歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
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体罰は本当に「必要」なのか?

2013年02月25日 | スポーツ全般

桜ノ宮高校体罰自殺事件や柔道女子集団JOC直訴事件に続き、先週金曜日発売のフライデーにて、

今度は佐野稔氏の体罰(疑惑)が明るみに出ました。写真を見て、ご本人のお説を聞けばかっこはなくてもよさそうですが、

一応現場を生で見たわけではありませんので(疑惑)としておきます。

フィギュアは他のスポーツとは毛色の違う性質が濃いと個人的に思っていましたので、体罰とはあまり結びつかない

イメージだったのですが、残念ながらそうではなかったようです。

 

そもそも、なぜ学校の教師やコーチ、監督たちは体罰をするのでしょうか?

ここで問いたいのはその目的と理由です。

強くするためですか? 上下関係を知らしめるためですか? あるいは、見せしめのためでしょうか?(これは桜ノ宮が該当しそうです)

 

体罰を振るう側にも言い分や論拠があるでしょう。あちこちで露見しているのはそれだけ、体罰が指導現場で暗黙の裡に正当化されて

いるからではないでしょうか?

しかし、果たして体罰を行うことによって効果は上がるのでしょうか?

 

もちろんすべてのケースにおいて検証するのは不可能です。なぜなら、体罰があったことが明るみに出ないケースがほとんどで、

むしろ体罰があったと分かるのはほんの一部、氷山の一角にすぎないからです。

ですから、顕在化しているケースや、私が知るケースを元に検証するしかないのですが、結論を先に言うと効果があるかについては

はなはだ疑問だと考えます。

 

まず、極端な例示をするならば、先般の桜ノ宮高校の例は著しく問題があり、その上当該教師や直接の関係者のみならず、過去にさかのぼり

OBにまで問題意識が欠落している傾向が見受けられます。

言うなれば、結果を出すこと>人一人の命と受け取られかねない署名活動などです。

もはや当該教師のみならず、学校の伝統として結果至上主義の権化と化していると言っていいでしょう。

 

もちろんスポーツにおいて結果を出すことは大切です。また、教育現場として時には厳しく指導する必要性があることは論を待ちません。

しかし、その過程においてどうしても、体罰は無くてはならないものなのでしょうか?

 

ここで私が実際に見たケースをお話ししましょう。

私は中学時代、テニス部に所属していました。担当顧問は中年の男性教諭で、かなり厳しい指導者でした。それは特定の生徒(選手)に

対してではなく、大抵の場合全員に対してですが、一度体罰を巡って保護者を巻き込み騒ぎになったことがあります。

体罰に至った発端はかなり月日がたっているので詳細は失念しましたが、その顧問はラケットで生徒の頭を叩いたのです。

叩かれた生徒は大けがには至りませんでしたが、フレームが当たったため顔に怪我を負い、事を重大ととらえた保護者が

学校に出てくる顛末となりました。

体罰を振るわれた生徒はその後数日部活を休み、しばらくして復帰しましたがその後の戦績は振るわなかったことを覚えています。

学年が違ったこともあり直接話は聞けませんでしたが、体罰を受けたことによる精神的ショックが相当大きかったようだと聞きました。

このケースはまだ軽症で済んだ例ですが、最悪の顛末を迎えてしまったのが先の桜ノ宮の事件です。

いち教師だけの問題だと私は思いませんが(周囲にも大いに問題ありと考えます)しかし体罰が自死を選ばざるを得なくなるまで

生徒を追い詰めたのは紛れもない事実でしょう。どれほど当該教師が謝罪をしても取り返しのつかない事態を招いてしまいました。

 

もちろん生徒の性格もまちまちなので、同じケースでたとえ体罰を受けてもさほどダメージを受けない場合もあるでしょう。

むしろ、今までそんなケースが多かったからこそ体罰は黙認されてきたのかもしれません。

しかし、だからと言って今後も連綿と続けて言ってよい風習であるとは、私には思えません。

柔道のケースを見ても、国際的にはなはだ奇異且つ野蛮な行為であると判断されてしまったのもやむを得ないと考えます。

少なくとも、体罰という行為は国際標準として黙認されることはないことは確かです。

 

また諸外国からどう見られるかは別としても、問題は他にもあります。

たとえば、体罰を原因とした事故が起きた場合、速やかに公表・責任追及ができるか疑問であることです。

これはつい先日明らかとなった、山形の事例が証明しています。

教師の体罰が原因となり、鼓膜に損傷を受けた生徒と部に所属する生徒全員に対して、教師は口封じ工作を行ったことが

明るみに出ました。教師が体罰を行い生徒に大きなけがを負わせたこと、そして口封じを行おうとしたことと二重の問題を起こしています。

加えて指摘するならば、黙っていろと圧力を加える=パワーハラスメントでもあるでしょう。このようなケースはおそらく、潜在的に

他にもあるものと思われます。

しかしこれは、明らかに目的や理念を大幅に逸脱し、生徒の人権や指導者の誇りさえ失われた問題ある事件です。

この件についても、桜ノ宮高校の事件同様に徹底した原因追求と再発防止に向けた調査が必要だと感じます。

ここまで行かなくても、大なり小なり体罰は事故を引き起こす可能性を大きくはらんでいます。そもそも、普通にスポーツをしているだけでも

事故が起きる可能性は何もしていない時よりも大きいのですから当然です。その上、体罰を行うとしたら何倍にもリスクは高まります。

子どもたちも保護者も、怪我を負うためにスポーツをしているわけではありませんし、競技において更に上に行きたいのであれば

尚のこと無用のけがは避けたいのが本音でしょう。事実、様々な競技においてトップアスリートと呼ばれる選手たちはいずれも体調管理が

非常にうまくできている選手が大半です。(もちろん、例外もあります。どんなことに関してもですが)

それ以前に、人間の体についてはそのすべてのメカニズムが解明されたわけではなく、特に脳に関してはまだわからないこともあると聞きます。

多少のけがは治療と時間で治りますが、それが大きなけがであったり、そのメンタルに大きな傷を負った場合は治癒に多くの時間を費やさざるを

得なくなります。そして、件の最悪の事態を招いてしまう可能性すら秘めているわけです。

 

昔は中学高校のみならず、スポーツに根性論がまかり通り、練習中の水分補給さえ許されないケースもままありました。

しかし、スポーツが科学的に分析できるようになり、またより高度に技術を要求されるようになった昨今、精神論だけで指導が何とかなるほど

スポーツが甘いものだとは私は思えないのです。

つまり、頑張りが足りない(その他教師やコーチの観念的なものによる理由)→体罰を振るう→生徒が伸びるというように、意図する通りに進むと

確信できるほど、体罰は有用な手段であるとは言えないということです。

たとえば、間違った行動をしていたのを注意するのであれば、それは体罰によらなくてもできると思います。あるいは、団体競技などでチームワークを

乱すなど、精神的な指導をするにしても同様です。

いくらチームのリーダーであったとしても、みんなの前で見せしめ的に体罰を振るうことは、本人のためにも他の生徒のためにもおよそ良い方法とは

言えないと思います。その場合、委縮を生み生徒の視野をより狭める方向に行く可能性、つまり成長を促すつもりだったとしても逆効果ではないでしょうか?

現に亡くなった生徒はその体罰のし烈さに耐えかね、教師に不満を訴える手紙をしたためていたそうですが、周囲の部員に止められて結局

渡せなかったと聞きます。これは、他の部員が極度に委縮していたこともその行動要因として指摘できるでしょう。また、そのまま行動に出た場合、

亡くなった部長が更にひどい目に遭うかもしれないと考えたのかもしれません。これはあくまで私の推測の域を出ませんが……。

 

そして「教育」という見地からも、体罰は生徒と一日中過ごすわけではない教師やコーチには危険な指導手段であると私は訴えたいと思います。

親子間であっても、昨今はしつけの一環としてさえ手を上げるのをよしとしない=虐待であると親の側を弾劾する、こういう潮流になって

きています。

これに関しては必ずしも私は同意しかねるのですが、それは親と子であれば大抵の場合住居を共にし同じ食事をとる―つまり、一つ屋根の下に

いる時間が相応にあり、たとえ厳しく叱ったとしてもその後に様々な形でフォローすることが可能だという理由に起因します。

自分にも子供がいるので実感を込めた話になりますが、押すばかりでなく時には引いたり飴を与えたり、家庭ですらしつけという教育は並大抵の

ことではありません。ましてや学校やクラブでは、赤の他人の生徒たちが大勢いるわけです。しかも、その個性はまちまちときています。

そんな彼らを指導することがどれだけ大変なことか。それは推測に余りあるものでしょう。そんな一人一人に対して、教師やコーチが我が子のように

丁寧なフォローができるでしょうか? 多くの場合、まず困難でしょうし果てしなく不可能に近いとさえ言えます。

生徒であり、親にとっては子供である彼らは未熟ではありますが、当然のように大人とは別個の人間であり、別の感情を持ちます。また、

心だけは誰にもいかんともしがたい聖域です。

体罰を行っていた教師やコーチにも言い分はあるでしょう。彼らなりの論拠に基づいて行っていたのかもしれません。

 

しかし私はあえて問いたいのです。体罰を行ったその時に、1ミリたりともあなたの感情に起因されたことはありませんでしたか? と。

また、もしもあなたが体罰を行ったことにより、後遺症が残るような大けがや自死へ追い込むような重大な事態を引き起こすことを

想定したことはありますか? 

そして何より、叱るだけでなく充分に生徒たちへ愛情をこめて指導してきたと胸を張って生徒たちの前で言えますか? と。

 

真っ当な神経をまだ持ち合わせている指導者ほど、上記の問いに頷くことをためらうのではないか。私はそう思います。


負の系譜 オリンピックは何のためにあるのか?

2013年02月17日 | スポーツ全般

最近、レスリングの問題を中心に何かと騒がしい五輪問題ですが、問題の本質を考えれば考えるほど、

商業主義を持ち込み発展させたサマランチと、ロゲを中心とした「拝金主義で運営される五輪」という残念な

現状に我慢ならなくなった人々の怒りが爆発しつつあるということではないかと考えます。

 

また、それとは別に、今回の競技削減に発言権と投票権を持っていた五輪理事の国籍分布にも大いに問題ありと

言わざるを得ません。過半数が欧州人であり、アジア人はほとんどおらず、北米に至っては私の見間違いでなければ

いなかったと記憶しています。

 

五輪は発祥の地がアテネ。古代オリンピアから現代にいたるオリンピックに、欧州人は強烈なプライドと優越感を

抱いているのではないでしょうか?

しかしいまや、オリンピックは世界中の人々のものです。一部の地域や献上金をより多く収めた企業を要する国の主張ばかりを

もっともらしい言い訳で押し通す体制は、世界的に受け入れられよう筈もありません。

 

サマランチ→ロゲと続いた系譜はまたサマランチJrと続きそうなのが何ともうんざりしますが、このような団体が頂点に立ち、

大会や参加競技を掌握するIOC、そしてその下部組織である各競技団体、およびその運営がまともになろうはずがありません。

 

やはり商業主義の舵を切ったサマランチの政策には問題があったと糾弾されるのはやむを得ないことでしょう。

 

ところで余談ですが、なぜどさくさにまぎれてテコンドーが永遠に五輪競技として存続とか決められたんでしょうね~。

一つの国の代表が出てきてあれこれこそこそと進呈しあい、その後にこの結果では腹を探られても文句は言えませんね。

更に脱線しますが、テニスファンの私ですが、他の競技と違って4大大会(いわゆるグランドスラム「全豪」「全仏」「全英」「全米」)

もありますし、出場するのはプロばかりという有様ですから、テニスが五輪から外れても一向に困らないなと思います。

(五輪運営側は興行面で困るかもしれませんが)同様に、WCに出るメンバーとは全く異なる構成で出場しなくてはならないサッカーも

出場の必然性は疑問です。

興行や視聴率という目先のカネにばかり踊らされないで、本来の「世界中のスポーツファンのための祭典」としての原点に立ち戻って、

本当に大事なことは何なのか、特定の地域や民族が不利益をこうむることのないように、しっかり対応してもらいたいものだと思います。

……この期に及んで、あまり期待はしていませんけどね


頑張れ四十代

2013年01月16日 | スポーツ全般

競技によって選手生命の長さは異なることは、複数の競技を観戦されるスポーツファンならよくご存じのことと思いますが、

今年も各選手が頑張っていらっしゃるようで、勇気づけられる思いです。

クルム伊達、シングルスに続きダブルスも全豪オープ1回戦突破/テニス

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/tennis/headlines/20130116-00000302-tennisnavi-spo.html

錦織が3回戦進出=女子複の伊達組は逆転勝ち―全豪テニス

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/tennis/headlines/20130116-00000091-jij-spo.html

三浦知と契約更新=46歳のシーズンへ―J2横浜C

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/headlines/20130115-00000141-jij-spo.html

 

特にテニスの伊達選手は、只今開催中の全豪で単複混合と奮闘中です。

シングルスでの初戦突破はOP化以降の最年長記録更新だそうですが、あまり年齢のことにはこだわらず(ご本人も年齢の

ことを言われるとよく苦笑していらっしゃるので)自分のテニスを追求することを第一に頑張って欲しいと応援しています。

 

二十代の頃マスコミに追われることも多かった伊達選手は、その神経質さがしばしば表情に浮かんでいましたが、今は様々な

経験を経て、伴侶も得て、テニスとの向き合い方も変わってきたのだろうと思います。それは度々見られるようになった笑顔からも

垣間見られることです。

もちろんプロツアーに参加する以上勝利に対して執念は持つべきでしょうが、それだけでなく「テニスとは何だ?」

「テニスとはこんなに楽しいものなんだ!」ということを体現して多くのファンに見せてほしいといちテニスファンとして願っています。

 

二十代の時と四十代の今とでは体力の回復度やフィジカルケアの大変さも大きく異なるでしょう。しかし、パワーテニス主流の今、

経験を経たからこそできる彼女のテニスもまた価値あるものではないでしょうか?

 

昔とは異なり、アスリートの体をサポートする事業やスポーツドクターのサポートなどの尽力も相まって、若い選手とと共に

超ベテランも奮闘しています。

その姿はたとえ結果が出せなくても、本当に素晴らしいものだと思います。

昨今、結果至上主義に走るあまり運動部の監督による体罰が問題化していますが、若い選手たちも「なぜ自分は〇〇(競技名)を

やるのか?」と時には自身を顧みつつ、競技を愛し研鑽して欲しいものです。

せっかく、その手本になる素晴らしいベテランが日本にもいるのですから、是非とも彼らの姿から多くのものを学んでいただきたいと思います。

もちろん選手だけでなく、監督やコーチもです。

歪な心根で協議に取り組んでいけばいつか必ず、綻びが生じるのは自明の理であろうと私は考えます。いかがでしょうか?


2012年ぱんだねこアスリートアワード

2012年12月30日 | スポーツ全般

私ぱんだねこによる、独断と趣味によって一方的かつ勝手に贈られるアスリートアワードです。

ふと思いついて今年から突然創設いたしました。なお、一方的に讃えるのみで表彰状や副賞などはありません(笑)

また、複数競技の選手をたたえたいこと、そして異種競技である以上優劣は決め難いので「大賞」ではなく皆様一律に優秀賞でございます。

多くのスポーツファンやぱんだねこを感動させてくださった皆様を、拙ブログにてささやかに讃え、来年の活躍を祈る記事です。

大体説明が済んだところで表彰に参りたいと思います。

 

*吉田 沙保里選手(レスリング)

今年開催のロンドン五輪のみならず、世界選手権でも連覇中。ついには国民栄誉賞まで受賞された、言わずと知れた最強女子です。

レスリングの技術的な部分はよくわかりませんが、彼女のコメントを聞いていて感嘆するのが、モチベーションを保ち続ける意識の高さです。

むろんその陰では、日々精進を怠らない努力があるのでしょう。また、レスリングから一歩離れTVに出ている時などは率直でチャーミングな

一面が垣間見られます。

今後のご活躍とご健康を祈念いたします。

 

*内村 航平選手(体操)

強い強いと言われ、結果を出すことを当然のように期待されながらその期待に応えるということがいかに難しいことか、今夏のロンドン五輪で

内村選手の姿を見て痛感させられました。しかし団体とゆかで銀、個人総合での金と見事に結果を示してくださいました。

彼の技を見ていると高度な技術は美しいものだということがわかります。また、自らに課する目標の高さも、孤高の厳しさと共に伝わってきました。

まだまだ年齢的にもこれから先が大いに期待できることでしょう。

今後のご活躍とご健康を祈念いたします。

 

*ロジャー・フェデラー選手(プロテニスプレイヤー)

この2~3年、戦績が低迷しがちだった彼ですが、今年はスタートから違いました。そして、おそらく彼が特に重要視しているであろうウインブルドンで、

見事に最多タイとなる優勝を決めました。また、ロンドン五輪では決勝まで進み、対戦相手が地元(正確にはスコットランド)のマレー選手とあたり、

超アウェイの中惜敗したものの銀メダルを獲得しました。前回の北京五輪ではダブルスで金メダルを獲得していますので、彼は単複両方でメダルを

保持している選手となりました。

また、これら以前に今年前半の活躍が活きて、31歳にして再びランキング1位に復活するという偉業も成し遂げ、通算で王座300週超えという前人未到の

金字塔を自らの手で打ち立てました。年々、ツアーをこなしていく中で疲労回復ができにくかったりエラーを量産してしまうなど、徐々に厳しくなってきていることは

否めませんが、しかし依然として彼が特に優れたテニスプレイヤーの一人であることはゆるぎない事実でありましょう。

双子のお嬢さんや奥様を帯同してのツアー転戦はだんだん厳しくなってくるでしょうが、できればもう少しの間、彼の美しく強いテニスを見せてほしいものだと

願っています。

今後のご活躍とご健康を祈念いたします。

 

*国枝 慎吾選手(プロテニスプレイヤー)

車いすテニスの国枝選手と言った方が分かりやすいかもしれません。それはともかくとして、彼はグランドスラム達成者であり、五輪二連覇も成し遂げている

非常に優れたアスリートであることが、今一つ知れ渡っていないように思います。上記のフェデラー選手にも讃えられている国枝選手の功績が、もっと

日本のスポーツファンに浸透することを願ってやみません。

今年も残念ながら、国枝選手のプレイを見る機会に恵まれなかったのですが、来年こそ国枝選手のテニスを目の当たりにする機会ができればと思っています。

今後のご活躍とご健康を祈念いたします。

 

*浅田 真央選手(フィギュアスケート)

昨シーズンまで続いた苦悩や不幸を乗り越え、失いかけたモチベーションを自ら取戻し美しくリンクで舞う姿に感銘を受けました。

彼女ほどマスコミに嫌がらせやいじめを受けている選手もいないと思いますが、それでも真摯に自らと向き合い向上心を無くさず努力する姿は

多くの人々の心を打ったものと思われます。

今季は彼女の努力が実りつつあり、ここまで4戦全勝という立派な成績を残していますが、それで満足せずにさらなる高みを目指す姿を見るにつけ、

頭が下がります。もはや彼女の目標はどんな点数を出すかとか、何位になるかということにはなく、「いかにパーフェクトな演技をするか。また

演技の質や難度をどこまで上げられるか」にあるのであろうと推察します。

どんな印象操作をしようが、ちゃんと見る者が見ればその優れた資質は分かるものです。

2014年のソチの舞台まで彼女の困難は続くかもしれませんが、見えない多くの声援を少しでも感じ取り、このまま王道を突き進んでもらいたいと

思います。

今後のご活躍とご健康を祈念いたします。

 

*羽生 結弦選手(フィギュアスケート)

昨季から成長の速さを感じていましたが、今季は一気にブレイクしたような印象を受けます。4Tの成功率の高さや3Aの質の高さなど、技術的に

安定してきている部分も多いかと思いますが、スケーティングなどまだまだ伸び代も多くそれだけに期待も大きいですね。

ぜんそくという持病を抱え、体調を崩しやすかったり、怪我も多かったりと不安材料もありますが、今後近い将来日本男子フィギュアを背負っていって

くれるであろうカリスマ性の片鱗を感じます。

彼の場合はスタミナが最後までしっかり持つような体力づくりが大きな課題になりそうですが、きっと克服できるものと期待しています。

今後のご活躍とご健康を祈念いたします。

 

以上の選手の他にもすばらしいアスリートはたくさんいらっしゃり、それぞれご活躍のことと思います。

今年は特に夏季五輪が開催されたこともあり、スポーツから多くの感動を頂いた年でもありました。

結果が出せた選手の陰で、無念の涙をのんだ選手はその何倍も何十倍も多いでしょう。把握しきれないほど多くの選手たちからも、

私たちは多くの感動を頂いたと思います。

私はスポーツとは常々、「筋書きのないドラマ」だと思っています。(中にはそうでもない競技もありますが)

その中で、常に鍛錬を怠らず真摯に進化しているアスリートの皆様には上記に挙げていなくても、心より感謝と尊敬の念を

表したいと思います。

今年も多くの感動をありがとうございました。来年もまた、元気に個々の選手が実力を発揮し笑顔で胸を張れる一年になりますように。

 

以上


国枝選手二連覇/パラリンピック・車いすテニス男子シングルス

2012年09月09日 | スポーツ全般

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/tennis/headlines/20120909-00000023-jij-spo.html

現在開催中で間もなく閉幕するパラリンピックにて、日本の国枝選手がまたも偉業を成し遂げてくれました。

上記URL記事にも書かれていますが、国枝選手は今年2月に肘の手術をしてブランクを乗り越えての偉業です。

これは本当にすごいことだと思います。

 

誠に残念なことですが、国枝選手をはじめパラリンピックの選手の奮闘はあまりにも小さくしか扱われておりません。

ハンディキャップのあるなしを超えて、これだけ頑張っている選手たちがいる、そして日本人はこんなにすごいんだということを

もっともっと各報道機関には伝えてほしいものだと痛感します。