歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
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100回言っても嘘は嘘、真実は真実

2014年07月17日 | 日記

なかなかフィギュアについてまとめられないので、先に昨今の現状及び憂慮すべき問題点を綴りたいと思います。

戦後の自虐史教育の中育てられ、まともに君が代を歌うことなく日の丸を大事にすることすら教わることもなかった私は現在中学生の子の親です。

子どもは私が育ったのと同じ自治体で公立中に通っていますが、子供が使う教科書を軽く流し見るだけでも自虐史教育は更に悪化しているのが現状です。

私の親も気づかなかったようですが、どうやら当地は日教組や在日が強い地域のようです。社会の教科書も悪名高い出版社を採用しています。

 

思えば小学校のころから、自国の古くから伝わる童謡などそっちのけで「アリラン」を何度も歌わされるという事態に子どもも疑問を覚えておりました。

しかしだからといって親子ともども学校や教育委員会にその疑問をぶつけることはできませんでした。

 

中学に上がってからはなおのことです。

反日教育と告げ口外交をはばかることなく続ける国の言うなりに書かれた歴史の教科書を元に授業は行われ、英語の教科書にすら日本や英米等を

そっちのけで隣国が幅を利かして登場する始末。

それでも私たちにはNOと言う権利は全くないのです。疑問を唱える余地すらありません。

教科書を選ぶ権利はもとより、おそらくこれから習うであろう第二次世界大戦や日韓併合の事も子どもは一方的に日本が悪であったと習うことでしょう。

いかにその中に誤りや欺瞞があろうとも、あくまで教科書に沿った答えをテストでは求められ、もし教師にレポートや発言を求められれば

その趣旨に沿ったものを言い、書かねば評価はされません。現に別の自治体で暮らすお子さんが書いた真実を綴ったレポートに教師が激怒し

生徒にやり直しを求め暴言を書面上で叩きつけられたという話を聞きました。

これは恐るべき真実であり、ある意味あたかも我が国が教育上植民地にされているかのごとき状況であろうと考えます。

 

せめて我が子だけでもと日本が歩んできた真実の歴史を教えても「学校ではみんな教科書の通りだって言う。日本が悪かったんだって」と

子どもは落胆して帰ってきます。

 

少なくとも今の親世代が子供のころに比べるとネットの普及などのおかげで情報の精査がしやすくなりました。

その結果、国内でも真実を求め立ち上がる人や、海外でも中韓の嘘偽りに気づく人が出てきました。

 

それでも現実は、少なくとも高校受験を前に公立中学に学ぶ子供と親にとっては偽りの教育に対しNOと言うことができないのです。

それはなぜか。内申点というものがあるからです

 

自治体によって、また私立が第一希望である場合などはあまり重要視されない場合もありますが、少なくとも当地では内申点はとても重要です。

特に我が家のように公立高校への進学を希望する場合は定期テストのみならず、提出物や教師の心象にも神経をつかわなければなりません。

このような状況で教師や学校、教育委員会にたてつくことは自殺行為にも等しいのです。

テストでいい点を取っても、教師のさじ加減ひとつで簡単に1段階くらい下げられるのが現実です。

つまり、私たちは内申点が確定するまでは絶対に教師や学校に逆らうことは出来ないのです。(現実としては卒業式まで)

 

教科書問題以外にも理不尽な処遇はあります。でもそれよりも親として、またかつて戦争に身を投じ辛くも帰還した身内を持つ(現在は故人)者として、

いかに活字として教科書に掲載されようとも偽りを真実として我が子にそのまま覚えさせることほどの苦痛は耐えがたいのです。

 

実際に公立高校の入試問題として二次大戦や日韓併合などの問題が出題されるかわかりませんが、私はどうしても譲れないこととして繰り返し、

我が子には言い聞かせております。

 

私たちのおじいさんやご先祖様は子孫に恥じるような振る舞いは断じてしていない。それだけはどうか覚えていてほしい。

 

子どもにとっては混乱する種になるであろうことが、私としては非常に忸怩たる思いです。

しかしいつか、自分で真実にたどり着くかどうかの可能性にかけるよりも、親として大事なことは他の基本的なしつけ同様に是が非でも覚えていてほしいのです。

 

それと同時に、最近はめっきり報道されなくなった教科書問題は解決するどころかむしろ悪化し、義務教育下ではたとえ教科書に書かれていることに瑕疵があろうとも

それを甘んじて受け入れなければならないという現実があることを、私は憤りと悲しみをもってここで訴えます。

また、何度でも上記の言葉を子供に伝えたいと思います。

 

中韓が、そして内部に巣食う反日の連中が100回我が国と先祖を貶めようと、私たちはそれ以上に真実を探求し、広め、そして記憶に刻んでまいりたいと思います。

そうでなければこんにちまで先祖が築き上げて下さった我が国の誇りを守り抜くことができなくなるかもしれないのです。こんな屈辱はありません。

私たちにとって、真実はただ一つなのです。

表立っては何もできなくても、真実を口伝で受け継いでゆくことが私は大事な務めであろうと信じています


忘るる間ぞ無き-2014.3.11

2014年03月11日 | 日記

今年もこの日がやってきました。

重要なのは3年前から主張していますが(その頃はブログ外でですが)、震災を一過性の悲劇で終わらせず継続して心を寄せ、

各自できることを実施していくことです。

 

2011年、震災が起きた年はとにかく募金と考えうる可能な範囲での物品を送りました。

2012年、2013年は直接寄付受付をする窓口口座が次々閉鎖される中、購入することで被災地に還元される商品を積極的に購買しました。

また、2011年より継続して被災地支援を前面に出しているアイスショーに足を運んで寄付し、またチャリティーブックも購入しました。

 

しかし昨年あたりから、懸念が現実になってきているのをまざまざと感じています。

 

人間、辛いことがあったとしても「1年頑張れば楽になる」「これを乗り越えたらいいことがある」このような先の見通しというものがあればそれを目安として

頑張ることができます。

でも、今回のような複合災害の場合、被災された側はもちろんのこと国も行政も前例のない中思うように復興が進んでいるとは言い難い状況です。

放射線の影響から子どもを守るため、あるいは仕事の為。様々な事情のために家族が離れ離れになったり、行方不明のまま依然として家族の安否が

分からないままの方。そういった方々の心中はいかばかりかと推測するだけでも暗澹たる気分になります。ましてや当事者の皆様は辛いなどという

言葉では尽くしがたい辛酸を感じておられることでしょう。

 

震災から3年。この段階に至ってはもちろん民間での相互共助、扶助も大切ではありますが、やはり国の政策が最も重要ではないでしょうか。

金銭的負担の緩和だけでなく、今後の生活について個々のケースに対し相談に乗り場合によっては手続きを代行できるようなケースワーカーや、

被災されたすべての方々(子どもから年配の方まですべて)に対してのメンタルケアも非常に重要であると私は考えます。

 

被災された方の多さや被災地が広域に渡ることもあり、行政や国の対応は確かに困難で負担も多いことは想像に難くありません。

しかし、被災者個々の頑張りにも限界があるでしょう。

いつまで頑張ればいいのか。どこまで頑張ればいいのか。時折TVなどで垣間見る被災された方のお姿を見るにつけ、なるべく細やかな

ケアを期待せずにはいられません。

 

間もなく消費税も8%に上がりますが、その財源も含め箱もの公共事業だけでなく、人的な公共事業(上記にあるようなケースワーカー・メンタルケア派遣)の

必要性を強く政府与党や監督官庁にも訴えていくべきでないかと感じています。

 

最後になりましたが、震災当日やその直後のみならず、震災関連死で亡くなられた犠牲者の皆様に衷心よりご冥福をお祈り申し上げますとともに、

被災された皆様の生活とお気持ちが、一日も早く穏やかに落ち着かれますよう切に祈っております。 


企業理念とホスピタリティーに見る、旧き良き日本人の心

2013年08月19日 | 日記

まずはこちらの記事を参照頂きたいと思います。

2年前の出来事ですが、本日Web配信された記事です。

http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20130819/President_10280.html?_p=1

「なぜ帰宅難民2000人を無料収容したのか 帝国ホテル 」

 

非常時にこそ、企業の真価が問われるものです。

特にここで取り上げられる帝国ホテルは老舗ならではのホスピタリティーと宿泊以外のクリーニングサービスの質の高さでも定評があります。

ともあれ、ここで強調しておきたいのは当日陣頭指揮を執った方の言葉にある

「困っている人がいると、お助けしたくなる」

「われわれとしては当たり前のことをしただけ」

この考え方です。

われわれ日本人の観念として「困ったときはお互い様」というものがあります。

むろん、企業の至上命令として利益をより確保するという責務もありますが、ホテルマンであると同時に彼らは一人の日本人としての心を

大切に各自行動したのであろうと考えます。

非常時に、しかも東京とはいえかなりの揺れを観測したあの2011年3月11日に理性的且つ的確にプロフェッショナルとしての仕事を

やり遂げるということは困難なことです。

数年前から阪神淡路大震災の教訓をもとにマニュアル作成と訓練を積んでいたとはいえ、震災当日に的確に動けたのはホテルマンとしての

教育がきちんとなされていたということと同時に、彼らに日本人としての理性と良心が十分に備わっていたことの証左です。

私はこの理念と理性を賞賛した上で、今一度表題の通り、旧き良き日本人の心と誇りをしっかりとかみしめたいと思います。

 

震災を境に、結婚に踏み切る人、あるいは逆に離婚へ舵を切ったカップルと悲喜こもごものエピソードを数々見聞きしました。

繰り返しますが、企業に限らず非常時にこそ人としても真価が問われるものです。その人の本性が現れるのです。

誰しも自分が一番かわいいものですが、そこで勇気を出してもう一歩、無理なら半歩でも踏み出す勇気と人間性を発揮したいものと

肝に銘じる次第です。

私が当日出来たのは、隣に住む独居のおばあさんに「困ったらいつでも声をかけて下さいね、かけつけますから」ということくらいでしたので。

 

もちろん非常時などそう何度もあっては困りますが、日本人としての誇りや血の通った心は決して忘れてはならないと私は思います。


君死にたまふことなかれ

2013年08月15日 | 日記

今年も終戦の日を迎えました。

身内で唯一の戦争経験者であった父を亡くしてから初めての終戦記念日です。

父の生前の言葉を思い起こし、餞として手向けることにより安らかに眠る先人の御霊に祈りをささげたいと思います。

 

父は所属していた部隊の唯一の生存者でした。

直属の上官だった方は、敗戦濃厚な現状を冷静に見た上で、できれば自分の指揮する部隊をみな残したかったもののそれは叶わず、

せめて一人だけでもと父を戦地へ派遣しない選択をしました。

実に危険で自らをも厳しい状態になることを覚悟して、上官は一世一代の芝居を打ったと父は戦後その上官に会った時に明かされたと聞きます。

上官は「〇〇(父の名)は吐血しておりました。病人を連れて行けません」と上層部に伝えました。

実際は父その時健康で、内地に残留決定を聞いた時、自ら派遣を志願したそうです。

しかし上官はそれを許さず、父は結局上官と共に内地に残りました。

その後、父の所属していた部隊は沖縄で全滅したとの知らせが届いたそうです。

 

父が病床に就く前まで、私は子どものころから繰り返し聞かされた記憶があります。(おそらく兄姉たちも同じ記憶があるでしょう)

 

戦争は人間から人間らしさを奪うものなのだ

 

戦時下においては、冷静さや本来の人間らしい心が失われるのだと父は語っていました。

確かに今なお地球上から消えない戦火を見るにつけ、戦闘状態における人間性は本来のものではないのだと

いろんな映像やニュースで私たちは知ることがあります。

 

様々な紛争を回避し真に平和な社会を構築することがいかに困難なことかは筆舌に尽くしがたいことです。

世界中から紛争を無くすことができればどんなにいいことか、しかし分かっていても誰しもできないことでもあります。

けれど、戦争経験がある方はその経験を語り継ぎ、それを聞いた私たちはまた次の世代に語り継いでいく、

そうしていくことと共に、先人が命がけで護って下さったこの国を私たちもしっかりと護り子々孫々に大事に引き継いで

いかなければならないと思います。

そうしなければ、靖国神社に限らず戦地や日本の各地で眠る先人に申し訳が立たないではありませんか。

 

いたずらに諸国と揉めることを良しとは思いません。しかし、許されざることや護るべきことはきちんと主張していく。

そんな日本人でありたいと祈りの日に思いをいたす次第です。

まずは身近なところから、何をなすべきか、何をしてはならないのか、思慮深くありたいものと自らを律して参りたいと思います。


今年の一票より子々孫々を見据えよ

2013年03月11日 | 日記

昨日までのうららかな気候がなりを潜めて、寒気が戻り3.11を迎えました。

関連死を含めると2万を超す犠牲者に、いまだ不自由な生活を余儀なくされている被災者の皆様には心より哀悼ならびにお見舞い申し上げたいと思います。

 

政府や各公共団体には、まず国民及び住民の生命や健康を何より優先し守る責務があることを深く肝に銘じていただきたいと強く願います。

戦争中ではなくとも、残念ながら報道統制という現実はあります。多くの国民が知らされないまま、臭いものに蓋をするがごとくに開示すべきデータが

一体どれほど隠避されているのか、それを全て把握している人はほとんどいないと言っていいでしょう。

 

しかし、繰り返しますが政府や各首長には国民ならびに住民の生命及び安全、健康を守る責務があります。

「ただちに影響がない」=安全、ではないことくらいもうほとんどの国民が察しているのです。

 

思い切った政策を打ち出すとなれば、票が流れ苦境に立たされること、すなわち下野する可能性まで政治家としては考えねばならないのでしょう。

けれどもその前に、一人の人間として、また良心を持つ政治家として彼らに自負があるならば。今有権者として票を投じることは出来なくても

いずれ我が国を背負っていくことになる子孫に顔向けできないような施策だけは選ばないでほしいと祈るばかりです。

 

地震と津波だけではなく、原発事故が追い打ちをかけたことで更に東日本大震災の復興への道のりの厳しさは深まっています。

目先の益を優先するのではなく、長期的に見て何が大切なのか。そのためには何をなすべきなのか。

安倍総理や政府与党のみならず、各公共団体の長、そして地域社会を形成する私たち一人一人も自己の利益のみを追求するのではなく

個々に考え各々が自らのなすべきことに真摯に邁進するべきであると改めて今日思いを至らせるのです。

 

3月11日。この日は決して忘れえぬ日として子々孫々に言い伝えるばかりでなく、自らの身と行動、生き方をも顧みる日としたいと私は思っています。

この国のかじ取りをする中枢の皆様方にもより一層高邁で建設的なお志を確かめる日としていただきたいと願ってやみません。