ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

思いを馳せて。

2011-05-27 23:37:09 | 昔話
面白い記録資料がありました。 本の題名は「東島文化史」。
 今日紹介するのは旅の記録です。安田町の先人達の力作です。

今でこそ旅は気軽に飛行機や汽車・バス・車で移動するのですが、ホンの140年ほど遡る幕末から明治の当初の頃には原則として旅は「歩き」ですから、命がけです。

明治初期、安芸の伊尾木から高知へ歩いての旅の記録で、一日がかりで高知まで行く費用についての資料です。
 
 赤野川橋賃 2厘、住吉手前の橋賃 1厘、和食堀の橋賃 1厘、

 (ということは伊尾木川と安芸川には橋が架かっていたのだろうか。または無料だったのか。調べてみましょう。)

 中食 1膳飯1杯1銭、副食3~4銭長谷寄や手結山・赤岡辺りでとる。
 (昼食はほぼ5銭です。奈半利辺りからだと安芸辺りで昼食です。)
 
 草鞋一足が1銭。古河橋賃 1厘。
 
 物部川渡船及び橋賃は平水2厘、出水5厘。
 (雨でも降って、水量が増えると費用は倍以上になったのです。)

 下田川より高知まで船賃1銭。赤岡より乗馬すれば下田まで平均10銭。

 (こうした記録は当時の物価なり地域の状況を想像するいい資料です。
  ただ、銭とか厘とか、現在の経済活動では使われていない単位ですから、少し分かり  にくいことから、現在の価格に置き換えましょう。)

 明治初期の米1俵(60Kg)が2円程だったようです。現在では14,000円程度ですから、当時の1円は米価から考えると7,000円ということになります。
 さらに1円は100銭ですから、1銭は70円。昼食代は5銭ですから350円ということになる。草履が70円。まあそんなものでしょう。また1銭は10厘ですから、橋の渡し賃1厘は7円ということになります。

 現在ほど移動の自由がほとんどなかった時代だったのですし、旅そのものを楽しむことなど出来なかったのです。
 遍路の巡礼や、金毘羅さんへの旅などが、大衆にとっての貴重な旅の目的だったのです。そして多分旅に出るときは、一張羅の服を着て出かけていったのでしょう。

 こんな資料集、奈半利の町にはほとんどありません。
 誰か頑張っていただきたいですね。
 


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始まる

2011-05-27 06:45:05 | 田舎の理屈
 昨年は6月下旬から始まったガイド事業なのですが、今年は6月3日から始まります。
 ただ問題がありそうなことから、昨夕ちょっとチェっクに行ってきました。

 場所は安芸郡安田町明神口。
 この場所、魚梁瀬森林鉄道の遺産ガイドの場所としては必須地点なんですが、いつもは上流から下流に向かって走りながら車を止めるのですが、今回は逆コースになることから駐車スペースの確認に行ってきたのです。



 バスは長さ12Mの特大サイズ。45人の満員の予定なのです。
 安全且つ迅速にお客をバスから降ろして、橋と隧道の説明をした後、県道をバスまで歩いてもらう事になるのです。

 バスから降りて歩くことになる観光客はこうした風景を見ながら移動することになります。



 相変わらず安田川の水は澄んでいます。ダムがないということは素晴らしいことです。


 さらに問題は、釣り客による駐車スペースの占拠です。
 先に止められると、公共場所だけにどうにもならなくなります。

 さてどうなるか。
 やってみないと分かりません。
 随時対応、臨機応変。ですね。

 田舎道に大型バスを連れてくる。本来無茶でしょうが、仕方ナシといったところです。
 田舎らしい風景を堪能することと安全性の確保を要求する観光客、これは当たり前。そして定時に観光スケジゥールを消化しようとする主催者の理屈。

 間に挟まれて右往左往するガイドたち。

 これから始まります。狭い道路に苦労するね。いまどき前からトラックでも来ようものなら、どちらかがバックするのです。
 それも田舎らしいといえば、その通りかな。

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