「知らない」って、一斉に嘘をついてた人たちがいけないのは、知ってるのに知らないって、横並びにみんな嘘をついたことだよ。
知ってたよね?
わかってたよね?
挙句、「引き返せなくなって、嘘つき続けることにした」て顔だよね?それ。
挙句挙句、背中から刺されてる。
治らないから、嘘ついたんでしょうけれどね、やっぱ、見苦しいし、汚いわ。
どこかでほとぼりが覚めるだろうと鷹を括ったら、全然いつものようには過ぎ去ってくれず、進退伺に至った次第。
わかります?
時代の変遷ですよ。
もう古く際のも限度ってやつですわ。
「様変わりした町になじめない…」人が戻らない東日本大震災の被災地、揺れる住民の心 かさ上げ工事で生まれ変わった岩手県陸前高田市 若手カメラマンが訪ねた
愛着、って言葉がキーなんでしょうね。
潰れた家や地盤沈下で傾いた家の公費解体進まず…「珠洲にはもう住めない」と古里去る人々
能登の震災後の国の態度、叶わなかったこと、間に合わなさを見てて、日本人の多くが多分直感したのは、税金に接収されてるほどの負荷に能う行政のヘルプはてんで間に合ってくれなさ、だと感じます。
こんなにやってくれないんだって感じてるし、「ボランティア」の扱い方も位置のさせ方もすごくしくじった印象が深いです。
それらすべからくが、「出来る人が上に居たら、事態の運用はもっと別口になったであろう」という、漠とした、されど堅牢な憤りがあります。
万博とか並行して準備してていい時期ではなかったし、その采配がのんべんだらりとした「同時並行」でしかなかった。
リソースが限られてる割に、こんな満遍なさでは、収斂した処置がとどこるのは必然なのに、誰もよくしてくれなかった印象がすごく深い。