もう、7~8年前になりますか?当時、私は軽自動車のワン・ボックス・カーに乗っていた。
夜、更けて茅ヶ崎の体育館での○○○の練習が終わり帰宅する時の出来事である。
国道134号線を下り鎌倉を過ぎ飯島トンネルに車が入った時、不意に後部貨物室の壁をドンドンと叩く音がした。
荷物はトレーナーの上下と下着の着替えを入れたショルーダーバック以外何も載せていないし、同乗者は誰もいない。
後部を振り返り見たが何も見えない。
前を向き運転を続けるが、またもや大きなドンドンと車の壁を叩く音がする。
バック・ミラーを見ても何も見えない。
気になるので一瞬だが後ろを振り返って再び見るが何も見えない。
前を向くとドンドンと車の壁を4~5回大きく叩く音がする。
サイド・ミラーとバック・ミラーで、後部荷物室と後続車を見たが何も見えない。
前にも車は見えない。先ほど、までは凄い渋滞だったように思ったが何時の間にか私一人が走っている。
真夏だというのに背中に寒気が走る。
もう、何が何だか分からぬ気持ちで兎に角トンネルを出なくてはと焦る。
脳裏に「○○には行くな!」という変な言葉が繰り返される。
「行けば(死)が待っている」。そのような変な言葉も脳裏に行き交う。
当時私は体の調子が悪く大会に出るのは気持が進まないものがあったのかも知れない・・・
出場を辞める決心をしたのは、今 思うと、この時であったかも?私の急な欠席でチームの皆さんに大変な迷惑を掛けたことは事実だ。然し若し私が大会直前か旅先で倒れたらもっと迷惑を掛けたかも知れない。
実際、私の心も身体もそのような状態だった。
トンネルを出た右の山の斜面の棚状の所に誰かの古い墓場があり、そこには5~6基の墓標がある。この墓場には史跡めぐりで2~3回訪れたことがある。
やっとトンネルを抜け出たが不思議と他の車が見えない?そのまま国道134号線を下る。
葉山大道の交差点で前に車が見えたときは思わず ほッとした。ところが信号を左折して県道27号線に入ると、またもや私の車一台となる。
前にも後ろにも車は見えない。このような事は今までに無かった。冷静に!冷静に!と自分を戒めながらハンドルを持つが、ふと見たスピードメーターは80Kmも出ていた。
慌ててブレーキを軽く踏みスピードを落とす。40Kmになったところで、後はメーターを見ながらの運転である。
何時の間にか後ろのドンドン叩く音は消えていた。
木古庭の横横高速の高架の近くで前に車が見えた。
助かった~ァ 何か分からぬが全身鳥肌が立った恐怖の出来事だった。
家に着いた時、カミさんは家の前を何時ものように歩いていた。
「おい、何か変わったことはなかったか?」と問うが
「な~にもないよ」とノンビリとした返事があった。
車の中のショルダーバックを降ろして家に入る。
私が心配しているのは田舎に80歳を超えた大変お世話になった叔父が気になっていたからだ。どうも何事もないようだ。念のために田舎の弟に様子を尋ねる「メール」を打った。
昼間の鎌倉は情緒があるが夜更けの鎌倉はお呼びでない。
以前 「鎌倉史跡めぐり」に参加したとき、山あいの谷戸の少し広い場所で昼食を取ったときに私が何気なく座った「横に長い平たい石」が、なんと
「そこは昔、多くの武士や死者を埋葬した場所ですよ、その印がその石です」と引率者から言われたときは飛び上がるほど驚いた。
そして「その石には普通 何故か 誰も座らないのですよ」
「たまに貴方のように座る方もいらっしゃるようですが・・」振り返ると2mくらい後ろに大きな石碑があった。
石碑の文字は読めなかったが・・・以来、鎌倉史跡めぐりは止めたし、仮に座るときも備え付けの椅子か、明らかに座ってよいところに座っている。史跡解説者は更に
「鎌倉の地下には何処を掘っても戦で亡くなられた方の霊が居ますよ、時には遺骨も発見されます」とも言われ私は夜の鎌倉は今も苦手である。
夜、更けて茅ヶ崎の体育館での○○○の練習が終わり帰宅する時の出来事である。
国道134号線を下り鎌倉を過ぎ飯島トンネルに車が入った時、不意に後部貨物室の壁をドンドンと叩く音がした。
荷物はトレーナーの上下と下着の着替えを入れたショルーダーバック以外何も載せていないし、同乗者は誰もいない。
後部を振り返り見たが何も見えない。
前を向き運転を続けるが、またもや大きなドンドンと車の壁を叩く音がする。
バック・ミラーを見ても何も見えない。
気になるので一瞬だが後ろを振り返って再び見るが何も見えない。
前を向くとドンドンと車の壁を4~5回大きく叩く音がする。
サイド・ミラーとバック・ミラーで、後部荷物室と後続車を見たが何も見えない。
前にも車は見えない。先ほど、までは凄い渋滞だったように思ったが何時の間にか私一人が走っている。
真夏だというのに背中に寒気が走る。
もう、何が何だか分からぬ気持ちで兎に角トンネルを出なくてはと焦る。
脳裏に「○○には行くな!」という変な言葉が繰り返される。
「行けば(死)が待っている」。そのような変な言葉も脳裏に行き交う。
当時私は体の調子が悪く大会に出るのは気持が進まないものがあったのかも知れない・・・
出場を辞める決心をしたのは、今 思うと、この時であったかも?私の急な欠席でチームの皆さんに大変な迷惑を掛けたことは事実だ。然し若し私が大会直前か旅先で倒れたらもっと迷惑を掛けたかも知れない。
実際、私の心も身体もそのような状態だった。
トンネルを出た右の山の斜面の棚状の所に誰かの古い墓場があり、そこには5~6基の墓標がある。この墓場には史跡めぐりで2~3回訪れたことがある。
やっとトンネルを抜け出たが不思議と他の車が見えない?そのまま国道134号線を下る。
葉山大道の交差点で前に車が見えたときは思わず ほッとした。ところが信号を左折して県道27号線に入ると、またもや私の車一台となる。
前にも後ろにも車は見えない。このような事は今までに無かった。冷静に!冷静に!と自分を戒めながらハンドルを持つが、ふと見たスピードメーターは80Kmも出ていた。
慌ててブレーキを軽く踏みスピードを落とす。40Kmになったところで、後はメーターを見ながらの運転である。
何時の間にか後ろのドンドン叩く音は消えていた。
木古庭の横横高速の高架の近くで前に車が見えた。
助かった~ァ 何か分からぬが全身鳥肌が立った恐怖の出来事だった。
家に着いた時、カミさんは家の前を何時ものように歩いていた。
「おい、何か変わったことはなかったか?」と問うが
「な~にもないよ」とノンビリとした返事があった。
車の中のショルダーバックを降ろして家に入る。
私が心配しているのは田舎に80歳を超えた大変お世話になった叔父が気になっていたからだ。どうも何事もないようだ。念のために田舎の弟に様子を尋ねる「メール」を打った。
昼間の鎌倉は情緒があるが夜更けの鎌倉はお呼びでない。
以前 「鎌倉史跡めぐり」に参加したとき、山あいの谷戸の少し広い場所で昼食を取ったときに私が何気なく座った「横に長い平たい石」が、なんと
「そこは昔、多くの武士や死者を埋葬した場所ですよ、その印がその石です」と引率者から言われたときは飛び上がるほど驚いた。
そして「その石には普通 何故か 誰も座らないのですよ」
「たまに貴方のように座る方もいらっしゃるようですが・・」振り返ると2mくらい後ろに大きな石碑があった。
石碑の文字は読めなかったが・・・以来、鎌倉史跡めぐりは止めたし、仮に座るときも備え付けの椅子か、明らかに座ってよいところに座っている。史跡解説者は更に
「鎌倉の地下には何処を掘っても戦で亡くなられた方の霊が居ますよ、時には遺骨も発見されます」とも言われ私は夜の鎌倉は今も苦手である。
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