ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

先進事例

2011-01-08 10:55:12 | 四国の道を考える会
 「四国の道を考える会」を開催することになったきっかけの一つだろうと思うのです。
 それが「明日の道を語ろう会」。
 当時の資料にキャッチコピーとして書かれています。
 「おらも
  おんしゃも、しゃも鍋喰うて明日の道を語ろう会」
 

 平成9年(1997)9月22日に桂浜で開催されたのですが、6分科会をもった結構大規模な大会でした。国会議員の先生方が分科会アドバイザーを勤めて当時の知事から高知市長、議会関係者まで総動員といった構成で、私は国会議員のY先生の分科会に入って議論をしたことでした。
 この大会では準備にも借り出されて、はりまや町のT組の社長宅に夕刻から集合して協議を重ねた記憶があります。

 当日は鍋をつついて、楽しい時間が持てたことでした。
 何故だか解らなかったのですが、桂浜の砂浜で綱引きをしましたね。面白かったですよ。

 高知県の東部地域で「四国の道を考える会」の名前を付けるときに、「考える会」としたイメージがこうした会の先進事例にあったような気がしています。
 地域はいかにあるべきかといった問いかけをする、そうした会を目指していたのです。

 さらに東京の建設省へ陳情活動のために上京した最初の大会となりました。当時は橋本龍太郎総理大臣の下、石川県選出の瓦力氏が大臣でした。
 陳情中に電話がかかってきて、大臣が中座したのですが内容が筒抜けで、大臣って役割は大変なことだなあと思ったことでした。石川県に能登空港を建設しており、空港への連絡道路の件だったようです。相手は運輸省の官僚だったような。

 この「明日の道を考える会」は翌年4月には波濤編と題して高知新港船上でも開催したのですから、お金のかけ方が「四国の道を考える会」とはずいぶんと違いましたね。

 高知のお城下の方々はやるときにはやるのです。

 私は波濤編には参加していません。船酔いをするからです。
 道路をテーマとしたイベントを開催するきっかけになったように考えています。

 「四国の道を考える会・室戸編」が開催されるのが平成10年ですからほぼ1年前の話です。

 当時の青年達は元気でした。
 今年は平成22年ですから13年ほど前のことです。
 

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