アニメ映画「火垂(ほた)るの墓」の冒頭の場面、「僕は死んだ」と語る14歳の少年清太(せいた)の体や服は朱色で描かれている。死んだ清太が霊になって登場するシーンで使われたのが阿修羅像(あしゅらぞう)の朱色だ。空襲の炎を連想させる
▲美術監督を務めた山本二三(やまもとにぞう)さんによると、野坂昭如(のさかあきゆき)さんの小説をアニメにする際、奈良市の興福寺(こうふくじ)にある阿修羅像を清太のモデルにした。純真な少年というイメージに合い、唇をかんだり眉間(みけん)にしわを寄せたりする表情が似ている。しかし仏法の守護神となった阿修羅と異なり、清太は餓死した
▲戦後71年がたち、清太の味わった苦しみを肌で知る人の高齢化が進む。語り継ぎが難しくなる中、毎年8月、作品の舞台になった神戸市と兵庫県西宮市を歩いて追体験する催しを地域史研究グループが続けている
▲アニメで親しんだ物語ならば若者に平和の大切さが伝わるのではと考え、1999年に始めた。清太の妹が衰弱死した西宮市の貯水池周辺は宅地化され景色は変わった。でも実際に足を運ぶと映像が思い浮かび、戦争の痛ましさを感じる
▲実行委員の兵庫県尼崎市立地域研究史料館長、辻川敦(つじかわあつし)さんは「普段生活しているところで戦争が起きたことを知ってほしい」と話す。世界の紛争地に清太のような境遇の子供が大勢いることにも思いを巡らせたい
▲朱色に描かれた清太が戦後発展した神戸の夜景を見つめる場面でアニメは終わる。「なぜ僕は死ななければならなかったのか」。清太は現代社会にそう問いかけていると山本さんは言う。この夏、身近にある戦跡を訪ね、戦争犠牲者の声なき声に耳を澄ましてはどうだろう。
ソース : http://mainichi.jp/articles/20160731/ddm/001/070/173000c
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つぶやき
明後日の6日は広島に「ピカドン」が投下された日だ。早いもんで はや あれから 71年になる。最近の広島には行ったことがないがニュースなどの映像で屡々放映される広島の姿には感慨深いものを感じる。
戦後の食糧難は今でも忘れることはない。「飢えの苦しさ」は例えようもない。私の唯一の心の財産でもある。
食べたいものを 食べたい時に 食べたいだけ 食べられる・・・・この 普通が普通で無くなった時こそ人の価値が表にでてくる。
平和に酔いしれた今の日本になにやら不安も感じている きょうこのころである。
今日も猛暑日になる様なので熱中対策をしかっりとして過ごしましょ~!
@(*^_^*)@掲載記事を読ませて頂きました。
明日は広島原爆投下71回目の記念日ですね。
*お互いに元気で動ける事に感謝し過ごしたいものですネ。
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◇素敵な週末を御過ごし下さ~い!バイ・バ~ィ!
火垂るの墓は原作者が野坂昭如であることを忘れていました。
宮沢賢治も(雨にも負けず~)で有名ですが、以前も申し上げましたが。(あめゆじゅとてちてけんじゃ)の(永訣の朝)の方が衝撃的でした。
平和ボケ、バカモンGOーの時代であれ、豊かであることが当たり前である時代に育った者を唯非難できません。パチンコミサイルが本土に命中すればまた新たな日本の幕開け?
元自衛官(偉い方)に確認すると、稲田さんは小池さんよりはるかに評判は良い(現役、元含め)そうです。小池さんは都議会透明化で活躍してもらいましょう。取り敢えずの情報です。
いざにならないと人の能力など解らないものと老耄は思います。 草々 メタボ拝
いい詩の紹介有難うございました。
新内閣の稲田さんって聡明な方のようです。中国や朝鮮が恐れるのも分かります。中々 シッカリした方のようです。 尖閣に中国が押しかけてきましたが中国国内放送では「日本が仕掛けた」と言うことでしょうね?
南沙諸島が先か?尖閣が先か? いずれにせよ、砲火は避けらえないのでは?
これについて民主党や社会党・共産党は この事態になっても何も言いません。彼らは日本人ではないようです。こんな野党に日本は任せられません。
領海侵犯されて何も言わない国が世界のどこにありますか! 即 撃沈が普通でしょう。
何もしないからチャンコロにバカにされるのです。 私は頭に来ていますよ! イライラしている爺です。