感染広げる「コロナ疎開」=東京脱出、別荘地に戸惑い―識者は医療崩壊警告 2020-04-13 20:59:00 | 日記 個人的には避難ですから、有りだと思うのです。どなたも生きやすい所に身を置きたいものだし!gooニュースよりhttps://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-200413X914?fm=g
嫌な感受性 2020-04-13 20:29:07 | 日記 【満蒙開拓の記憶】「行っていいという自分の一言で殺してしまった」15歳の教え子を満州へ 元教師の終わらない戦後https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-00010000-sbc-l20戦争の頃の話は逆らいようのない圧力の中で、日本頑張れの号令の下、個人が死んでいくことが肯定されていた。今の人たちが、その世界に生きてても、同じように死んでいくだろうし、周りもそれをきっと止められない。ただ、悔いることは個人に帰還してくる。ずっと、忘れられないことになる。国民性といえばそうなんだけど、「止められない」よね。これまでも「止められた」人って現出した記憶がない。本当に酷いときは、誰も止められない国民性を感じます。ただ、すごく怖い。「みんなそうだから」がどうして理由になるんだろう。この感受性は潰したい。すごく嫌い。ずっと嫌い。
幼馴染2 2020-04-13 20:13:00 | スマホ投稿 かー君来襲が実家でちょっとした話題になっていた。まず家に来た時に、これまでの誰より大声で「こんちはー」っていってたし、玄関口でそれはそれは楽しそうに大声で話すわ、けたたましくハイテンションで話すわで、2階の弟夫婦が「誰かしら?」ってくらいに1時間近くはなしこんでいたほど。 さあ、帰ろうかと、足をシビラセルほど話し込んでから、 「奥さんを車で待たせてた。がはは」って笑った。 なんてダイナミック!いったん閉めたドアを、再び開けて 「うまく閉まらんかったねえ!」ってまた大声で笑ってニヤッとした。 かー君はすごく頭がいい。さりげなく相手より下に出てくれて、ののしるふりして優しい。小学校の頃からずっと優しい。大声なのは、地域のご年配に聞き取りやすいようにしゃべることを心掛けてることだし、滑舌がいいものだから、窓を閉めても声が外に漏れるほど。 父のお葬式のときも、舞台裏の活躍は親族に勝るとも劣らぬ気配りの人で、本当にかっこいい。何年かぶりにあったのに、 「マー君なにしとるだん、 ひっさしぶりだねえ。」って 大声だった。 相槌も大声だ「ほうかん!」 困ったときも大声だ。「参っちゃうわ!」 かっこいいなあ。かー君。
「いつもの生活」を送りたがる引力の強さ 2020-04-13 09:01:25 | 日記 いつものように学校や職場に、いつものように電車やバスに乗って、いつものように同僚や同級生と群れて話して、いつものように遊びに出て喋って笑って・・・・ができないと、こんなにも苦痛なんですね。「いつものように」が輝いて見えます。隙を見せると、すぐさま「いつものように」が頭をもたげてきます。この気持ちに負けた人たちが、街や遊び場で顔を合わせる現在です。お互いにちょっと苦い笑顔を含ませて、えへへとやってます。「いつものとおり」が後ろ暗くなる体験なんてめったにしません。こっそり「いつも通り」してたところは、きちんと「結果」が2週間もかけて出てくる病気です。結果を見て「あー・・・」って思うだけです。ある意味、試しにかかってきてる疫病です。いつも通り、ってよかったんですね。
幼馴染 2020-04-13 08:51:00 | スマホ投稿 かー君としゃべってて、しん君やらよし君やらたっ君やらぷーまんやら懐かしい名前がじゃんじゃん出てきて、あったりまえに分かってて、すいすい話が進むのが面白かったでした。しかもみんな苗字が同じなので、名前を愛称で呼ぶしかない同郷ゆえの習慣。 ずーっと住まうと「煩わしい」ことも増えてしまうのかもしれないけれど、幼馴染でよくしてくれたかー君から話を聞く分には、スリルとサスペンスに満ちてて楽しかったです。わはは。