![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/0b/b3444a0ce200154887b7752586078a1f.jpg)
當麻寺
推古天皇二十年(612)に、用明天皇第三皇子麻呂子親王が御兄厩戸皇子の教えによって創建。
当初は萬法蔵院禅林寺と号されていたが天武天皇10年(681)に親王の孫にあたる當麻真人国見が現在の地に移したことから當麻寺と号するようになる。
中将姫の當麻曼陀羅、天平時代の東西両塔、白鳳時代の梵鐘や石燈籠などで知られる。
創建当時は弥勒仏をご本尊として金堂、講堂を中心とした三論宗を奉じていたが、弘仁年間(810~824)に弘法大師が真言密教を伝え真言宗に改宗する。平安時代後期になると浄土信仰が活発になり當麻曼陀羅をご本尊とした仁王門、曼陀羅堂、奥院を中心に東西を軸とする寺に発展した。
現在は浄土宗と真言宗の二宗で護持されている。
【中将姫の伝説】
生身の阿弥陀如来を拝ませて欲しいと祈願する中将姫のもとに一人の老尼が現れ「ならば百駄の蓮茎を集めなさい」と告げる。
そこで茎を集め老尼とともに糸を取り出し五色に染め上げたところ、今度は一人の若い女性が現れ、たった一晩のうちに織り上げたのが當麻曼陀羅。老尼は曼陀羅を中将姫に詳しく説き姿を消すのだが、その老尼こそ阿弥陀如来で若い女性は観音菩薩であった。
(「奈良大和の古寺あるき」より)
中将姫が感得し織り上げたとする物語の伝わりもあるようだが、私はこの話しの方が好きだ。
三月四日(水)曇り
この日も寒い日だった。
近鉄当麻駅から、景色もいい感じで真っすぐの長い上り道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a9/10cb1f59ce4bc976af4ec72fc86f207c.jpg)
そして向こーーーーっうに小さく見えているのが、もしや…三重塔じゃないですか?遠っ(汗)
と、覚悟して歩いたけれど、少しずつと見えてくる塔の美しさを眺めながらゆっくり歩くのは気持ち良いもの。
歩いていると暖かくなってくるし思ったより遠く感じなかった。
本堂にある文亀本當麻曼陀羅は本尊の當麻曼陀羅を文亀年間(1501~3)に転写したもの。
転写であっても重文、へへ~。
また須弥壇が素晴らしい、鎌倉時代のものでこちらは国宝。
虹色に輝く貝殻の裏(螺鈿)の飾り模様が綺麗。
金堂と講堂の仏像群。
独特の匂い、差し込む外の光、色、いるだけで幸せ。
でも私のみたいのは
二十五菩薩来迎像
宝物館にしまわれているので奥之院へわたる。
奥之院の入り口で花をつけはじめたミズクチ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/27/7a76d4019d7343b9aa64982f9e368e36.jpg)
初めて見たけれどなんて可愛い花だろう。。。
見晴しの良いところから西塔と東塔が両方見える
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d8/bfb9785b53e016a24b50214d2f6e59da.jpg)
宝物舘に入る。
薄くらく冷たい中にみんな、いたいた!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c8/26efa91d98b044a8e713f4a81de13014.jpg)
思い思いに楽しげなポーズをとって表情もほんとそれぞれ。
じっくり、ひとつひとつ見て、またもう一度見て、お気に入りのコをまたまたじっと見つめて。
ほんと綺麗で可愛いくて滑稽で大好きだ。
こんなお迎えがきてくれるなら、逝く最後の時っていうも悪くないかも(危?)。
カバヤでも向吉でもBUDDHAでもいいからフィギュア作ってくれたら間違いなく大人買い、するのだけど。
作ってくんないかな~
五月十四日は練供養
どうしよう、行きたいな。
興福寺薪能をやめて、こちらにしようか?
推古天皇二十年(612)に、用明天皇第三皇子麻呂子親王が御兄厩戸皇子の教えによって創建。
当初は萬法蔵院禅林寺と号されていたが天武天皇10年(681)に親王の孫にあたる當麻真人国見が現在の地に移したことから當麻寺と号するようになる。
中将姫の當麻曼陀羅、天平時代の東西両塔、白鳳時代の梵鐘や石燈籠などで知られる。
創建当時は弥勒仏をご本尊として金堂、講堂を中心とした三論宗を奉じていたが、弘仁年間(810~824)に弘法大師が真言密教を伝え真言宗に改宗する。平安時代後期になると浄土信仰が活発になり當麻曼陀羅をご本尊とした仁王門、曼陀羅堂、奥院を中心に東西を軸とする寺に発展した。
現在は浄土宗と真言宗の二宗で護持されている。
【中将姫の伝説】
生身の阿弥陀如来を拝ませて欲しいと祈願する中将姫のもとに一人の老尼が現れ「ならば百駄の蓮茎を集めなさい」と告げる。
そこで茎を集め老尼とともに糸を取り出し五色に染め上げたところ、今度は一人の若い女性が現れ、たった一晩のうちに織り上げたのが當麻曼陀羅。老尼は曼陀羅を中将姫に詳しく説き姿を消すのだが、その老尼こそ阿弥陀如来で若い女性は観音菩薩であった。
(「奈良大和の古寺あるき」より)
中将姫が感得し織り上げたとする物語の伝わりもあるようだが、私はこの話しの方が好きだ。
三月四日(水)曇り
この日も寒い日だった。
近鉄当麻駅から、景色もいい感じで真っすぐの長い上り道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a9/10cb1f59ce4bc976af4ec72fc86f207c.jpg)
そして向こーーーーっうに小さく見えているのが、もしや…三重塔じゃないですか?遠っ(汗)
と、覚悟して歩いたけれど、少しずつと見えてくる塔の美しさを眺めながらゆっくり歩くのは気持ち良いもの。
歩いていると暖かくなってくるし思ったより遠く感じなかった。
本堂にある文亀本當麻曼陀羅は本尊の當麻曼陀羅を文亀年間(1501~3)に転写したもの。
転写であっても重文、へへ~。
また須弥壇が素晴らしい、鎌倉時代のものでこちらは国宝。
虹色に輝く貝殻の裏(螺鈿)の飾り模様が綺麗。
金堂と講堂の仏像群。
独特の匂い、差し込む外の光、色、いるだけで幸せ。
でも私のみたいのは
二十五菩薩来迎像
宝物館にしまわれているので奥之院へわたる。
奥之院の入り口で花をつけはじめたミズクチ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/27/7a76d4019d7343b9aa64982f9e368e36.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2c/e13b26c17a1fca1585819bc4293693a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/0b/00f0e632814b108618a5c4477b3664d0.jpg)
初めて見たけれどなんて可愛い花だろう。。。
見晴しの良いところから西塔と東塔が両方見える
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d8/bfb9785b53e016a24b50214d2f6e59da.jpg)
宝物舘に入る。
薄くらく冷たい中にみんな、いたいた!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c8/26efa91d98b044a8e713f4a81de13014.jpg)
思い思いに楽しげなポーズをとって表情もほんとそれぞれ。
じっくり、ひとつひとつ見て、またもう一度見て、お気に入りのコをまたまたじっと見つめて。
ほんと綺麗で可愛いくて滑稽で大好きだ。
こんなお迎えがきてくれるなら、逝く最後の時っていうも悪くないかも(危?)。
カバヤでも向吉でもBUDDHAでもいいからフィギュア作ってくれたら間違いなく大人買い、するのだけど。
作ってくんないかな~
五月十四日は練供養
どうしよう、行きたいな。
興福寺薪能をやめて、こちらにしようか?
あの世の極楽が浄土宗
当麻寺は 両立しているのが不思議です。
もっとも
善光寺も2宗派が両立してますね。
昔は もっと良かったんですよ。
本堂から奥の院にかけて
絵描きさんのアトリエがあったりして
心底ここ当麻寺を愛した人たちが住み着いたりしていました。
本当に 良い雰囲気がありました。
今は 整備されすぎて
花の寺として 観光化されてしまいました。
とは言いましても
なかなか良い雰囲気の寺ですね。
ああ、整備された感はありましたね。
三重塔など立派なのに周りの雰囲気があかんのか…
鄙びた奈良のお寺(私の勝手なイメージ)っぽくなかった気がしました。
たぶん練供養以外には行く事はないと…
あーでも二十五菩薩来迎像は素敵でした~。
欲しいなぁあんなの!←ドロボーはしませんよ(笑)