ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

奈半利の財産A

2010-05-08 14:05:47 | 建造物入門
奈半利町には2ヶ所に港があります。
 奈半利港は商港で、町の南側にあります。加領郷漁港は歴史も古く町中から東へ3.5Km程度の場所にあります。
 この大西家は、加領郷漁業のリーダー的役割を担ってきた網元の家です。
 昭和10年ごろ建築されたこの主屋は、登録有形文化財となっています。



 大西家住宅は、加領郷地区の傾斜地の上、高台に建てられており、物見やぐらのように太平洋に向かって視界が広がっています。現在は国道が高架になったことから、以前のような見晴らしは失っているようです。

 広く大きな窓をつくり、漆喰で固めた外壁に水切り瓦を4段つけています。
 港から仰ぎ見るようで、存在感は最高です。
 狭い路地を濱田屋敷辺りから歩いてみると、この家に行き着きます。目の前にこの家が現れると、ちょっとびっくりで感動的ですらあります。

 地階は倉庫。1階に家族の生活の場。そして客間としては、見晴らしの良い2階に座敷が作られています。
 今は住む人もなく、もったいない限りです。



 この写真は主屋の東南部で、大西家の玄関部分です。西側の漆喰壁と比べて旧来の木造建築ですから外観上最も老朽化が感じられる場所です。

 しかし、細かいところまで細工がしてあって、見事です。
 雨樋等の金物もかっこいいんです。
 いつの頃か、この家で新たな生活が始まるといいですね。
 大きな家ですから管理も大変でしょうがね。
住宅にはやはり人が住まないと、いけません。

ミステリアス馬路

2010-05-08 08:46:09 | Vision East
 高知県の東部地域、安田川の上流に馬路村があります。

 最近は柚子の商品が有名になって、注目を集めています。しかし今日書いてみたいのは平家の落人伝説です。それに特に宗教関連情報を書いてみたいのです。たぶん観光事業の大きな戦力になるでしょう。

 それに袈裟襷文銅鐸。馬路村には銅鐸が保存されているのです。
 もちろん銅鐸と平家伝説は共通点はありませんが神社のご神体として祀られているのです。
 何で銅鐸が馬路村にあるのか、どうも理解できないところがあります。
 銅鐸は弥生時代を代表する国産の青銅器です。といっても今から2000年以上も前に造られたとされる物で、高知県にもそうたくさんはない物です。さらに発見されたのが昭和の35年に熊野神社の厨子の中から出てきたのです。来歴を含めて全く分からないだけに、興味を引きますね。
 ミスリアス馬路物件A 。です。 
 銅鐸をご神体としていただいているのは、熊野神社です。和歌山県の熊野十二社権現を平家の落ち武者大野源太左衛門が勧請して馬路村相名の地に社殿を建立したのが文治二年(1186)とされています。十二社に大野家の主君、平重盛の霊を加えて十三社としたといいます。
 神社自体もミステリアスです。神事が残されています。高知県の東部地域においては貴重な事例です。

 さらに壇ノ浦で入水自殺をしたとされる、平教経(のりつね)が馬路にたどり着き、生活をしていた屋敷跡まであるのです。
 平教経(のりつね)は平清盛の弟、教盛の次男ですから、清盛の甥になります。平家一門最強の大将軍にして義経最大の好敵手といわれた方です。
 壇の浦で亡くなったとされているのが、25歳頃ですから、生きて馬路に現れても不思議ではないのです。なにしろ彼の傍らには安芸氏の大領実康の子・太郎・次郎がいたのですから、彼らを案内役に土佐の山間部に現れてもおかしくはないのです。戦っていて相手と意気投合なんてよくある話ですしね。

 それに金林寺。なにしろ創建が大宝3年。西暦で703年というのですから、凄いことです。
 魅力的です。ミステリアス馬路なのです。