先日(6/17)は午前3時前に眼が覚めて、早速 また新しい型の「サムネイル」の制作に取り掛かった。
今回 挑戦したサムネイルはIDの置換は4箇所もある。
そして写真は8枚必要だ。
兎に角、4ヶ所の一括置換を終えてブログの原稿に貼り付ける。
「下書き」にチェックを入れて一旦アップして置く。
必要な写真を「画像フォルダ」から今までアップした写真を頭の中で思い出しながら探す。
ふと、ある画像を思い出した。
アレならサイズもいいし、枚数も充分あるはずと、年月日から調べて抽出した。
然し、画像を見ながら、何故か?この写真には、これでいいのかな?という思いにとりつかれた。然し、他にいい写真はない。
兎に角これで行こう!と決めて画像フォルダナンバーを記録して一旦中止。
今日(6/17)は「手話の日」でこの日は我輩が30分担当である。
(正規の勉強の始まる前の30分間を勉強の担当を決めて、その方が資料を持参して勉強するする慣わしになっている)だが、未だ、資料は作っていない。
それに今から取り掛かる。これが難しい!
30分間 自分で作った資料を基に我輩が教室の前の教壇(?)に立って手話の勉強を皆さんとするのだ。勿論、30分間は我輩の誘導による。
これまた難しい!何しろコチとらは手話が生半可だ!
それを頭に入れて作らなければならない。
アレコレ考えた末に数駒の会話を作成した?でも余り感心しない。
そこで以前の手話の雑誌を持ち出して中をサラサラと見る。
偶然、ある会話が目に付き、これだ!と直感!
それを我輩なりに、ほんの少しマイナーチェンジしてワードに書き込み、再読すると、案外いい!それだけでは心許(ココロモト)ないので、次に先日行った横須賀菖蒲園のことをまた数行書き込む。
なんとか?これでいいと思いプリント・アウトしてみる。
その資料を見ながら、こんどは自分で手話の表現の練習だ。
手話単語辞典で分からぬ単語を調べ我輩なりに、各々の立場に立ち手話で表現してみる。
なんとか、出来た。よし!今日はこれで行こう!
「一夜漬け」ならぬ「早起き漬け」である。
相変わらず昔と変わらない。
心太(トコロテン)のように直前にならないと遣らない性格は直らない。
手話の教室では久し振りに緊張した。
何時もは、担当者は、教室の誰かを指名して自作のテキストを順番に手話で表現して頂くのだが?今日は、先ず「私が全部の会話を(手話で)遣ってみます」と最初に自分で造った手話の会話を一人三役でやる。
教室のみなさん、じ~と我輩の手と顔の表情を見ている。声は出している。
途中で手話の表現が分からなくなり、思わず「“○○○“と言う手話の表現は?」とみんなに聞く。
されど、みなさん非情にも我輩をただ見ているだけである。
これには参った。しかたなく
「続いて間違っていても遣りますから、あとで指摘をお願いします」と手話を続ける。
聴覚障害2級(全く聞こえない方=聴覚障害では最高で一級はない)の方は読唇術ができると以前言われていた。
全部の手話の会話が終わり、ほっとすると、直ちに
「○○さん“△△△”の表現はこうです」と間違いを指摘され、思わずそうだった!と思い出す。
それからは次々に誤りを指摘され頭の中は茹で上がる。
もう、こうなるとワケが分からなくなる。
弁慶の仁王立ちなら、さまになるが?
禿頭が茹で上がるとどうなるか?と聞きたい?温泉マ~クだね!
一応 我輩が終わったところで教壇を降りると、すかさず
「○○さん、次は3人一組でやらなければ・・・」とアドバイスを受ける。
そうだ。また忘れている。
助言に沿い教室の皆さんにお願いしようと見渡すと、既に3人の方が立ち上がり、こちらに向かっておられた。
我輩は自分の席に戻り、教室の前で手話の寸劇をやられる3人の方々の手話の様子をみる。達者なものだ。・・・と感心する。
その方たちが終わると、また次の方が3人立ち上がり前に立たれて手話の会話をされる。
無事 皆んなが終わったところで先生の方々のお手本が始まる。
随分と分かり易い!
お手本が終わって席に帰られた先生が我輩のほうを向かれて片腹をコブシで叩いていらっしゃる。
(面白いという手話の表現である。
我輩も左手の上に右手立てて2度上下させて礼をいう)
その後、何故か?教室の運営の話になり、何時もと違い白熱の議論が行き交う。
勿論、全て手話である。
手話で話しながら健常者は言葉も大きく声も出されるが残念ながら我輩は聞こえない。手話の一部は所々辛うじて分かる。
我輩には判る部分と全く分からない部分があり時々キョトンとする。
手話に達者な方が目ざとく我輩の様子を見て通訳をしてもらう。
内容が判らぬ討論はどうも苦手である。
近頃は苦手なことは、避けてしまう。然し、白熱した手話の討論はよかった。
手話も非常に分かり易い手話をされる方、何故だか読み難い手話の方とどこが?どうだか?分からないが特徴がある。
手話の勉強が終わり、帰宅して、今朝方 遣りかけた「サムネイル」に取り掛かる。
予め、決めていた画像をフォルダーから画像を出して、そのアドレスをコピーしてプログラムに貼り付ける。
一枚ごとに画像の様子を確認。3枚アップしたころから、何故か?いや~な不吉な感じがしてきた。
サムネイルそのものは確実に出来上がってくる。
写真のコメントも思うとおりに画像と共に表示される。
次々にアップする。
出来具合はいいが、言い知れぬいや~な感じは胸に益々つのる。
いいようのない不吉な不安感に襲われ始める。
それが何か?分からない。
写真を上げコメントと共に確認!いい調子でサムネイルは出来上がってゆくが・・・。
我輩が描いていたストーリーは後2枚で終わる。と・・・最後から2番目の画像のアドレスを貼り付けようとすると・・・
既にはめ込む画像の場所がない!ナンデカナ~?と最初から確認する。
見ると、この「サムネイル」は8枚組だ。何時の間にか?なぜか?我輩の頭の中は10枚組と勘違いをしていたようだ?
気の所為か我輩の身の周りの空気がモヤモヤとした違和感を覚える。
どうもいやだな~ァ・・・・。
サムネイルは完全に出来上がっている。
ミスはない。
見事に変化する。
今は、ただ、「草稿」から「公開」をクリックして、後は「投稿」をクリックするだけである。
そうすれば、そこに綺麗に画像が変化する新しいサムネイルが我輩のブログに踊り出るのだ。
されどこのサムネイルは厳密に言えば未完成である。
(自分では何故か10枚の心算で作っていたが実際は8枚であった)
我輩のいや~な感じは最高調に達した。
不思議なことに画像に命を感じた。
自分が撮影した数少ない多くの纏まった写真でコンデジ・カメラで撮ったものだ。
動悸が激しくなる。
心臓がパンクしそうである。
ダメだ!
自然に操作は落とす操作になった。
投稿記事の一覧を出し「草稿」となっている、出来あがったばかりの「下書き草稿」にチェックをいれ削除をクリック!すると、すかさず「削除」しますか?とパソコンが問いかけてくる。
[YES]をクリックした。
作ったばかりのサムネイルがブログから完全に消えた。
と共に我輩の周りからモヤモヤした感じが消えた。気の所為か?
あの画像はやはり出すべきものでなかったようだ。
なにかしら、ほっとした。
我輩の周りを渦巻いていた靄(モヤ)は晴れたようだ。
これで今夜は安心して眠れそうだ。
明日からは、また、別の新しい画像を撮って来ようと思うた。
新しい試みの「サムネイル」はそれから始める。
何時も人様の画像では相手の方に申し訳ない。
画像に不思議な霊力のような力を感じた一瞬だった。
あの自分が撮影した10数枚の写真は自分なりに苦労した写真だった。
修正は一切しないで、それでいて、それなりの出来栄えだったのだ。
今日は太極拳の練習日だった。久し振りに「48式」をやる。
スッカリ、トウロを忘れていた。
キョロキョロとしてやったが皆さんも同じようで顔を見合わせてニッコリ笑う。
それは・・・。
“あら・・・○○さんもあてに成らない”と言われているようだった。
あれも、これもと、ビデオを見て再学習だ。
なにもかも再学習か?
これからはコンデジが離せなくなった。
我輩のコンデジはS600である。
沼じじさんに負けないように我輩もコンデジの勉強だ!
授業を思い題しました。事前に準備をしていても
満足するものでなく反省ばかりでした。
画像の霊力不思議ですね。カテゴリの「守護霊」も読ませていただきました。
パソコンのトラブルは何かを訴えているのですね。
小説より奇なことが現実にあることを知りました。
しかし、サムネイル、なんか不思議な話です。うちのパソコンの奥底にも、なにかあるんじゃないか、なんて思ってしまいました。
習ったことも少しの期間でも、やらないと忘れます。
大会ではいい経験をしました。
今、また一種目ごとに反復練習を始めました。
生きている内に、また全部思い出せればいいな?と思っています。