先を無責任に変更したり、時には訪問を止めることさえある。それも同じところが再々である。
その時に向こうの方に連絡する時もあれば放置する時もある。
実に無責任きわまりない行動である。
若しも最初の目的の場所に行っていたら どうなったかは確認したことがないから分からない。
その時に行き先や途中で事故があったということはないと思うが・・・・。
その日のニュースを後で特に調べたことはない。
忘れているのだ。
多分 行動を変えた瞬間 忘れるのかも?
兎に角 何事も起こらず、その日は過ぎて行っているようだ。
オトコでこのような変な行動をする方は余り見ない。
考えれば実に他愛のないことであるが、それを破ることが未だに出来ない。
それとモウ一つ「これは大事なものだ」と特に感じたものは何時もの決めた場所から違う場所に仕舞いこむ。
ところが、その仕舞いこんだものが必要な時に出てこない。つまり仕舞った場所を失念する。これも今更どうしようもない癖?性格?いいかえれば自分のだらしない性格かも?
この仕舞いこんだものがある日 突然目の前に出てくる。
直ぐにそれを何時もの場所に入れ替えればいいのだがそれをしたことがない。
そこで、また見失う。
以後 中々出てこない。ドコにあるか?出てきた時にどこにあったかさえ忘れる。
そのほかに起きている(目は明いている昼間)日中なのに唐突に夢のように昔 見た亡くなられた方の場面を思い出す。
白昼夢と言う奴かも?その一つに・・・↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学生時代に一度だけ各駅停車の普通列車で東京から岩国まで帰ったことがある。
確か?「東京駅」~「門司行き」だったと思うが定かでない????。
その帰省列車が、ある駅で特急、急行 等の待ち合わせをした駅のホームでのことであった。
列車の中は冷房もなく天井の扇風機が回っているのみで窓は皆さん開けておられる。
その駅のホームの反対側に貨物列車も待機していた。
私は列車に座っているのも能がないと真夏の太陽がカンカン照っているホームに下りて反対側に停まっていた貨物列車の側を歩きながら連結器の間から少し見える向こうの田圃や山陰をみていた。
先ず特急が通過して次に急行列車も通過したので次は私の乗っている普通列車だと列車に帰りかけたときにガタンと、その貨物列車が動きはじめたのだ。
なにげなくその貨物列車が動きだしたので、そこに立ちそのまま貨物列車を見送った。
その貨物列車が出た後に振り返るとその線路に横たわって胸に両手をあわせて轢死されていた女性の首のない死体を見た・・・ホームはカンカン照りで周囲には誰も居ない。
但しその自殺された女性の顔は見えない。姿、形のみであるが・・・・。
目の前は はるか遠くの山まで視野は広がり稲穂がミドリの波を打っていた。
山際にひときわ目立つ大きな農家が目に焼きついた。
真夏の田舎のホームでの出来事で、その方を見たが私は何故か誰にも知らせずに反対側に待機していた列車に何事もない様子で自分の席に戻り窓からぼんやりと外を見ていた。
言葉はない。ただただ静かなシーンである。その場面が浮かぶのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような時の自分の姿がどのような状態かは分からない。
気が付けば、いつものようにテーブルで本を読んでいたり、何か考え事をしている。
意識を失っているわけではない。現場でも机の前でも仕事はちゃんとしている。
働いている時も傍の方に「どうか?しましたか?」と指摘されたことはない。
普通なのである。
それ故か?働いている当時は大事な書類は全て傍の女子事務員に渡していて必要な時に出してもらっていたな・・・と振り返る。
だからこそ、このような私でも何十年も勤めることが出来たのかも?
現場から内勤になって私の部署に配属された女子事務員が凄く優秀だったのも幸いしたと今も振り返っている。
女子事務員は当時二十歳台だったから今では、もう60台半ばかな?残念ながらこの方とは退職後十年くらいまで賀状は来ていたが今は音信不通である。
また、次に私のところに配属された別のある女性の方も実に機転のよく効いた頭のよい方だった。
この、ある女子事務員さんは もう70台でお孫さんが5人もいらっしゃる。
先月5人目のお孫さんを授かったと喜びのメールが突然入ってそれを知ったばかりだ。
どうして私のアドレスを知ることが出来たのか理由は分からないが同僚などからのメールは最近は皆無だが先日のある日 突然 その昔 私と共に仕事をしていた その女子事務員さんからメールが入ったのだ。
このブログを案外 昔の仲間の誰かがが読んでいるのかも?
メールを送ってきた事務員だった女性の方にアドレスをドコから仕入れたのか不明だが聞けば それを最後に音信不通になると言う気持ちが働くのだ。だから問い合わせたり聞いたことはない。
かなり以前 なんとなく昔の私を知っているとしか思えないコメントが一度入ったことがある。
そのような感じを受けたことはおくびにも出さないで次にまたコメントを戴けるかと思い そのコメントの返事を何時ものように普通に書いたものだ。
然し それ以来 残念ながら そのように感じるコメントはない。
このブログが公開されている以上は何方でも見るなり読むことは出来る。
コメントは入らないが多くの昔の知り合いの方が見ておられる気がする。
案外 「またアイツ 会社のことをばらしていや~がる」と怒っているかも?
しかし もう会社はないのだ。
勤めている時は私の乗っている船(会社)は、とても大きな船(会社)であると思っていたが下船して大海原(社会)から、その下船した船(勤めていた会社)を見れば、なんと小さな船だったことか?その降りた船の周囲には比較にならぬ大きな船がわんさか浮かんでいた。
これが現実だった。機関室に居ては外界が見えない。
鈍感な私は外界の様子(社会の変動)には全く興味がなかった。
外界の様子は船橋にいる船長(勿論社長)や航海士(重役)は外界を見ている筈だった。
それでもバブルがはじけると船は積荷(借入れ金の利息や不良債権)に浮力を失い機雷に触れた如くあっけないほど簡単に船は沈んだ。
私も年金制度(浮き袋)がなければ今頃はとうの昔に私自身も大海に沈み、この世から消えていただろう。
私の退職時の会社の年間売り上げは一兆円近くはあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで おかしな話だが最近私の夢に出てくる方は子供のころお世話になった方々であり、ときに呼びかけられる。
返事はしたことはないが声を出す直前に目が覚める。うなされたことはないと思う。
一度だけだと思うが亡き母が現れ私の名を呼びながら「返事をしてはいけない!」と叫んだような気がする。はっきりとはしない。
以来 声を出した時は多分 この世とはお別れの時だろうと思うようになった。
それを知りながら何時の日か返事をすると今は思っている。
父の夢より何故か母の夢をよく見る。
ほんの数日前に亡き父の誕生日が過ぎた。
亡くなった日より亡き父の誕生日を憶えているのも私の偏屈ぶりを示している。
ふと思い出した亡き父の誕生日が過ぎたところで・・・・。
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昨日のコメントにあったタカジンは私も非常に興味を持っていたので調べてみた。
タカジンの放送エリア ↓
http://www.ytv.co.jp/takajin/oa_area.html
ウイキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
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