ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

再度、東北へ応援。

2011-08-12 22:55:19 | ちょっといい話。
 東北の震災から随分と日が経って、何となく話題が他へ逸れ出したこの頃です。

 なはり浦の会はこの度、遠野に応援をすることにしました。
 災害直後に支援金を出させていただいたことがありましたが、今度はベンチを送ろうというのです。

 被災された方々が、一箇所で集団避難していた時には、肩寄せあって孤立感など無かったのでしょうが、個々に住居が仮住まいながらも与えられると、何となく年配者を中心として、寂しくなるのだそうで、なんとかしなければと考え出されたのが、ベンチなのです。




 こんなものですが、組み立て式にして50セットほど送る予定です。
 準備は急ピッチですすんで、作業している方々の足元は木材クズが一杯です。



 応援をする場所は遠野。例の柳田国男先生のお話の舞台です。

 到着後に、座敷わらしでも御礼に来てくれるかもしれません。
 お年寄り達が、このベンチで語らい、楽しんでいただければいいですね。

 人間という動物にとっては、孤独という状況は拷問にも似たところがあるようですから、これによって助かる人が出てくると思えば、安いものです。

 ただ運搬が大問題ですね。


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自転車事始

2011-08-12 21:03:40 | 昔話
 明治の時代の話です。
 奈半利川にまだ橋もかかって無うて、川を船で人や荷物を渡しよった頃のことです。
 奈半利の町中で繁華に商売をしよった包国可治(2代目)さんが、なにを思うた
かしらんけんど、自転車を買うてきて乗り始めたがです。みんなあ見たこともない
ような物やったし、乗り物やき、あちこちから見に来て、「おんちゃん。早よう乗らんろうか。」といって、乗るのを待ちゆう人がおったぐらいやった。その年、明治37年の暮、奈半利の片町から北川に行く9尺の郡道が出来たがです。それまでは町中には野根山街道しか広い道が無かったもので、それより広い道が出来て、みんなあが、喜んだそうです。




 「包国のおんちゃん」も、この右の道を自転車で走ったろうと思うね。その当時は当然,自動車はまだ一台も奈半利の町には入ってきてないがです。それからじきに畠中兼次郎さんと言う人も、包国さんに負けられんと思うたか、便利なもんやと思うたか、わからんけんど、自転車を買うてきて乗り始めたらしい。けんど、そのころ自転車はえらい高うて、なかなか買えるもんじゃあナカッタがです。

 ほとんどの人が歩きよったがです。高知へ行くにも普通は弁当を腰に付けて、脚袢にわらじがけ、丸一日かかったらしいがです。女の人や足の遅い人は赤岡で泊まっていったがです。2日もかかって高知へ行きよったがです。

今は、車で1時間30分もあったら着くけんどね。

それに、「広い道」って言うけんど、野根山街道も今行ったら狭い道ながです。

一回、奈半利に来てみたらいかがでしょうか。
高知県の田舎もなかなかいいもんです。

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