娘が吹奏楽部に入り、初めてのコンクールが行われました。
私も中学生の時に吹奏楽部でコンクールに出ました。もう30年前のことです。この30年間、吹奏楽とは無関係に過ごしてきましたが、私が見ることのなかった間も、このコンクールは変わらずに行われていました。
娘たちの結果は銅賞でしたが、2か月ほど前に聞かせてもらった時の演奏とは全く違い、息があっていて、まとまりのある、とてもいい演奏でした。
ここまでになるためにみんな頑張って練習していたと思うと、感動して、目頭が熱くなりました。
今回、打楽器を舞台まで運ぶ保護者ボランティアをやることになり、コンクールを少し違った角度から見ることができました。
楽器搬入口からステージまで、打楽器を少しずつ移動させていきます。ティンパニは4台ありますし、マリンバ、木琴、鉄琴、小太鼓、シンバル、マレット置き場など、結構運ぶものがありました。
思いがけず、娘の中学校の一つ前が私の出身校でした。私はその中学校の吹奏楽部で、打楽器をやっていました。
私がいた頃の楽器があるだろうかと思い、そっと近くに寄って覗いてみました。30年経っているんだから、もうないかとも思いながら。
ところが、母校の打楽器は、あの頃のまま、まだ使われていました。
間違いない、ティンパニの正面にマジックで堂々と書かれた学校名の文字に見覚えがあります。鉄筋のケースも、大太鼓、小太鼓も、見覚えがある。
30年の時を超えて楽器と再会し、どこからか風が吹いてきたかのような、爽やかな気持ちになりました。
ありがとうね、あの頃からずっと頑張っていたんだね、と、心の中で楽器に伝えました。
私が触れることはもうできないし、どうすることもできないけれど、あまりにも嬉しかったので、誰かに伝えたくなりました。
子供ができて、私は親となり、その子が保育園や小中学校、高校と進んで行きます。自分も通ってきた道を子供が通る。
本人としてでなく、今度は親として再びその道を見かけるたびに、自分の歩んできた人生の裏側を見ているようで。懐かしくなったり、感動したり。
長生きしたら、孫がその道を通るのか。今度はその道がどんな風に見えるのだろうか。
長生き、してみたくなりました。