怖さってものは一過性だとばかり思ってました。
違うんですね。
津波みたいに、起きてから、長く留まるものだったんですね。
堪える期間が生まれるものだったんですね。
いつ途絶えるかが知れないものなんですね。
辛い訳だって思いました。
これにひれ伏す訳にはいかない、ってものだったんですね。
偉いはずの人らは、勝手を進めるようになり、みんなの「困った」は、切り捨てに近い感慨を市井に印象させ続けてる。
挙句「取り立て」「召し上げ」は熱心に見えて、国民は未だ黙っている。
守ってきたはずの約束が軽々にないがしろにされている。
今、要るのは文句のフェーズではなくなってしまってる。
ネタニヤフもプーチンも不可避を口にするが、彼らは手を引くと決めれば終焉がすぐ叶う戦争で、死者数はそこで止められる。
中国も物騒を口にするが倣うには信用の失墜国体に響くモノとみてのことか?
野蛮は高くつく。