なかなかフィギュアについてまとめられないので、先に昨今の現状及び憂慮すべき問題点を綴りたいと思います。
戦後の自虐史教育の中育てられ、まともに君が代を歌うことなく日の丸を大事にすることすら教わることもなかった私は現在中学生の子の親です。
子どもは私が育ったのと同じ自治体で公立中に通っていますが、子供が使う教科書を軽く流し見るだけでも自虐史教育は更に悪化しているのが現状です。
私の親も気づかなかったようですが、どうやら当地は日教組や在日が強い地域のようです。社会の教科書も悪名高い出版社を採用しています。
思えば小学校のころから、自国の古くから伝わる童謡などそっちのけで「アリラン」を何度も歌わされるという事態に子どもも疑問を覚えておりました。
しかしだからといって親子ともども学校や教育委員会にその疑問をぶつけることはできませんでした。
中学に上がってからはなおのことです。
反日教育と告げ口外交をはばかることなく続ける国の言うなりに書かれた歴史の教科書を元に授業は行われ、英語の教科書にすら日本や英米等を
そっちのけで隣国が幅を利かして登場する始末。
それでも私たちにはNOと言う権利は全くないのです。疑問を唱える余地すらありません。
教科書を選ぶ権利はもとより、おそらくこれから習うであろう第二次世界大戦や日韓併合の事も子どもは一方的に日本が悪であったと習うことでしょう。
いかにその中に誤りや欺瞞があろうとも、あくまで教科書に沿った答えをテストでは求められ、もし教師にレポートや発言を求められれば
その趣旨に沿ったものを言い、書かねば評価はされません。現に別の自治体で暮らすお子さんが書いた真実を綴ったレポートに教師が激怒し
生徒にやり直しを求め暴言を書面上で叩きつけられたという話を聞きました。
これは恐るべき真実であり、ある意味あたかも我が国が教育上植民地にされているかのごとき状況であろうと考えます。
せめて我が子だけでもと日本が歩んできた真実の歴史を教えても「学校ではみんな教科書の通りだって言う。日本が悪かったんだって」と
子どもは落胆して帰ってきます。
少なくとも今の親世代が子供のころに比べるとネットの普及などのおかげで情報の精査がしやすくなりました。
その結果、国内でも真実を求め立ち上がる人や、海外でも中韓の嘘偽りに気づく人が出てきました。
それでも現実は、少なくとも高校受験を前に公立中学に学ぶ子供と親にとっては偽りの教育に対しNOと言うことができないのです。
それはなぜか。内申点というものがあるからです。
自治体によって、また私立が第一希望である場合などはあまり重要視されない場合もありますが、少なくとも当地では内申点はとても重要です。
特に我が家のように公立高校への進学を希望する場合は定期テストのみならず、提出物や教師の心象にも神経をつかわなければなりません。
このような状況で教師や学校、教育委員会にたてつくことは自殺行為にも等しいのです。
テストでいい点を取っても、教師のさじ加減ひとつで簡単に1段階くらい下げられるのが現実です。
つまり、私たちは内申点が確定するまでは絶対に教師や学校に逆らうことは出来ないのです。(現実としては卒業式まで)
教科書問題以外にも理不尽な処遇はあります。でもそれよりも親として、またかつて戦争に身を投じ辛くも帰還した身内を持つ(現在は故人)者として、
いかに活字として教科書に掲載されようとも偽りを真実として我が子にそのまま覚えさせることほどの苦痛は耐えがたいのです。
実際に公立高校の入試問題として二次大戦や日韓併合などの問題が出題されるかわかりませんが、私はどうしても譲れないこととして繰り返し、
我が子には言い聞かせております。
私たちのおじいさんやご先祖様は子孫に恥じるような振る舞いは断じてしていない。それだけはどうか覚えていてほしい。
子どもにとっては混乱する種になるであろうことが、私としては非常に忸怩たる思いです。
しかしいつか、自分で真実にたどり着くかどうかの可能性にかけるよりも、親として大事なことは他の基本的なしつけ同様に是が非でも覚えていてほしいのです。
それと同時に、最近はめっきり報道されなくなった教科書問題は解決するどころかむしろ悪化し、義務教育下ではたとえ教科書に書かれていることに瑕疵があろうとも
それを甘んじて受け入れなければならないという現実があることを、私は憤りと悲しみをもってここで訴えます。
また、何度でも上記の言葉を子供に伝えたいと思います。
中韓が、そして内部に巣食う反日の連中が100回我が国と先祖を貶めようと、私たちはそれ以上に真実を探求し、広め、そして記憶に刻んでまいりたいと思います。
そうでなければこんにちまで先祖が築き上げて下さった我が国の誇りを守り抜くことができなくなるかもしれないのです。こんな屈辱はありません。
私たちにとって、真実はただ一つなのです。
表立っては何もできなくても、真実を口伝で受け継いでゆくことが私は大事な務めであろうと信じています。