こういう埋め合わせ方、対処の仕方の積み重なりが現状の与党や政府のしくじりの温床になってはいまいか?これでは従来の重ね直しの景色にしか見えない。
回復回復と首相は幾度も口にされるが、回復ではなく交代が筋の状況には思いを馳せられませんか?
能登の震災の海外からの救援の声に応えられないありように、少なからず落胆をおぼえました。「自分らの間に合わなさ」を俯瞰する視座が今はいるときです。
間に合わなければ、間に合う人に助力を請えるだけの目配りが今はいるときです。
「自助・共助・公助」という言い方が、語呂の良さもあってすっかり定着しているけれど、「自助・共助」は納得しても、「公助」は違うと思う。公は私達を「助ける」存在ではない。私達は、納税者として公的サービスを受ける正当な権利がある。私達は助けられるのではない。「公助」は行政の義務を曖昧に…
— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 4, 2024
これの事の真偽が正直わかりません。この表明自体のブラフかスピンを思うだけの懸念は残ります。残りますけど、それ以前に、この事態に対する「各国」の振る舞いには違和感が伴いました。↓
イランだけでなく、イスラム圏の国家のうちで、早々にイスラエルの非難に回ったところが雰囲気で放ってしまった景色は「これはこれでおかしい」と思ってましたので、そこは真偽に沙汰がつく時点で謝罪するんでしょうか。ロシアのウクライナ侵攻後、国際社会においてこういった紛争が雰囲気に任せた態度を出すことで「こっちの方を模索してた」みたいな空気は感じました。
なにかに便乗して過ごすことを選択すれば、便乗したものと一蓮托生になるので、栄枯盛衰は自分の意志以外の者に身を託したことになります。
衰退もまた真なりで、一過性の成長にアヤカれるとともに、凋落も請け負うことになります。
この負の側面をどれだけ真っ向から直視してたかが、その後を左右するものです。
負ける際に教訓は得るものです。負けながら手にするものは、体験として胸中に刻まれます。
記事の本屋さんのオーナーの価格に対するポリシーがりんとしていて、書店員さんに信頼を寄せる上でのリスクも背負ってて、書店員さんもそれに呼応してるのがわかります。
私もかつて本屋さんのアルバイトをしてましたので、その日々の返品の状態化は鮮烈に覚えています。とても多いのです。戻せるからって言う妙な安堵が、もしかしたら本屋さんの側に妙な安心ともども慢心を根付かせたかも知れないです。
返品率が下がるとは、本屋さんにとって誠に威力のあることです。
この到達に称賛を贈りたいです。