ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

やっと終わりました。

2011-03-15 18:26:43 | 日記
 やっと2010年の確定申告が終わりました。
 利益が出ませんねえ。

 困ったことです。
 中々に頑張っているのですが、仕方なしと言うところです。

 テレビでは相変わらず、災害関係のニュースが流れています。

 良かったのは行方不明10000人といっていた町から2000人の確認が取れたというニュースです。

 よくないのは、原発関係ですね。
 水を注入する為の電力を確保するためのディーゼルエンジンが動かなかった事から始まったのですから、人災でしょうね。
 これから何年もかけて全体としての精査をする事になります。

 この災害も、「これで終わり。」
 あとは復旧に向けてがんばろ!!。

 となればいいのですが。まだまだ随分と時間がかかりそうです。

悲観的状況

2011-03-14 21:41:46 | 田舎の理屈
 福島第一原発の事故で1号機、3号機に続いて2号機でもトラブルになっているようです。大丈夫かなあ。
 放射能を含んだ水蒸気を放出しているのだ。

 震災により被災している住民に屋根の下から出るなといった指示です。
 救急救命作業をはじめ、復旧作業を休止してでも、半径20KM 圏内の住民に先の指示を出したのです。

 2号機では炉内の燃料棒が全部露出している状態であるとの情報まであるのです。
 
 危険な状態が続いているようです。 
 東京電力や政府官房長官の会見もテレビ放送されているのですが、まだまだ改善している様子はないですね。

 コメンテーターは発言しています。
 「放出されている放射性物質のレベルは人体に危険なレベルではない。」 

 最前線で頑張っているであろう専門家の方々に、依存する以外にないですね。

 なぜか、淡々と放送している方々を見ると、いらいらする。
 どんどん時間がたつに連れて、内容が悪化しているようだからです。

 それ以外の方策がないのでしょう。

花の谷。

2011-03-14 00:24:43 | 観光資源提案
 昨日いつもの土曜の作業が出来なかった関係で、日曜日ですが今日行ってきました。
 今日は秘密兵器を紹介します。



 今日は寒くはなかったのですが、薪ストーブです。
 ありがたい装置です。
 これがあると、薪で暖かくなりますし湯が沸きます。
 少々煙たいときもありますが、妙に安心感があります。




 いつの間にか、長い石垣が出来上がっています。
 7月のキャンプでは、この石垣に花の苗を植えることになります。予定としてはベゴニアですね。

 作業を始める前に、対岸に初めていってみました。
 同じ渓流なのですが、見る角度が違うと新鮮な印象です。



 さらに面白いものを見つけました。



 水路の跡です。
 ずっと以前に使わなくなったそうですが、対岸にも水田があって其の田に水を引いていた水路です。
 この石垣、私の作品よりずっと堅牢です。たぶん。
 対岸の場所としての印象は、中々好いですね。
 7月のキャンプでも、人気の場所になることでしょう。
 早速、地権者の了解を至急とる必要があります。
 これは私の役割です。



 今日の作業は竹やぶの中の斜路を作ったのと、今後の作業予定を立てていました。
 仕事は結構あるのです。
 当分花の谷、北川村宗の上に通うことになります。
 この場所だと電気の必要はありませんね。調理には薪や炭を使います。
 テレビはありません。
 ここは、夏でも涼しく、いつでも渓流の水は澄んでいます。
 空気もきれいですから、星空まで良く見えます。
 おいしいビールが飲めます。そして仲間がいっしょです。

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世界の日本についての評価

2011-03-13 23:20:39 | 日記
> 米紙は、「不屈の日本」と題する社説を掲載した。社説は地震大国日本の技術力と
>「備え」をたたえ、「日本は経済が低迷し、政治家の失態に国民の大部分は当惑してい>るが間違ってはいけない。日本の産業力は依然として偉大だ」と述べた。(毎日新聞)

 東日本の惨状に、言葉を失っているのですが、世界中からの支援活動がはじまっております。さらに世界中のマスコミ報道まで日本にエールを送ってくれております。

 ありがたいことです。

 びっくりしたことがあります。
 こんな状況になっても、「円高ドル安」なんです。未曾有の被害を受け日本国として体力低下が避けられないところなんですが、「円高ドル安」なのです。

 日本は決してあきらめない。
 世界中が、日本の実力を見定めております。

 そう、節電をやりましょうね。
 出来る支援をやりましょう。

 そしてこれから改めて、来る南海地震への準備を改めて始めましょう。
 こんな厳しい状況を見せ付けられると、今までの地震の想定レベルでは無理でしょうからね。

 

天災と人災

2011-03-12 15:15:07 | 田舎の理屈
 すごい事になってきましたね。

 マグニチュード8・8、観測史上最高値だそうです。
 テレビで見るだけでも、恐ろしいほどです。

 昨日東京で暮らしている長男と連絡がつかなくて少々あせったのですが、22時ぐらいに向こうから連絡があり、安心したところです。

 地震が起こったことは天災ですから受け止めなければ仕方がないのですが、情報では原子力発電所で事故が起きているようです。半径10KM緊急避難などという事態となっているようです。

 これは人災です。
 原子力発電所などという最先端の技術を駆使して建設されている施設にして、こうした状況では、今後原子力発電所建設問題など容認されることはないでしょう。

 こうした危険施設を田舎に建設することで、都会の需要を満たしてきたのですが、このような状況になると、考えさせられますね。今回の福島原子力発電所で発電された電気は東京に送られているのです。

 電気を消費する快適さをお金を払って享受する都会と、危険施設を受け入れてお金をもらって生活をする田舎。そのような構図なのです。

 大規模発電によるリスクより小規模でも各地で状況に応じた発電システムを検討してみてはいかがでしょうか。
 もっと周知して田舎だからこそ、そうした場所があるのですからお勧めしたいところです。エネルギーと食料品の100%自給自足エリア。まずは高知県の東部地域が目指すべき目標だと思っています。
 達成するための課題は多いのですがね。



 現実に高知県の東部地域にも多くの小規模発電に適した場所があります。
 今回の災害を映像で見ながら、そんなことを考えておりました。

 災害を受けられた方々にお見舞いを申し上げます。

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これまた、よくわからん。

2011-03-11 00:19:55 | 今日の一面
 今日の高知新聞の一面を見て、びっくりした。
 「2志士 龍馬像後方に」
 「レプリカ問題 これで終結?」

 なんだか良くわからないのです。
 3人の像を横並びにすることについては、納得がいかないけれど、後方に下げていかにも龍馬が主、あと2人は従であるがごとくの配置にすると反対意見が出ないのだろうか。 
 この決定については、少々意見を挟みたくなる。

 誰が主で誰が従ではないのではないだろうか。
 中岡慎太郎は坂本龍馬の従者になったことなど一度もないと思うのだけれど、一体どのような基準で後方に下げて解決策とするとの決定をしたのであろうか。

 そもそも3人の銅像を桂浜に集める必要があったのでしょうか。
 さらに「県内外の龍馬ファンから不満が出たから、善後策として今回の決定となった。

 それであるならば、中岡慎太郎や武市半平太のファンの気持ちはどのようにするのだろうかね。
 そうしたファンは人数が少ないからとして無視することにするのでしょうか。それとも今回は「龍馬ふるさと博」の名の下に開催するイベントだから、龍馬が主で当たり前なんだろうか。

 よくわからん。

 観光客誘致を意識しての活動であろうとも、イベント開催期間中、異論反論不満が続発する今日の一面となるような気がします。

 「桂浜集結変えず」だとするならば、県は協議する意思は最初からなかったのではないかと思ってしまう。こんな揉め事だらけのイベントに観光客が来るとは思えない。
 
 上意下達でいいのだろうかなあ。
 観光産業は基本的に楽しさや感動の積み重ねであるべきだと考えています。

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森林鉄道の価値

2011-03-08 01:21:49 | 木の記憶
 今回は現在82歳の男性の記憶です。彼の生家は安芸郡北川村平鍋。父親は炭を焼いて生計を営んでいました。
 彼が小学生のときには、魚梁瀬森林鉄道の安田川線のほうは、すでに機関車が走り多くの木材が運ばれていたのですが、奈半利川線の方は未だ計画段階であったのです。そうした彼の父親は炭を搬出するのに馬の背に4俵を積み上げ、1俵を肩に担いで平鍋から海岸部の奈半利町に向かったのです。距離は5里とされていました。普通に歩くと5時間かかることになり、往復するだけで10時間です。彼の記憶では早朝まだ薄暗いうちに家を出た父親は、奈半利町の天神にあった仲買商のところで荷を降ろして精算をし、食料品から日用品を購入してその日のうちに帰ってきたのだそうです。大変な労働量だったのです。
 そして彼が通っていた学校には1年生から6年生まで、全員で70人ほどいたのだそうですが、場所が場所だけに仲間の子供達のなかには、海を見たことがない子もたくさんいたのだそうです。


 写真は昭和16年に完成した堀ヶ生橋です。このような国内でも最大級の橋が建設されたのです。この前年下流の二又橋通称めがね橋が完成していました。さらに下流の彼が学校に通っていた小島地区には鋼製橋梁、小島鉄橋がすでに昭和7年に建設されていました。橋長143Mという現存する森林鉄道の中でも最も大きな鉄道遺産として残っています。彼が通っていた学校は現在は北川温泉が建っている場所ですから、出来たばかりのあの鉄橋を毎日見ていたことになります。ピカピカに光っていたことでしょう。

 昭和16年ごろ、彼は北川村小島の北川村第2小学校を卒業して、安芸市の学校に進学することになり、北川村平鍋から出て1年間は学校の近くで暮らします。そして平成17年には北川村二又から釈迦ヶ生までの森林鉄道が竣工したことから生活サイクルが変わります。炭を馬で運んでいた父親は軌道敷きまで炭を吊り上げて、トロッコで運搬し始めたのです。運搬する時間が短縮し、一度に運ぶ量も格段に増えたのです。さらに奈半利町樋之口駅前で宿屋を始めることになります。森林鉄道が開通することで駅前には人や物が集まり始めたからです。「機を見るに敏」といったところです。

 森林鉄道は国の施策によって木材を運ぶために敷設されたのですが、周辺に住む住民の生活を一変させたことになります。

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トンネルで開催

2011-03-07 22:47:54 | 四国の道を考える会
 北川大会の開催です。
 開催されたのは、平成13年6月2日(土)午前10時から午後3時までです。
 場所は開通前の道路で、久府付トンネルの南側でした。
 もうあれから10年経ったのですね。

 

 ここです。いまはもちろん地域高規格道路の一部ですから、通行止めにしてイベント開催などということはとても出来ないのでしょうが、今から考えても盛り上がった大会でした。
 記憶では場所を決めたのは、H県議でした。面白い大会になると有頂天だったように思います。
 場所よりも大会委員長の人選に躊躇しました。当時私は商工団体を辞職して野市に住んでいたからです。まず委員長にS氏にお願いしました。

 まあ今から考えれば彼しか居なかったのですが、事務所にお願いに行くと快く承諾してもらい、うれしかったですね。いまでも実行委員長の人選は難航の連続なのですから。

 実行委員会を組織して、よくO町議の事務所で会議を開きました。50人近い人数が出席して準備会ができていたのですから、あの時点で成功は保証されていたのです。
 実行委員長としてS氏は実力を遺憾なく発揮してくれましたし、事務局としてH氏も頑張ってくれました。
 私も野市から会議のために何度も通ったものです。



 今でも時々着用する当時のスタッフ専用の上着です。
 防災ヘリ「りょうま」も飛んできました。基調講演は大石氏、当時は国土交通省の道路局長でした。あれから技監となり、退官の後、平成17年から東京大学大学院特任教授として後進の指導にあたっています。町づくり活動等にも理解がある素晴らしい方でした。
 音楽もあり、フリーマーケットありといった、賑やかな大きな大会でした。私はといえばトンネルの中で3つだったか4つだったかの分科会を飛び跳ねながら、ときに会場全域をうろうろしていました。忙しかったですねえ。分科会の内容も行政の合併問題など地域の課題に向き合って議論をしていたのです。
 ここの会場では駐車場には困らなかったですね。なにしろ奈半利方面に向かってずっと道路に駐車OKだったのですから。

 1000人を越える参加者がいたこの大会は、各方面から大きな反響をいただきました。
 手前勝手な推論なんですが、この大会の成功が奈半利から北川に向かう地域高規格道路が野市や夜須の町に先行して道路が完成したのですし、さらに「四国の道を考える会」がこれほど長く継続的に開催されている理由だったと考えています。



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決定です。

2011-03-07 16:48:02 | 観光資源提案
 決定です。

 今年のキャンプを下記のように決定しました。

 2011年7月30日12時オープン
 場所は安芸郡北川村宗の上 特設キャンプ場
         7月31日(日)12時クローズです。

 もうやると決めました。
 お知らせします。



 自然の中でゆっくりと1泊2日。楽しんでみたいと思います。

 募集人員などこれから決めていきます。
 食事のメニューもね。

 私としては前日から谷に入り、器を作るところからはじめるつもりです。
 さらに竹の器や、粘土を成型して器を作る予定です。
 その場で七輪陶芸をやってみるつもりなのです。
 これだと朝、成型して、夕方には、それで一杯呑むことが出来ます。

 今作っている石垣に花の苗を植える作業もイベントとして盛り込もうかな。

 もちろんキャンプですから、ファイヤーは「つき物」ですし花火も準備です。
 ただ真夏でもあの谷は水温が低いので、泳げるかどうか少々心配ですね。

 音楽の準備でもするかなあ。何もなくとも自然の音はいやでも入ってきますがね。



 楽しい時間を演出することは、実に楽しい作業です。
 参加人員を特定しないと、テントを張る枚数を決めることが出来ませんねえ。
 出来ればフリーのディスカッションの場にすることが出来れば面白いですねえ。

 高知県ではナゼだか議論が苦手で、人の悪口をいうことで代用しているようなところがありますからね。それに自分の思うようにならないとすぐに喧嘩腰になるのも、考え物です。
 若い方々も来ることでしょうから、彼らからも学ぶことにしましょう。

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終了。

2011-03-06 22:57:21 | 観光資源提案
 2011年の雛祭り事業が終わりました。

 今日は少しお手伝いをしたことから、写真を撮ることが出来ましたので、ご紹介します。
 場所は奈半利町の基地となっていた森家住宅です。
 入り口には花が生けられて来る人を迎えてくれます。



 そして玄関はこんな感じです。
 甕に一杯の菜の花が明るさを撒き散らしています。
 そして照明が入った大きな器。ちょっとした工夫でオシャレですね。



 今回の雛祭りの飾りは壇飾りより、ちょっと工夫されたジオラマ風のものが注目を集めていたようです。

 たとえばこんな感じです。

 

 とか。


 で、会場で抹茶をいただいたのですが、今日のお茶碗はこんな感じ。
 おいしいお茶でした。



 楽しませてくれました。
 お雛様で、たくさんの人形と花に囲まれていたのですが、目を引いてくれたのがこれ!!。



 いい日でした。
 明日から又、普通の日に戻ります。
 皆さんお疲れ様でした。
 この会場にお見えになった方は延べ900人程度だとのことで、喜ばしい限りです。
 
 他の会場の飾りも、どんどんと変化しています。多分来年はもっと変わるでしょう。
 観光資源としての雛祭り事業の評価が何処までアップ出来るか、ずっと試されるのです。
 地域間競争は際限なく続くのです。
 高知県の東部地域がまとまってチャレンジをしています。

 ただ行政の影が薄いのです。
 行政は官公庁の方々は観光事業についてどのように考えているのか??。
 良くわからん。
 
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