「頑張ってきた」日本人の果てが今の姿なら、頑張ってきたことだけでは何かが決定的に足りてなかったこともわかる。
そして今後を「頑張って」でやり抜くのに躊躇も覚えれば、それにかわる精神性も、何を据えていいかも知れず、それに能い代替に足る考え方も、視野も、ろくろく手元にない有様。
すがるなといえばそうなんだけど、かつて隆盛を誇れた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のときですら、誰か彼かのイニシアティブなんかじゃなく、世界の趨勢に沿ってただけで上手く行ってたに過ぎなかった。
そんなもんなのだ。
それだけに「頑張る」でこっから進める駒は、なんか違うって思うんだ。
たぶん、新しい思案が要ると思う。熱量と聡明が混じり合ってるようなやつが!