防衛費予算とか、万博関連予算とか、当初標榜した額面から極端な回避や事後了承で「膨れ上がった」責任がとられてもいないで済んでいるのが「度を越している」まで」拡大解釈され、運用を看過させすぎている。
国民には1円単位までの税納入を監視する制度設計してる割に、その上層の存在たちの緩慢すぎる、恣意的な運用と、柔軟が過ぎる咎めのなさが、ミスギャップ過ぎている。
国会中継で耳にする官僚や大臣クラスの人、政党のお偉方経験者の言質が、上述の「国民への1円単位の見逃しなさ」に照らし合わせて、「まったく割に合わない」ことが、国民一斉の怒りの源泉。
「いままで大丈夫だった」の胡坐のかきかたが垣間見えてるからこそ、一層火種は大火事になった。追い込まれた挙句「知らない」と「秘書がやった」と「俺が悪いんでしょ?やめるからもういいだろ」の開き直りが、醜く卑怯で矮小さなのに「罷免もされなさ」が心底憎いのだ。
「プーチンは人殺し」 ロシア政府も統制できないSNSの力
潜在化させてる分母分が大きくなっていってる。内圧こそ当局が頭ごなしに制圧を命じられてる彼の国は、結局のとこと砂上の楼閣でもある。
ここの緩めがせいぜいの寛容である以上、アキレス腱にも即転換もする。
恐怖政治は堅牢に見えてかなり構造がオクラ工事状の建築の如きである。