ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

ヒヨウ

2010-05-10 16:07:48 | 森林鉄道物語
ヒヨウという言葉を初めて聞きました。
資料を読んでいると、分からない言葉でした。

語源は、はっきりとしないようですが、日雇いがなまったのではないかといわれています。
 
 さてヒヨウというのは森林鉄道がつく前に、筏流しや管流しをしていたころ、流木の上に乗ってトビを操り、木材を下流まで運んでいた「流材夫」のことなのです。
 そのヒヨウが、森林鉄道が走り始めると伐採された材木を斜面から引きおろす作業をするようになるのです。材木運搬の危険な場所を担当する専門家になったのです。

 伐採された材木の皮をはぎ、玉切りをした丸太を山腹のある場所に集めることで、集材の効率化を図っていたのです。

 山の仕事といっても色々ですね。高知県の東部地域においては、森林資源の有効活用によるしか生きてゆく術は最近まではなかったのです。

 江戸の中期頃の資料を見ると、安芸郡内で山仕事に従事していた人数が7,921人と出ていますが、当時の労働者人口はほぼ19,000人ほどですから、働いている男子の4割が、山で仕事をしていたことになるのです。農業者や商工業者、そして武士郷士より、はるかに多い労働者が山間部にいた事になります。土佐の山間部は土佐藩の米倉だったのです。

 今は、山は静かです。
 過疎と高齢化に悩み、多くの制約の中で可能性を模索しております。
 グリーンツーリズムに可能性があるのですがね。
 いままで高知県は本気で観光産業について向き合ってこなかったのです。これからです。

 現在のヒヨウはこれから何をするのだろうか。そんなことを今日は考えておりました。
 少々危険な作業でも、体を張ってやるような男達が現れると、いろいろな場面が好転するのですがね。
 ヒヨウは、日雇いだとすると、自由人。フリーターかな。
 機械を駆使して何かをするのではなく、手仕事従事者でしょうね。

憧れの生活。

2010-05-10 01:21:30 | 田舎の理屈
憧れがあります。

晴耕雨読への階段を駆け上ることです。

未だ目途は立ちませんが、なるだけ早くそうした生活を実現したいものです。

生産活動については、必須項目ですね。10~20品目の野菜を作り、鶏を中心に鯉と鮒を飼い、薪やら燃料ペレットを生産することで、楽しみを得、市場を作り社会との接点とする。そうした生活にあこがれます。
市場は面白いですねえ。地域の交流の場が出来ることになります。

そうして四季折々に野根山街道に登り、自らの体力の確認をするのです。
もちろん読みたい本もたくさんストックしてあります。

図書館にもよく出かけるようになりました。
粘土をこねて、器を作る作業を再開してもいいですね。

まずは、今日の仕事をしっかりとやりましょう。
何年か先の目標です。

高知県の東部地域。田舎にいるのですから、十分可能です。