ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

森林鉄道の価値

2011-03-08 01:21:49 | 木の記憶
 今回は現在82歳の男性の記憶です。彼の生家は安芸郡北川村平鍋。父親は炭を焼いて生計を営んでいました。
 彼が小学生のときには、魚梁瀬森林鉄道の安田川線のほうは、すでに機関車が走り多くの木材が運ばれていたのですが、奈半利川線の方は未だ計画段階であったのです。そうした彼の父親は炭を搬出するのに馬の背に4俵を積み上げ、1俵を肩に担いで平鍋から海岸部の奈半利町に向かったのです。距離は5里とされていました。普通に歩くと5時間かかることになり、往復するだけで10時間です。彼の記憶では早朝まだ薄暗いうちに家を出た父親は、奈半利町の天神にあった仲買商のところで荷を降ろして精算をし、食料品から日用品を購入してその日のうちに帰ってきたのだそうです。大変な労働量だったのです。
 そして彼が通っていた学校には1年生から6年生まで、全員で70人ほどいたのだそうですが、場所が場所だけに仲間の子供達のなかには、海を見たことがない子もたくさんいたのだそうです。


 写真は昭和16年に完成した堀ヶ生橋です。このような国内でも最大級の橋が建設されたのです。この前年下流の二又橋通称めがね橋が完成していました。さらに下流の彼が学校に通っていた小島地区には鋼製橋梁、小島鉄橋がすでに昭和7年に建設されていました。橋長143Mという現存する森林鉄道の中でも最も大きな鉄道遺産として残っています。彼が通っていた学校は現在は北川温泉が建っている場所ですから、出来たばかりのあの鉄橋を毎日見ていたことになります。ピカピカに光っていたことでしょう。

 昭和16年ごろ、彼は北川村小島の北川村第2小学校を卒業して、安芸市の学校に進学することになり、北川村平鍋から出て1年間は学校の近くで暮らします。そして平成17年には北川村二又から釈迦ヶ生までの森林鉄道が竣工したことから生活サイクルが変わります。炭を馬で運んでいた父親は軌道敷きまで炭を吊り上げて、トロッコで運搬し始めたのです。運搬する時間が短縮し、一度に運ぶ量も格段に増えたのです。さらに奈半利町樋之口駅前で宿屋を始めることになります。森林鉄道が開通することで駅前には人や物が集まり始めたからです。「機を見るに敏」といったところです。

 森林鉄道は国の施策によって木材を運ぶために敷設されたのですが、周辺に住む住民の生活を一変させたことになります。

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