少なくともこの10年以内のことなのですが、テレビである学者(社会学者?)が「人類は社会的な動物である。社会的な動物と言うのは、利己的に生きると幸せになれない」と言うようなことを言っていているのを見ました。
その話の細かい内容を知りたくて、たまにネットで検索しているのですが芳しいものがヒットしません。
ジェレミ・ベンサムの「最大多数個人の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)あたりが近いような気がしますが、ちょっと違うんですよね。
私がこの話を追い続けているのには理由があります。私の職場に、あまりにも利己主義的な人が多いからなのです。
単に心が満足したいだけなのですが、あんなやり方をしている人は幸せな人生を送れないぞ!と言う根拠が欲しいのです。
ええ、根暗です。
私の職場の人に限った話で、個人的に見ていて思うのですが「親切にする対象」のすそ野が狭い人は幸せになっていないように見えます。
どういう事かと言うと、「仲がいい特定の人に対してはものすごく親切だけれども、そうでない人に対しては冷たい」と言う、よくあるパターンです。
自分で言うのもアレですが、私は赤の他人に対して割と平等に親切です。
ただし、割と仲が良い人に対しても、ものすごく親切にすると言う事もありません。私にとって人間関係と言うのは割とフラットなものです。
私の他人に対する親切の程度を表すなら、標高が高くない富士山といったところでしょうか。
私は合コンで出あった人と結婚したのでそうでもないですが、例えば普通の恋愛の末に結婚した人などは、結婚した時に相手が山の頂点にいるわけですよね。
そして結婚生活を送るうちに相手の位置が頂上から下がってくると思うのですが、そういう時にすそ野が狭いとうまく行かないと思うんです。
人にもよると思いますが、山のすそ野が狭い人ってちょっとでも嫌なところがある人のことは徹底的に付き合えなくなるという傾向があるような気がします。
私はいろんな人の人間関係にとって、常に裾野の端にいるような人間なので、割とハブられます。
私をハブる人というのは、表面的には上手くやっているように見えますが、なんとなく幸せになれていない気がするんですよね。
まあ、そう思いたいと言うだけなのですが。
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ちょっと心が弱っていますね。