先日から、日本はまだ律令制が続いているのだと述べた。しかし、これは私が勝手に決め付けているのではない、栗原茂氏の「真贋・大江山系霊媒衆」のなかで、非常に難解で、なおかつなかなか肝心な事を言ってくれない中に次のような語句を見つけ、私は自分の考えが間違っていないと確信した。だからブログに書いたのである。
引用をしよう、「聖地を高天原の領域と定めた日本文明は、公地の確立とともに、荘園と(しょうえん)称する私有地の開墾(かいこん)に従事(じゅうじ)するなか、時代の変遷(へんせん)に見合う場のポテンシャルを蓄え(たくわ)ていき、その潜在力を原資(げんし)として、生活の基盤を整える通史を積み上げてきた。この荘園システム構造は秀吉が施す太閤検地(たいこうけんち)で姿を消すが、そのポテンシャルは何ら損傷さ(そんしょう)れておらず、その地層に深く根を張る潜在力はGHQさえ気付かずにいた。・・・・略・・・・・御用史観が描く図柄(ずがら)では、東京国際軍事裁判と同じ結果しか得られないのだ。にも拘(かか)わらず、何ゆえ日本は戦後復興を成し得たのか、しかも財政の債務超過が幾ら嵩(かさ)んでも、それに堪(た)えうる原資の正体とはなにか、これこそ遺伝子に宿るポテンシャルであり、荘園システム構造に潜む底力に支えられていたのだ。」
おわかりだろうか、文章と言うのは文章に書かれていない事を読み取らねばならないのです。かといって、本人が考えてもいないようなことを言ってもいいのか、というとちょっと躊躇するのだが、まあいいや。栗原氏の文章で、私はそう解釈したのだ。さらには、戦後の復興にそれらのポテンシャルが発揮されたと言う意味も深いではないか。
引用をしよう、「聖地を高天原の領域と定めた日本文明は、公地の確立とともに、荘園と(しょうえん)称する私有地の開墾(かいこん)に従事(じゅうじ)するなか、時代の変遷(へんせん)に見合う場のポテンシャルを蓄え(たくわ)ていき、その潜在力を原資(げんし)として、生活の基盤を整える通史を積み上げてきた。この荘園システム構造は秀吉が施す太閤検地(たいこうけんち)で姿を消すが、そのポテンシャルは何ら損傷さ(そんしょう)れておらず、その地層に深く根を張る潜在力はGHQさえ気付かずにいた。・・・・略・・・・・御用史観が描く図柄(ずがら)では、東京国際軍事裁判と同じ結果しか得られないのだ。にも拘(かか)わらず、何ゆえ日本は戦後復興を成し得たのか、しかも財政の債務超過が幾ら嵩(かさ)んでも、それに堪(た)えうる原資の正体とはなにか、これこそ遺伝子に宿るポテンシャルであり、荘園システム構造に潜む底力に支えられていたのだ。」
おわかりだろうか、文章と言うのは文章に書かれていない事を読み取らねばならないのです。かといって、本人が考えてもいないようなことを言ってもいいのか、というとちょっと躊躇するのだが、まあいいや。栗原氏の文章で、私はそう解釈したのだ。さらには、戦後の復興にそれらのポテンシャルが発揮されたと言う意味も深いではないか。